ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

国酒の会2016

2016年07月11日 | 酒と料理と
阿蘇市の酒屋、千代の屋主催の「国酒の会」が今年も開催された。
地震による酒の被害は、約300万円ということだったが、さもありなん。
日本酒にしろ、焼酎にしろ、相当な品揃えで、単価の高いものが多かったのだから。

それでも、復興のために、こんな時だからこそということで国酒の会は開催された。
場所はやはり被害を受け、源泉の一本が出なくなったという「プラザホテル」。
阿蘇では誰もが何かをするときは、被災を乗り越えようと手を携えてやるしかない。
そうでないと阿蘇は生き返らない。

国酒の会2016には250人の客が、市内、県内外を問わず集って日本酒を楽しんでいた。
久しぶりに合わせる顔がいて、挨拶は地震の被害で始まり、
無事を喜び、1年ぶりに美味い酒を飲めることを楽しみ、
主催した千代の屋さんに誰もが感謝した一夜だった。

肝心の酒の味に関しては、今年はなぜか印象に残るものがなかった。
強いて言えば、「東洋美人」の地帆紅(ジパング)くらいか。
6月に飲んだ、「獺祭等外23」の味があまりにもインパクトが強くて、
何を飲んでも、舌があの味と比べてしまうようで、
その酒が持っている独自の美味さを嗅ぎ分けられなくなっている。

おまけに、加齢のせいか、嗅覚・味覚ともに若干の衰えがあるような気もする。
日本酒の微妙な美味さが、最近ぼやけるようになっているようだ。
そろそろ、いろんな酒に手を出すのは止める頃合いで、
これと思う酒をじっくりと突き詰めて飲めということかもしれない。
でも、季節限定とか、何本限定販売という宣伝文句に弱いからなぁ。

7月から始めた、週2日の飲酒日で、後の5日はノンアルコールと決めた飲酒習慣もあるので、
毎日飲んでいた今までのようには本数も必要ないし、
少々高くても今まで飲んだ酒で、これはと思うものに特化してみようかと思っている。

それでも、今手持ちの酒は飲んでしまわんといかん。
「村祐」の吟醸生、「黒牛」の特別純米生、これはいずれも1.8L瓶。
他に、4合瓶で「風の杜」アルファタイプ純大吟、「角右衛門」純吟の荒貴混和、
そして「獺祭」39のスパ-クリングが残っている。

週2日だけの飲酒だと、4合瓶でも最低3日はかかる。
その計算で言えば、24回分の酒が手持ちであるということだ。
週2回だから、12週分、つまり約3ヶ月は新しい酒は買えないのです。
これもまた寂しいなぁ。
しかし、早く冷蔵庫の野菜室を空けないと、上さんの「ほんに邪魔ね」の台詞が出そうです。

閑話休題

国酒の会、千代の屋さんの意気や良し。
来年もまた是非に開催を。
もう少し味覚を磨いて臨みますのでよろしく。
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選挙で選ぶということ

2016年07月06日 | 日記(?)
参議院選挙、都知事選挙と政治家(屋?)を選ぶ季節が来た。
ま、都知事選は突然の竜巻みたいなもので、季節とは関係ないが。

テレビの選挙コマーシャルである政党党首の言葉を聞く。
彼の第一次内閣の時は盛んに「美しい日本」という言葉を使っていたものだ。
今回は「○○ミクスのエンジンを最大限にふかす」とかのたまわっているが、
相変わらずな男だなぁと言わざるを得ない。

言葉には言霊と言って、発した言葉にはそれを実現する不思議な力があるとされてきた。
しかし、彼の発する言葉にはいつもどんなときにも言霊が宿っていない。
それは、「美しい日本」がどんな国なのか、「最大限に吹かすエンジン」の中身がなんなのか、
具体的に説明がないからであり、なぜ説明しないかというと、
自分の信じているものと、国民の考えるそれとの乖離に気づいているからに他ならない。

一方で、相当な嘘つきでもある。
消費税増税については言うまでもないが、今回の選挙コマーシャルで言っている、
「有効求人倍率」でもそうである。

有効求人倍率が1.36で、一人につき一つ以上の求人があると選挙では言っているらしい。
しかし、その内容は、正社員のそれは熊本では0.7以下である。
1以上の都道府県は8つに留まっている。

民主党時代の就業者数から3年間で110万人増えたと強調しているが、
実際には、非正規労働者が160万人増え、正規雇用者は36万人減っている。
非正規の労働者がどんな環境におかれているか、
どれほどの厳しい労働環境の中であえいでいるのか、決して語ることはない。
何故なら、彼の視線は大企業に向くことはあっても、非正規労働者の実態に向くことは絶対にないのだから、
語ろうにも語れないのだ。

自分に都合のいい数字のみを取り上げて選挙に利用する。
そういえば最近EUの離脱を巡って国民投票をしたどこかの国でもあったことだ。
選挙があった後で、あの数字は間違っていたなどと言っているが、
それは詐欺まがいの為しようではないか。

先日、ある政治学者が言っていた。
都知事のごたごたで辞任した先の知事に、都民の声が
「裏切られた」「もっと誠実だと思っていた」などの声が寄せられていたが、
それに対しての言葉。

選挙民がそう思うのは、政治家の真の動機を理解して投票しなかっただからだと。
選挙民の責任に過ぎない結果だと。

前都知事は、政治学者から政治家になったとき、どういう動機で転身したのか。
長らく政治の社会に身を置いて、いつしか腐った果実を好むようになったのだろう。
最も美味い果実は、権力のトップにあることを知ったのだから、
都知事になろうと思ったのは致し方ない課程である。

そういう意味では、政界の風見鶏のオバさんが、今回都知事に立候補したのも同じ動機に相違あるまい。
国のトップになる芽がなくなったことを、風見鶏特有の嗅覚で感じ取ったからの都知事立候補である。
熊本の地から東京の知事に誰がなろうか知ったことではないが、
そう思っているから冷めた目で見ることもできようではないか。

はて、参議院選挙。
ある政党党首の政治に関わる真の動機とは何か。
これは明らかに「憲法改正」である。
では憲法改正をしてどんな国にしたいのか。
「国家主義」である。

憲法改正案の至る所にその考えが透けて見える。
「国家覇権主義」の中国とは、「覇権」の部分が異なるだけの国にしたいと思っているのだろう。
現在の「国民主義」の憲法から「国家主義」の憲法へ、それが彼の最大の動機である。

そのためには、自分を殺しても選挙に勝たねばならない。
○○ノミクスのエンジンにはもう燃料はないのが分かっていて、
耳障りのいい言葉を国民に響かせて、選挙に勝てばこちらのもの。
憲法改正が最大の公約のごとく振る舞うだろう。

彼のその動機が見通せなくて、耳障りのいい言葉に欺され、
表面だけで候補者や政党を選ぶなら、それは選挙民の選択である。
衆愚はそれに見合う政治しか手に入れることはできないのだ。

「国家栄えて国民滅ぶ」ような国にだけはなって欲しくない。
私にも子や孫がある。彼らの将来のためにも「国民主義」の国であって欲しい。
経済は大事だが、それのみを持って国は語れない。

下手すれば「国家滅びて国民滅ぶ」そういう国にならないよう、心から祈るだけだ。
衆愚の一人である私は、さて誰を選択しましょうか。
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