ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

天安門事件

2011年06月05日 | 中国を思う
長いこと、中国に個人旅行をするのは控えていた。
その最大の理由は、天安門事件による学生等を戦車などの武力で死に至らしめた、
中国民主化弾圧への抗議の気持ちがあったからだ。
しかし、今年であれから22年の年月が過ぎ、このままではこちらの方がくたばってしまう。
そう思って昨年初めて雲南省の方を個人旅行をした。

天安門広場の前の道路にも公安の車

天安門事件に対する中国政府の見解は、「一部学生等の暴乱」ということで一貫している。
中国政府は、何故民主化を恐れるのだろうか。
広大な国土に様々な民族が共存する中国では、
一度民主化の灯がともれば、それは燎原の火の如く広がり、
チベット自治区を始め、至る所の自治区で漢民族の支配が崩れるのは明らかで、
そのことを最も恐れているのではないかという気がする。

左に公安がいて、その横にセグウェイがある。

さらには、民主化による権力構造の変化。
権力に伴う権益の喪失。
そのことが中央から地方に至る役人たちに共通の認識としてあって、
民主化を強権的に弾圧する構図として成り立っているのだろう。

天安門広場には公安の車が数台駐めてある。

雲南省を旅行して、権力とは無縁の普通に生活している人々と触れあい、
対日教育の影響など微塵も感じさせない優しさや親切に触れ、
あぁ、中国に旅行に来て本当によかった、そう思ったものだ。

中国共産党員の方々、皆さんによく見えない、いやよく見ようとしていない人々は、
日々を懸命に生きて、見知らぬ日本人にも分け隔てなく接してくれる、素晴らしい人たちです。
どうか彼らが少しでも豊かに、自由で平安に暮らせるようにしてやって下さい。
それが民主化ですから、何も恐れることはないはずですから。
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中国語

2010年07月15日 | 中国を思う
中国旅行をするので、というきっかけで中国語を少し勉強してみようと思った。
同じ漢字だし、くらいの軽い気持ちだったが、そうは問屋が卸さない。
日本や台湾の漢字は繁体字、中国本土は簡体字の漢字である。
簡体字というのは、何を略したのか分からない文字が頻繁に出てくる

東や車の簡体字は、日本でも略字で書くときと同じで分かるのだが、
業の簡体字など、上の5画までで、下は完全に略されているので、一文字だけでは理解できない。
漢字発祥の国が、こんなに乱暴に自分たちの文化を捨てたのかと思うと、残念でならない。

それはともかく、簡体字が分かれば、ある程度中国語の文章は理解できる。
しかし、会話は無理だ。
まず、漢字の発音自体がほとんど異なる。
(たとえば、好は、ハオと発音する)
字の意味が異なるものも沢山ある。
(去は、我去阿蘇と用いれば、行くという意味になる)

ま、それらをある程度克服したとしても、一番の問題は発音である。
主語述語や目的語の並びはともかく、発音はやっかいだ。
中国語には、母音のイントネーションに四音というのがあって、
第一声から第四声まであり、この使い分けで意味が変わるというやっかいさだ。
日本人にはとても区別できそうにない、と思うのだが。

NHKの「テレビで中国語」を見ていると、
ピンインの間というコーナーがあって、これがやたらと難しい。
たとえば、anとangは微妙に発音が異なっていて、
その発音の仕方を説明するのだが、たったこれ一つができない。
是(shi)は、舌を上あごにくっつけないで、シ-と発音するなどといわれてもほぼ不可能。
これらを会話の中で使い分けるなんて、無理だ。
中国4千年の歴史は言葉でも深いのだ。

ということで、やってはみたものの、中国語の会話は難しいということが理解できた。
だが、文法自体は簡単そうなので、NHKの放送だけは見ている。
だって、出演者の鶯と燕の双子姉妹がとっても可愛いのだ。
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上海万博

2010年04月30日 | 中国を思う
上海万博が明日開幕する。
40年前、いわゆる70年安保の年、1970年に大阪万博が開催され、
その年、大学を1年休学してアフリカに渡った。
いろんな意味で人生の転機となった年だったことを、
そしてあまりに若くて思慮が浅い人間だったことを、今更ながらに感じる。

今年、本格的に中国を旅行することになる。
ツアーで行ったことはあるが、個人旅行は初めてになる。
何故今まで中国旅行を避けていたのか、
それはある事件をきっかけに、中国に旅行する意志が失せ、
それが改善されるまでは行くまいと誓ったからだ。

いまだに改善されない状態で、それでも旅行する気になったのは何故か。
やはり、中国列車大紀行を見たのが最大の理由だろう。
世界中何処でも、国家のあり方は様々あって、
そのあり方に賛同できないとか、嫌悪感を感じたりとか、
人それぞれの信条で、これまた様々な感想を持つのは仕方ない。

しかし、国家のあり方がどうあろうと、
そこに暮らす人々は、今の自分の日常とさして変わらない日常を送っていて、
国を抜きに接したとき、人間というのは結局のところ、
良きにつけ悪しきにつけ、皆同じなのだという原点を見る。
そうであるなら、国家のあり方を理由にその国を訪れないのは、あまりに狭量というものだ。

だから、上海万博には行かない。
1970年の日本と同じく、国家の威信をかけた万博を見るより、
自分の故郷から出たこともないような人々と話し、
地元の酒を飲み交わし、彼らの行きずりの友となることを選ぶ。
それが中国を旅行することにした一番の理由で、最大の目的なのだから。
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千里走単騎

2010年04月08日 | 中国を思う
先日、阿蘇のレンタルショップでやっと見つけて借りてきた。
「網走番外地」時代からの高倉健ファンとしては、
ほとんど唯一見逃していた映画だった。
見てどうだったかって。もちろん涙しました。
年を取ると、本当に涙もろくなると言うことを実感した。

題の「単騎千里を走る」は、中国仮面劇で演じられる演目の一つで、
それに関わっていく親子を中心に描いた映画である。
もともと、「千里走単騎」は三国志に由来するもので、
劉備元徳の義弟、関羽が宿敵曹操の手に落ちるが、
劉備の妻子を伴い曹操の下を脱出し、劉備のもとへ帰還するという話から来ている。

ジョン=ウー監督で大ヒットした「レッドクリフ(赤壁の戦い)」も三国志が題材で、
その中では、関羽や張飛は戯画的に扱われているが、
関羽は沈着冷静で、義に篤く、中国でも人気の高い人物であり、
そのためか、商いの神様としてあがめられている地方もあるらしい。

さて、映画の内容はともかく、注意してみたのは画面、と言うか、その中の風景である。
夜の麗江の町を歩く高倉健もさりながら、むしろ麗江の町並みの懐かしい香り。
長街宴などの撮影場所となった、束河村の通りや、人の息づかい。
上から見下ろす、昔風の瓦葺きの屋根々々。
郊外の遙か彼方に冠雪した高峰。

それら全てが、旅心をこよなく刺激するのだ。
この映画は、一人の日本人が、
中国の地方に根付いて生きていく人々の親切に出会う数日間を描いた作品でもある。
そういう意味では、関口知宏の中国列車大紀行に通じるものがある。

かっての(いや今でもそうか)日本人のように、
拝金主義者が横行する中国で、急速に失われる人の絆。
主役の日本人親子もさりながら、中国人の親子、そこに住む人々を題材に、
人と人との結びつきを、素朴に結びつくことの大切さを描いた映画でもある。
監督のチャン=イーモウの狙いはともかく、この映画から私が一番感じたのはそこだった。

旅をすると、よく感じることがある。
人と人は、こんなにも率直に話し合え、仲良くなれるのに、
何故、国という衣を身に纏うと、人はそうなれないのか。
人は、国民である前に、人間であるのに。
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中国列車大紀行

2010年04月07日 | 中国を思う
関口知宏という一人の青年が、
春と秋、数ヶ月をかけて中国の列車に乗り継いで旅をする。
彼は、旅の先々で印象に残った風景や出会いをスケッチブックに残していく。
一見漫画的だが、その絵の才能は常人を遙かに超えている。

ギターを持てば、弾き語りで日本の歌を紹介したり、
多方面にわたる彼の才能には羨望を抱いてしまう。
そして、何よりもこの旅を魅力的なものにしているのは彼の感性である。

旅をすれば実に様々な人との出会いがある。
その出会いを、どのようなものにするかは、旅人の心持ち次第なのである。
楽しいものにするのか、気まずいものにするのか、
特に、中国という、日本とはある意味、歴史的認識が微妙に異なる国では殊更に。

日本人と会うのは、彼が最初で、多分最後になるであろう人たちと、
彼はたくさんの出会いをし、
最初は幾分の警戒心を抱かれても、いつか打ち解けていくその様は、
ああ、旅人の有様こそが、旅のあり方を決めるのだと悟らせてくれる。

この旅の最後に、綿花畑の収穫を一人でしている女性がいて、
その収穫を夕暮れになるまで関口は手伝う。
その作業の中で、女性が、
「私は幸せよ。去年より綿花の値段が少し上がったから。」と言う。

彼女が収穫できるのは日に2袋。金額で120元(約1,800円)。
やがて夕暮れになって、夫が迎えに来て、女性は関口に、
「今日は本当にありがとう。」と、はにかみながら別れる。

関口のスケッチブックに、こう書かれていく。
「私は幸せよ、と言える幸せ。」
そう綴ることのできる彼の感性に、私はこの旅以上に惹かれるのだ。
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