ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

チェンライでの事件

2011年04月27日 | 日記(?)
つい先月6日間滞在したタイ北部の町、チェンライ。
そこで日本人がタイ人ガイドに銃で撃たれたというニュースがあった。
熊日によると、日本人は旅行者と書かれているが、
毎日新聞社のサイトによると、日本人の方も銃を所持していたようで、
遺留品から、薬物がらみのトラブルではなかったかというニュアンスである。
チェンライは、かの有名なゴールデントライアングル(麻薬栽培地)から数十キロにあり、
その関係かとも思われるのだが、こういうことが起こると、一介の旅行者としてはいささか怖い。
チェンライは私の大変気に入っている町で、
タイ南部に比べて穏やかで、あまり事件など無い町だと思ってきた。
  

チェンライの夕市。人々も穏やかなんだが。
  
一方カンボジア国境では、世界遺産に指定されたプレアビヒアを巡って国境紛争があっているし、
タイも危険というほどではないが、少々落ち着かない感じだ。
 
実際に行って暮らしてみると、こういったニュースはごくごく特殊なことで、
特になんということはないのだが、家族は心配して止めたがいいんじゃないかと言い出す。
困ったものだ。
 
チェンライの人々が、この事件をきっかけに日本人を特殊な目で見るようにならなければいいが。
妙な波及の仕方をされると、また行こうと思っている身には大変迷惑なのだから。
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一心行の桜

2011年04月15日 | 日記(?)
先日、世界一周中にペルーのリマの宿で知り合った友人が来た。
彼とは、鹿児島で一度、名古屋で一度、毎年一回会っては飲んでいる。
 
今回は長崎から熊本佐賀を旅行ということで寄ってくれた。
熊本市内の居酒屋で久しぶりに会って、彼のスペイン旅行の話など聞いた翌日、
自分の車で阿蘇を案内した。
阿蘇山上は硫黄ガスが多く、火口見物ができないので諦め、南阿蘇の方に降りた。
 
丁度、テレビでもよく放映のある「一心行の桜」が満開だったので、そこに行った。
この桜は約450年ほどの古木で、山桜である。

日本の桜の銘木紹介では必ずと言っていいほど紹介される有名な桜なのだが、
自分はまだ見たことがなかった。
我が家から30分くらいのところにある気安さから、いつでも行けると高をくくって10数年、
それともう一つの理由は車の混雑が嫌いというのがある。
そんなこんなで初めての一心行の桜見物。
 
平日の月曜日にもかかわらず、雲一つ無い青空のせいか、多くの人が訪れていた。
この桜の木は数年前に台風だったか、災害で枝が折れ、立ち姿が今ひとつバランスが悪くなったが、
それでもびっしりと花をつけ、穏やかに咲き誇っている姿は見事だった。
友人もたいそう喜んでくれて、案内する方もホットしたものだ。
 
菜の花と桜と青空のコントラストが美しい。
 
その後時間があったので、高森の千本桜もついでに見てきた。
九十九曲がりという、つづら折りの道沿いに植えられた桜の木々はほぼ満開で、
なかなか風情のある景色だった。
 
昨年は、東京・名古屋・大阪・奈良・姫路・広島と桜を満喫してきたが、
今年は地元の桜を満喫することになった。
わざわざ阿蘇まで来てくれたOさんのおかげです。ありがとう。
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今年の高菜

2011年04月08日 | 日記(?)
今年は異常に寒い日が続き、つい最近まで阿蘇では最低気温が零下だった。
3日前から暖かくなり、一気に桜が開花し始め、今日は既に八分咲きというところ。
 
そういう気候のせいか、今年の高菜は非常に生育が悪く、
やっと昨日で高菜折りが終わり、高菜の漬け込みが終わった。
いつもなら、3月20日前後が高菜の収穫時期で、2週間以上の遅れだった。
その上にいつもより茎の伸びが悪く、漬物としてはあまりよくない。

阿蘇の厳しい冬を越してこその美味い高菜なのだが。
 
しかし阿蘇高菜は今の季節にしか味わうことができない旬の味。
4斗樽で2樽と2斗樽1樽を漬けたので、4斗一つは1年中食べられるように漬け直し、
後は青菜の漬物の状態で友人知人に送ろうと思っている。
青菜の漬物も、3~4日後に、塩と胡椒を振って漬け直し、3日ほどしてから送られるようになる。
一概に高菜漬けと言っても結構手間暇かかるのだ。
 
特に一年間保たせようとすると、漬け直しの塩加減も難しく、
梅雨の時期までは、漬けた桶の表面に出る漬け汁を毎日掬っては捨て、
重しや表面の灰汁をスポンジできれいに拭き取るのだ。
そうやって初めて一年間高菜を食べることができる。
 
そうはいっても高菜の旬はやはり春で、阿蘇で言う青高菜こそが高菜の真骨頂である。
ただ青高菜の時期は長くても2週間、それを過ぎると色が変わり始める。
色が変わり始めると、独特の風味がなくなって、特徴が失われる。
 
さて、今年の高菜はうまく漬かるのか。
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タイで、ひねもすのたりな日々を XII

2011年04月07日 | タイ2011
今夜深夜に出発するので、ほぼ丸1日はバンコクだ。
土曜日なので、ウィークエンドマーケットがモーチットマイで催されるはずだ。
朝はホテルと同じ建物にある1階のレストランで食べる。
お粥セットを頼んだが、金額の割にはかなり不味い。
少し残して、部屋に帰りニュースをしばらく見てから、一応11時頃チェックアウトして、荷物を預けてマーケットに行く。
 
地下鉄で行くことができるので非常に便利だ。
道に出ると、たくさんの人出が行く方向に行けば問題ない。
店も多いが人も多い。観光客に地元の人たち。
フードコートのような場所で麺屋に入りチキンの入った麺を食べる。40B也。
少し土産を買って、暇つぶしにブラブラしたり、ビールを飲んだりしながら、BTSの駅に行く。
BTSはまだそれほど混んでいない。
 
再びビッグCに行き、まずはフードコートに行って、ビールを1本買って、1時間ほど本を読みながら過ごす。
その後、階下のスーパーに行き、少し買い物をする。
6時近くなったので、再びフードコートに行って、トムヤンクンと炒飯を注文し、ここでもまったりと過ごす。
 
午後8時頃、宿に帰り荷物を受け取り、買ってきたものを詰め込む。
エアポートリンクのマッカサン駅まで歩いていく。
タイエアーはここ(下)でもチェックインできるのだが、3時間前からということになっていて、

午前1時の発便には5時間近く時間があるので、空港でチェックインするよういわれた。
エアポートリンクのエクスプレスの乗客は、なんと6人だった。これでは赤字もいい所だろう。
 
9時前には空港に着いて、空いている椅子に座って待つ。
タイエアーのチェックイン客があまりに多いので、日本向けの客は急遽別のカンターブースになった。
ここでは3時間前には既に全てのフライトのチェックインをしていた。
ボーディングカードをもらってイミグレの手続きをして待合室へ行く。
 
実質11日間の旅だったが、もう少し長くても大丈夫かな。
ゆっくりした時間の過ごし方というのが少し分かってきたような気がするので。
また来ますね、タイランド。
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タイで、ひねもすのたりな日々を XI

2011年04月05日 | タイ2011
バンコク2日目は、特に観光とて無いが、サイアム辺りに出掛けてみようかと宿を出る。
地下鉄のペチャプリ駅でチケットを買っていると、紙を見ながらたどたどしく買っている若い女性を見かける。
多分日本人だろうなとは思ったが、なんとか自分で買えそうなので声をかけずにホームに降りる。
ホームには時間帯のせいかほとんど乗客が無く、その女性が同じ方向だったので、話しかけると、
向こうも私のことを日本人だろうと思ったが、地元民のようにさっさとチケットを買って、
地下鉄のホームに行ってしまったので、声をかけそびれたそうだ。
 
彼女は今夕の便でプーケットに行くまでの間、バンコクを少し見ていくそうで、
スクンビット駅で、BTSのアソーク駅に乗り換え、エマカイ駅で降りていった。
その駅のそばにとても御利益のある仏さんがあるそうで、そこにお参りに行くとか。下がそれ。

 
私は先で降りて、サイアムParagonに行く。
ここのATMで試しに1,000B引き出してみた後、フードコートでシェイクをいただく。
食堂街をウロウロしてみると、coco壱番があるのにびっくり。

その隣は熊本の桂花ラーメン。こちらは以前からあった店。
日本食の店も数多くあり、どこも客は多い。タイにしては料金が高いが、
それでも客が多いのはそれなりの所得層があるのだろう。
 
歩いて、ISETANの方に戻り、プラートナム市場に行ってみるが、ここら周辺は随分と様変わりしている。
ISETAN前の広場では、ヨサコイソーランのコンテストなどあっていた。
ISETAN前のビッグCのフードコートで、魚フライのあんかけとご飯で昼食を済ませ、

下のスーパーでビールを買おうと思ったが、スーパーやコンビニではアルコール類は午後5時までは販売しなかった。
 
3時頃宿に帰ると、朝出るとき一緒だった女性が荷物を持って宿を出る所だったが、
彼女が、日本で大きな地震があったのを知ってますかと聞く。
早速部屋に帰ってテレビでNHKワールドを見るが、酷かったことは分かったが、詳細は分からない。
夜までずっとテレビニュースを見たり、ネットニュースを見たりした後、
再びサイアムにでて、サイアムParagonに夕食に行く。
 
今夜は最後だということで、日本食の店で大贅沢。ビールも入れて1,100Bの大散財だった。
その後宿に帰ってからも遅くまでニュースを見て、だんだん大惨事の詳細が分かるようになった。
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