ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

可也 福岡の銘酒

2018年03月20日 | 酒と料理と
先日福岡に住む娘の長男が誕生日だったので泊まりがけで祝いに行った。
夕食に出してくれたのが、八女市にある酒蔵の「繁升」が作っている、特別純米酒の「可也」。
新酒のラベルも貼ってあって、早速開けてみる。

純米酒らしく、コクがあるがそれほど重くはない。
意外と優しい口当たりで、含み香も心地よい。
非常にバランスのいい味である。



ラベルを見ると、日本酒度は+2前後、精米は60%で、使用米はかの有名な雄町。
繁升は香りの高い、非常にバランスのいい酒を造っていることは知っていたが、
この「可也」というブランドは初めてだった。

娘によると、福岡の糸島にある糸島産品を売る「JA糸島産直市場 伊都菜彩」で買ったそうだ。
何故糸島か。実はこの原料の雄町が糸島産だからということらしい。
繁升は、地域限定の商品としてこれを販売している。
繁升を売っている店は阿蘇にもあるが、「可也」を見かけなかったのはそういうことかと納得。

この酒は料理は特に選ばない。
ただ、魚なら塩焼き、肉なら塩胡椒だけの味付けくらいがいい。
刺身で食べるには少し濃い感じだが合わないわけではない。
シーザーサラダもいいかもしれない。

ということで、とても美味しいと言ったら、翌朝娘と伊都菜彩に買い物に行った上さんが、
可也の新酒ラベルの一升瓶を買ってきてくれた。
福岡往復の運転代ということらしい。
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メコンを船下り -スローボートの旅ー 番外

2018年03月13日 | タイ・ラオス旅2018
今回の旅行の全体的な印象とか、そういったものを書いてみようと思う。

最初のラオス旅行は、2002年7月。今から16年前になる。
この時、ビエンチャンからバンビエンを経由してルアンパバーンに行っている。
2007年に、南部の町パクセーに滞在。
2008年には世界一周の途中で寄って、ビエンチャンにのみ滞在。
2009年には、チェンマイから飛行機でルアンパバーンだけに滞在。
昨年、2017年には、サワナケートのみ滞在し、計5回ラオスを訪れたことになる。

ルアンパバーンだけの変遷を見ると、2002年からは激変していると言っていい。
世界遺産の指定という事実が観光客の激増に繋がり、ホテルやゲストハウスは10倍以上の増加。
それに伴う、レストランや土産物など、観光関連業の増加。
結果的に物価は上がり、貧乏旅行はしにくくなっている。


一人だとこういう店の常連

ラオスに個人で旅行するなら、もうルアンパバーンは避けた方がいい。
ラオスという国に何を求めて旅行するのか、そこをはっきりしておいた方がいい。
ルアンパバーンは世界遺産の町だが、それほど観光資源がある町ではない。
観光客も多く、素朴な触れ合いを求めるのには適しない。

総体に、ラオスで観光客が訪れる町では、金銭的な面で不愉快な思いをすることが多い。
最初に行ったときは、全くそういう印象を持たなかったのだが、
年々その傾向が強くなっている。

ファイサーイの宿で追加料金の交渉を受けたこと、
パークーベンの宿が、目先の利益のために宿の変更をしたこと。
極めつけともいうのが、ルアンパバーンの両替屋でのごまかし。

これについてはブログで書いていなかったが、
50ドルを両替したとき、キップの小額紙幣3種類で渡してきたので、不審に思い確認したところ、
50,000キップ少なく渡したのである。
夜の繁華街の個人両替屋で、多分確認するとは思わなかったのだろうが、
足りないというと、不満そうな顔で黙って高額紙幣に替えて渡してきた。
これがラオスの現実で、ラオスはすでに拝金主義の波の中にあるという気がした。


美味しそうな光景。こういうのを見るとまた行きたくなりますね

最近ラオスを旅した人の中には、よくぼられたという話を聞くが、宜なるかな。
だが、これはあくまでも観光客として接する人たちのことで、
そうでない人々は相変わらず素朴で、親切で、旅人を慰めてくれるということを言っておかねば不公平であろう。
またラオスに行きたいかと言われれば、北部のルアンタナムなど、
あまり観光地化されていないところだったら行ってもいいかなとは思う。
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メコンを船下り -スローボートの旅ー 8

2018年03月07日 | タイ・ラオス旅2018
今回旅行の最後の朝を迎えた。
6時前には托鉢を見に行くことに。
まだ明けやらぬ中、多くの観光客が郵便局前の交差点へ歩いて行く。
やがて僧達の行列が来る。


左の人だかりには、喜捨する物品を売っている屋台がある

こんな風に売っている

僧達の托鉢が始まる

この人こそ本当の信仰心で喜捨する人也

少し明るくなってきた

喜捨席(レンタル)

托鉢の余りものを狙う子ども達

ルアンパバーンで毎朝行われる僧達の托鉢。
厚い信仰心で喜捨する地元の人と、喜捨を受ける僧達には、観光客の喧噪は何の関係もない。
延々と続く毎日の営みの中で、ただ信仰を磨くのみである。

今朝も食事は8時にする。しばし部屋で休んだり、荷物をまとめたりする。
朝食はまず昨日と同じ。ジュースがバナナジュースになっているのと、ジャムとフルーツが少し違っていた。
朝食後、このあとの予定をオーナーとしばらく打ち合わせをする。
チェックアウトは午後0時なので、それまでは部屋を確保して、その後は荷物を預かって貰い、
午後3時にバンで空港まで80,000キップで送ってもらうことに。

9時過ぎに宿の前の朝市通りを通って、王宮に行く。
朝市はまだまだ賑わっている。


まだ寒かったのね

大きい川魚。ナマズもいますな

ものは新鮮です

米屋さん。大きな袋の手前2つがカオニャオ(餅米)。先は全部うるち(長粒米)

王宮に来る。結構な観光客で賑わっている。


記念撮影その1

記念撮影その2

王宮にある蓮池

王宮を後にして、すぐ目の前にある、プーシーの丘への登り口広場に行く。


そこから見た王宮

王宮入り口。バイクのアイスキャンディー屋さんがいましたね。

隣のベンチで休むお坊さん。向こうを向いて何をしているかって?スマホを操作しているのです。
お坊さんの世界もITなのです。

昼前に宿に帰って、荷物を預けて9年前に泊まったホテルの場所に行く。
話しながら歩いていた私たちの日本語を聞きつけたのか、路地奥のゲストハウスの女性が声を掛けてきた。
日本人の方で、ゲストハウスを2軒とメコン川沿いに日本語レストランを営業しているという。

彼女によると、「ニューダラハットビラ」というホテルは随分前にオーナーが変わって、今は名前が変わっているそうな。
建物は9年前の面影を残しているが、ちょっと目には分からない程度には変わっている。
1時前に、先ほど聞いたメコン川沿いのレストランに行く。
いろいろオーダーして、最後のビアラオも飲んで、まったりと時間を過ごして、2時半頃出る。
宿に帰って、レセプションのある部屋でしばし休憩し、トイレを借りて、バンが来たので宿を出る。


部屋があった棟の前で、記念撮影。いい宿でした

宿の庭のバナナ。このようにして実になるのですナ

空港は随分立派になっていた。
バンコクまではバンコクエアーで、バンコクから福岡まではタイエアーだが、
荷物だけは預けると、ルアンパバーンから福岡までは、バンコクをスルーで運んでくれる。
さすがにボーディングパスは発券してくれなかったが、これはバンコクのスワンナプーム空港で貰えば済むことである。
さよならルアンパバーン。
もう静謐さは望むべくもないが、多分再来することもないだろう。

>※王宮といっても王様が住んでいるわけではない。ラオスは社会主義国家で既に王はいない。
 単なる観光地として機能しているだけのようだ。
※空港までは、トクトクだと50,000キップと言われた。あの程度の距離ならトクトクでも十分だが、
 4人になると荷物もあって、ちょっと手狭というのと、ホコリが煩わしい。
※日本人女性が経営するゲストハウスは、ソークミーサイGHで、通りから少し奥まったところにある。
 郵便局前をナイトマーケットと反対に歩いて、最初の三叉路をメコン川の方に右折すると、中程の左側にある。日本語の看板あり。
※その通りをメコン川に向かって、川沿いの道を横断すると、川沿いに日本語の書いた看板がある。
 ここが彼女が経営するレストラン。味も料金も普通のレストラン並み。決して安くはないのでそのつもりで。
※カイペーン(川海苔)は袋入りで売っている。宿前の市場通りには沢山ある。枚数に応じて料金が変わる。
 焼いて食べると香ばしくて美味しいらしい。
※郵便局のある交差点をメコン川方向に歩いて、川沿いの道に出た左側角にある壁のないオープン食堂が、
 昼時には大人気で、中国人観光客の10人ほどの団体が食べに入った。地元食堂で、とてもきれいとは言えない。
※バンコクのスワンナプーム空港では、ボーディングチケットがない場合、3階のトランスファーカウンターで発券してくれる。
 場所は、東と西の2つあって、ゲートに近い方に行く。どちらがゲートに近いかは、インフォメーションに訊ねるといい。
 行くときに国内線に乗り継いだ場所から、3階に上ればよい。
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メコンを船下り -スローボートの旅ー 7

2018年03月02日 | タイ・ラオス旅2018
6時半前に郵便局前に行くと、既にほとんどの托鉢は終わったようで、観光客は帰っている。
明日の朝じっくり見るか。


明るくなってきた頃にナイトマーケット方角から一団体(?)

朝食は8:00からゆっくり摂ることに。
ル・ブーゲンビリアの朝食はなかなかの充実ぶりである。
パッションフルーツジュース、タピオカの入ったミルクセーキのようなもの、ヨーグルト、
フルーツ、コーヒーか紅茶、パン+バターとジャム、卵料理は3種から一つ+ソーセージ。
たっぷりと時間を掛けて楽しめる。


今回の旅行で最も充実の朝食。朝は寒いのです。上着は欠かせません

昨日、オーナーに、クアンシーの滝へ行く話をしたら、
エージェント(ツアー会社)なら一人50,000キップ、トクトクをチャーターするなら150,000キップ。
バンをチャーターするなら、350,000キップという答えを得ていた。
結論から言えば、バンをチャーターすることにしたのだが、
理由は、自由な時間調整ができること、トクトクは片道約30㎞の往復には辛すぎる。
またもや、高齢を理由に一番楽なバンになったのです。
一人なら、混載ツアーですな。

9:30に迎えに来たバンに乗ってクアンシーの滝へ行く。
高低差のある結構ハードな道で、トクトクでなかったことに感謝。途中自転車で行く猛者に会う。
1時間まではかからなかったが、予想外に時間がかかって着くと、既に車と観光客がひしめいていた。
公園入口で入場料を一人20,000キップの80,000キップ払って入る。


クアンシーの滝の入口

最初に熊のいる檻があり、ここはスルーする。
少し行くと、水の音がして、なかなか幻想的な色の流れが見える。
水が溜まったところには、入って泳いでもいいところと、入水禁止の場所があり、
泳いでいい場所の近くには更衣室が併設されている。
今の時期は陽射しがある場所は暑いのだが、日陰は涼しいので、さすがに水は冷たいのだろう。


座禅を組む男一人。にやけ顔では悟りは無理ですな

綺麗どころその1

綺麗どころその2

綺麗どころ(?)その3

中国の黄龍景観区を思わせるところがあります

一番奥にある、これがクアンシーの滝ですな

11:30には見物を終えて、公園入口から真っ直ぐ続く道の両側にある売店を冷やかす。
その後駐車場で自分たちのバンを探し、乗り込むとすぐ発車。
次々に観光客を乗せた車が来て、駐車場は大混雑。
乗用車で目立つのは中国ナンバーの高級車。国境を越えて自家用車で観光に来ているのだ。
中国べったりの社会主義国ラオスは、物価も安いし、中国人富裕層にはもってこいの観光地なのだろう。
数年前まではあり得なかった状況。いと哀し。


中国ナンバーのアウディ

昼過ぎにルアンパバーンに帰り、郵便局の前で止まってもらう。
ここで運転手に料金を渡して、歩いて宿に帰る。
Nさんと二人でカオソーイ屋を探し、道路端にある店で昼食。
どうやら私たちが最後の客だったようで、麺に載せる具もスープも底を掠って注いでくれた。


え~え、衛生的とは言い難い店ですが、熱湯を使った食べ物ですから、大丈夫でしょう

見るからに美味そうでっしょ。タイで言うカオソーイとは若干異なりますが、こちらもいけます

で、午後は何もすることはない。
カオソーイ屋の帰りに、近くの店でビアラオのラージボトルを2本買って宿に持ち帰る。
Nさん夫妻と私たちの部屋で柿の種などを摘まみながら歓談する。
3時半にはそれも終わり、それぞれの部屋で休憩。

6時になって宿を出て、ナイトマーケットへ。
今回は土産はあまり買わない予定で、軽い小物を何点かというところ。
ナイトマーケットの客の大半は中国人で、次に欧米人、日本人は時たまいるくらい。


モン族は刺繍に優れた少数民族で、それにちなんだ土産物が多い。

木綿製のライトカバー。今我が家の玄関に使っています。

托鉢用の鉢ですな。これを買ってどうしようというのでしょう

ここは賑わう前の屋台路地です

屋台よりも前の女性の逞しい○○に目が行ってしますのは私だけでしょうか

ナイトマーケットの先に、9年前に食べたレストランがあったので、そこに入った。
Nさん夫妻は1月と2月にそれぞれの誕生日。
今回は合わせて申し訳ないが、2人一緒の誕生日を白ワインで祝うことに。
メコンの魚のフライ、野菜の天ぷら、スープ、カイペーン(メコンの川海苔)、カオニャオ。


魚のフライは、とても一人では食べきれない

カイペーンは淡泊で美味しい。日本の海苔とは一味違う

白ワインを飲んだので、若いスタッフが一人付いていて、
グラスのワインが無くなると、ワインクーラーから注いでくれる。
仕方ない、最後に10,000キップのチップ(駄じゃれっぽいな)を渡して、ラオスでの最後の夕食も終わる。

帰りもブラブラと歩いて、屋台小路を通って帰ると、一気に客でごった返している。
ここも中国人が多いなぁ。欧米人が小さくなっているような気がするくらいに騒がしい。
一人か、T氏とならきっとここで飲んだくれていたろうな(飲んだくれるのは自分だけか)。


美味そう!

こんなんもあります

これも人気

バックパッカー向きですなぁ

中国的庶民食堂を感じるのでしょうか

20年近く前に初めて来たルアンパバーンの面影は今は無い。
多分、もう来ることはないのだろうなと、少し寂しい思いと、やるせない思いで宿に帰った。
光陰矢の如し。私も既に古希を過ぎたのだ。仕方あるまい。


※托鉢を見るのに一番のビューポイント(?)は、郵便局の前の通り。
 びっくりしたことに、観光客用の喜捨用椅子があって、これを貸す商売にしているオバさんがいて、
 喜捨の余りを貰って回る子どもたちが屯している状況は、神聖な托鉢とは対極にある。
※クアンシーの滝までの道は一応舗装してあるが、舗装状態が良くない上に、高低差のある山道が長く、トクトクでは若干辛い。
 ツアーで行けば、バンの乗り合いツアーになるが、同じような車で駐車場は溢れているので、ナンバーを控えるか、
 ナンバーや特徴をデジカメに撮しておかないと乗れなくなる。
※ナイトマーケットの歩行者天国の通りには、レストランはほとんど無い。ワットシェーントン方向のその先の通りに沢山ある。
 バーやイタリアンの店など、結構バラエティに富んでいる。
※郵便局の交差点の対角線には、昔はモン族の広場という、モン族の土産物の店があったが、
 今でも昼間には屋台の土産物の店や食べ物の屋台がある。
※ナイトマーケットでは決して言い値で買ってはならない、という訳ではないが、値切ればかなり値切ることができる。
 ま、掛け値が相当額あるということだ。
※屋台路地では、ビアラオのラージボトルが15,000キップと言われた。決して安い料金ではない。
 料理については料金は分からないが、レストランに比べれば安いだろう。いかにも東南アジアらしい雰囲気も料金のうちか。
※ルアンパバーンは世界遺産になってから観光客が増大し、物価は急上昇している。
 特に、中国の春節の時期は宿の8割以上が満室になるようだし、この時期は避けた方が無難である。
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メコンを船下り -スローボートの旅ー 6

2018年03月01日 | タイ・ラオス旅2018
夜が早いので、目覚めも早い。
6時40分には朝食に行く。メニューは同じで、4セットの中から選択する。
サンドイッチを船内の弁当に注文して金を払う際に、宿泊で迷惑を掛けたから代金は入らないという。
当然といえば当然か。もう1個余分に頼めばよかった。

7時45分には船に乗る。
パークーベンからの船には、座席番号は置いてない。
これも当然といえば当然。
ファイサーイ-からルアンパバーンまでの通しのチケットに印字してある席番は、
今日乗らない人や、ここから乗る人もいるわけで、それに船が変わることもあるので、早い者順の自由席である。


朝の船着き場。この中にルアンパバーン方面の船とファイサーイ方面の船が停まっている

早めの席取りが重要なのです

結構都合のいい席を取って、もう船外には出ない。
9時発だし、パークーベンでもう見るものはないし、座って駄弁って時間を過ごす。
だらだらと客がやってきては乗り込む。
もう既に、満席に近く、時間は30分以上遅れている。
それでも待っているのはまだ客がいるということなのか。


この足場の悪い中、バイクを積み込むために、大の男が悪戦苦闘

イライラして待っていると、やっと最後の客らしい、憎々しい(腹立たしい)のが乗船して、
約1時間遅れで船は出る。
乗船客は約130名。これに相応の荷物が載っていて、よく沈まないもんだ。
しばらくして、乗船チケットを集めに来るが、通しのチケットを持っていない者はここで支払う。
パークーベンからルアンパバーンまでは、一人当たり105,000キップ(約1,500円)。
実は、ファイサーイ-からパークーベンの距離よりパークーベンからルアンパバーンまでの方がかなり距離が長い。
それでも料金は一緒というのがラオスらしくていい。

途中の村々に寄っては、客を乗せたり下ろしたりする。
船に乗り込む、その方法が面白い。
あるところでは、船着き場が砂地なので、大きな船は底がつかえるからか、女性が履き物を脱いで裸足で近づいて乗り込んだ。
また、同じような理由だろうが、乗り込む先が若干深いからか、
小さな船でスローボートに接岸した状態でスタッフの手助けで乗り込んだりと、
様々で退屈しない。


小舟を寄せて乗り込む

よっこらせと乗り込む

バイバイ

4時前にルアンパバーンの観光地であるパークーの洞窟が見える。
もうすぐだぞー、と思ったが、ルアンパバーンの船着き場までは1時間要した。
市内から結構上流にある船着き場から道までは、かなり急な階段を上る。
荷物を持った上さんたちは、フウフウ言いながらやっとの事でトクトクが待つ道に出た。


パークーの洞窟。観光客の船が着いている

トクトクのチケットオフィスで一人20,000キップの80,000キップを支払い道に出る。
数台待つトクトクに乗客を振り分ける男がいて、その指示で1台に乗り込む。
途中歩いているバックパッカーを見かけるが、そりゃあ無理だろう。
町まで10キロ以上はあるはずだ。いま5:30。午後8時近くになっちまうよ。
それとも途中で安いトクトクを止めて乗り込むつもりか。ん~ん、それも無理かも。

6時前にはトクトクは町の中心部に到着。
思い出したぞ。ここは郵便局前の交差点だ。確かにもうナイトマーケットの準備ができている。
自分の立ち場所が分かれば宿はすぐ分かる。
地図を頼りに探すと、ルアンパバーンの宿、ル・ブーゲンビリアの歳の行ったフランス人の女性オーナーがいて、チェックインをする。


とてもさばけた女性オーナーだった。

ル・ブーゲンビリアの中庭。

非常に綺麗な宿で、その中でも一番いい部屋という贅沢である。1泊約9,000円(2人で)。
一人だとこんな贅沢はしない。数年ぶりの奥方連れだからこその贅沢。
ベッドはダブルとシングルの2台、テラスのある部屋で、広くてシャワーの湯量も豊富。
荷物を解いて、9年ぶりのナイトマーケットに繰り出す。
買い物は明日の夜にすることで、まずは夕食。

路地をナイトマーケットに出たところに大きなレストランがあって、中国人が一杯いる。
我々が座ると、若いスタッフが中国語のメニューを持ってきた。
日本人だからと断ると、慌てて英語メニューを持ってきた。
丁度春節の時期だったからか、中国人観光客で溢れかえっていた。
大抵の宿も満室の張り紙があった。勿論我々の宿も。


ラオス料理のラープ

カオニャオが入った器。向こうにぼんやり移っているのは、髭のおっさん

夕食は、5種類ほどのおかずとカオニャオを注文。
まずはビアラオで9年ぶりのルアンパバーンに乾杯。
夕食後、一寸だけナイトマーケットを散策して、帰って早めに寝る。

※パークーベンから出るルアンパバーン行きの船の発時は午前9時。乗客は8時頃から混み始めるので、
 7:30くらいには船に乗って、席を確保しておくといい。何か置いておけば席を取られることはない。
 船に乗り込むときの時点ではチケットの確認はしない。
※出航してからしばらくして、船のスタッフが乗船券を集めに来る。
 ルアンパバーンまでの通しチケットを持っている場合は、それを渡すため、前日から決して失わないように大切に保管しておくこと。
 我々のように、パークーベンまでのチケットしか購入しなかった客は、この時ルアンパバーンまでの料金を支払う。
※ルアンパバーンまでの所要時間は、約7時間。途中の乗降客の多寡にもよるが、
 パークーベンを定時に出発すれば、ルアンパバーンには5時前には必ず到着する。
※パークーベンの船着き場は、非常に足場が悪いので、乗り降りには十分注意されたい。
※ルアンパバーンの船着き場から堤防上の道路まではかなり急な階段を上る。
 大きな荷物は専用のポーターに運んでもらうこともできる。料金は分からない。
※そこに上がったら、右手にがらんとした建物があって、デスクに2人座っている。ここがトクトクチケット売り場、
 ここでチケットを買わないと、客待ちしているトクトクに乗ることはできない。1人20,000キップ。
※トクトクはホテルまでは送ってくれない。郵便局のある4差路が終点。経路の途中にホテルがあればそこで下ろしてくれる。
 この4差路からナイトマーケットが始まっていて、車は通行できない。
 多くのホテルやゲストハウスはこの近辺に集中しているので、できればこの近くに宿を取ると便利である。
※ル・ブーゲンビリアはこの4差路をメコン川方面に歩いて最初の路地を右折する。この通りは路上市場で朝から賑わう。
 その市場通りの最初の狭い路地を右折して、ナイトマーケットに引き返すように向かう通りは、夜は屋台食堂街になり、観光客で大賑わいになる。
 バックパッカーのたまり場のような雰囲気で満席のことが多い。
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