久しぶりに来店したWさんは憔悴した様子で呟いた。
「マスター、Nさんが死んじまったよ。」
WさんとNさんは以前よく一緒に飲みに来た仲で、
Nさんが2才年上の、大学の先輩だった。
Wさんは、ジンリッキーを飲みながら、
遠くを見る目でウィスキーの並んだ棚を見ていた。
リッキーは、スピリッツにライムの果肉とソーダを加えて作るカクテルで、
マドラーで好みの味加減にライムをつぶして楽しむ。
昔、アメリカのワシントンで夏向きのカクテルとして考案され、
最初に飲んだ客のジム・リッキー氏にちなんで命名されたと言われている。
Wさんの先輩でもあり、友人でもあるNさんは、
何故かカクテルは飲まず、いつも焼酎のお湯割りだった。
カウンターの端に、「名も知らぬ駅」の名の入った甕の焼酎が置いてあるが、
年1回、それを開栓するときの、Nさんの嬉しそうな顔が鮮やかに蘇える。
「この人、ひどい先輩でね。」
最初にNさんを連れて店に来たとき、Nさんを指さして、Wさんが言った。
「学生時代、俺の同級生で同じサークルの女の子がいたんだけど、」
「その子のことを俺が好きだと知っていて、付き合い始めてさ、」
「とうとう結婚までしてしまったんです。」
その時、Nさんは、また始まったといった風に苦笑いを浮かべていた。
これはまんざら嘘ではないようで、
Wさんは、当時サークルのマドンナだったNさんの奥さんが、
どんなに美人だったかを、来るたびに話してはマキちゃんの顰蹙を買っていた。
WさんとNさんは、2月に1回か2回のペースで一緒に来ていたが、
1年過ぎたあたりから、Nさんの飲むペースが速くなり、
少し控えた方がいいんじゃないかと思えるほどになった。
それからまた1年ほど過ぎて、その間Nさんはすっかり姿を見せなくなったが、
Wさんの様子を見る限り、理由を聞くのは躊躇われた。
0時を過ぎて、一人になったWさんは、問わず語りに話し始めた。
Nさんが4年ほど前に始めた事業は順調だったのだが、
友人の連帯保証で大きな負債を負い、会社を手放すことになった上に、
酒に気分を紛らわせていた最中に、車を運転した挙げ句に自損事故を起こし、
同乗していた一人娘に、一生治らない怪我を負わせてしまった。
それからますます酒におぼれたNさんを、
奥さんと娘さん共々、見限って家を出て行ったということだった。
酒におぼれる悪循環の中で、Nさんは急速に身体を壊したようだ。
なくなる2週間ほど前に、Nさんを家に訪ねたとき、
「W、上さんと娘はどうしてるかな。」
「何かあったら、おまえが力になってやってくれ。」
と、Nさんに言われたそうである。
Wさんは、在学中にずいぶんNさんに世話になったようで、
昨日の葬儀も全てWさんが世話したということだった。
それも一段落して、今日は精進落としだと言いながら杯を重ねるWさんは痛々しかった。
私とWさんしかいなくなった店で、
カウンターの端にある焼酎の甕に手を触れながら、
静かに涙を流しているWさんを、黙って見ていることしかできない自分が、
私はただもどかしくてならなかった。
「名も知らぬ駅」という店は実在しますが、話はフィクションです。
「マスター、Nさんが死んじまったよ。」
WさんとNさんは以前よく一緒に飲みに来た仲で、
Nさんが2才年上の、大学の先輩だった。
Wさんは、ジンリッキーを飲みながら、
遠くを見る目でウィスキーの並んだ棚を見ていた。
リッキーは、スピリッツにライムの果肉とソーダを加えて作るカクテルで、
マドラーで好みの味加減にライムをつぶして楽しむ。
昔、アメリカのワシントンで夏向きのカクテルとして考案され、
最初に飲んだ客のジム・リッキー氏にちなんで命名されたと言われている。
Wさんの先輩でもあり、友人でもあるNさんは、
何故かカクテルは飲まず、いつも焼酎のお湯割りだった。
カウンターの端に、「名も知らぬ駅」の名の入った甕の焼酎が置いてあるが、
年1回、それを開栓するときの、Nさんの嬉しそうな顔が鮮やかに蘇える。
「この人、ひどい先輩でね。」
最初にNさんを連れて店に来たとき、Nさんを指さして、Wさんが言った。
「学生時代、俺の同級生で同じサークルの女の子がいたんだけど、」
「その子のことを俺が好きだと知っていて、付き合い始めてさ、」
「とうとう結婚までしてしまったんです。」
その時、Nさんは、また始まったといった風に苦笑いを浮かべていた。
これはまんざら嘘ではないようで、
Wさんは、当時サークルのマドンナだったNさんの奥さんが、
どんなに美人だったかを、来るたびに話してはマキちゃんの顰蹙を買っていた。
WさんとNさんは、2月に1回か2回のペースで一緒に来ていたが、
1年過ぎたあたりから、Nさんの飲むペースが速くなり、
少し控えた方がいいんじゃないかと思えるほどになった。
それからまた1年ほど過ぎて、その間Nさんはすっかり姿を見せなくなったが、
Wさんの様子を見る限り、理由を聞くのは躊躇われた。
0時を過ぎて、一人になったWさんは、問わず語りに話し始めた。
Nさんが4年ほど前に始めた事業は順調だったのだが、
友人の連帯保証で大きな負債を負い、会社を手放すことになった上に、
酒に気分を紛らわせていた最中に、車を運転した挙げ句に自損事故を起こし、
同乗していた一人娘に、一生治らない怪我を負わせてしまった。
それからますます酒におぼれたNさんを、
奥さんと娘さん共々、見限って家を出て行ったということだった。
酒におぼれる悪循環の中で、Nさんは急速に身体を壊したようだ。
なくなる2週間ほど前に、Nさんを家に訪ねたとき、
「W、上さんと娘はどうしてるかな。」
「何かあったら、おまえが力になってやってくれ。」
と、Nさんに言われたそうである。
Wさんは、在学中にずいぶんNさんに世話になったようで、
昨日の葬儀も全てWさんが世話したということだった。
それも一段落して、今日は精進落としだと言いながら杯を重ねるWさんは痛々しかった。
私とWさんしかいなくなった店で、
カウンターの端にある焼酎の甕に手を触れながら、
静かに涙を流しているWさんを、黙って見ていることしかできない自分が、
私はただもどかしくてならなかった。
「名も知らぬ駅」という店は実在しますが、話はフィクションです。