ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

ア○ノマスク 番外編

2020年05月27日 | 日記(?)
番外編なので、実質的にはマスクの話題ではない。
一昨日だったか、国の緊急事態制限解除の記者会見における、
ア○クンの発言に唖然としたというか、それを通り越して吐き気がしてきた。
彼が得意気に広言した「日本モデル」とは一体何なのか。
具体的には何も示さなかったように思う。というより具体的に示せるようなものはなかったと言っていい。

政府指導で何をしたというのだ。
対策に後手に回って、思いつきで政策を打ち出しては迷走したではないか。
検査数を増やすと言って、ひと月以上たっても何も改善されなかったことを国民は皆知っている。
その間、全国の自治体では、首長を初めとして、医療関係者などなどの獅子奮迅の奮闘があったから今があるのではないのか。

私の周りでも、このふた月ほど営業を止めているホテルを初めとしたサービス業の人々が喘ぐように我慢して、
もう終わりかもしれないという境界を彷徨っている人たちの頑張りではなかったのか。
それらの全てを十把一絡げにして、全部が自分の手柄のごとく「日本モデル」を声高に発表するあんたは、
まだ届かないマスクを配っただけじゃないか。

100兆円の200兆円のという財政支出の大風呂敷を広げているが、
そりゃあ人の金だから、どんなに広げても胸も懐も痛みはしないだろう。
しかし、生活苦に晒されている人にとっては、大風呂敷の中の派手な御馳走も、自分の口に入らなきゃ絵に描いた餅に過ぎない。
相変わらずの口先男の面目躍如だ。
耳ざわりのいい、空虚な言葉を口にすることは得意なくせに、
いざ追い詰められたら、あたふたと逃げ回っているのは誰だ。

かって、高校野球の監督に話を聞いたことがある。
監督の役目は敗北の責を全面的に負うことにあるという。
高校野球では、勝利は選手のものであり、敗北は監督のものであると言われている。
彼は、野球の監督は孤独なのだという。
試合中に勝っているとき、選手は盛り上がっていても、自分は常に冷静で次の手を探っておく必要があり、
選手と同じような熱量で試合に臨むことはできないとも言っていた。
次のような話もしてくれた。
地方大会の準々決勝で、選手にスクイズを命じたが、選手がバンド空振りをして結果的に敗戦したという。
失敗した選手自身はもちろん自分を責めたし、後方の保護者席からも選手を責めるような声があったが、
監督はそうじゃないと言った。責任は自分にあるのだと。
「スクイズというのは非常にデリケートな作戦で、プレッシャーも半端ではない。そういう状況でスクイズを成功させるまでに、選手の技量とメンタルを高めてやれなかったのは自分の責任である」と。
高校野球の監督もまた過酷なのだと。

翻って、国家の監督ともいうべきア○クンの一昨日の発言は、高校野球の監督のあり方とは真逆で、
自分が典型的な反面教師ということを世に知らしめた。
コロナの沈静化がある程度成功したのは自分のおかげ。
そして検察官の定年延長については、法案を出したのも、当該検察官の不祥事に対する処分も、自分はあずかり知らぬ。
全部、検察庁や法務省に問題があったように言う。
先の監督の発言があまりに潔かったのを思い起こして、ア○の発言に腐臭のようなものを感じて私は吐きそうになったのだ。

小沢一郎が、「彼は息をするように嘘をつく」と言っていたが、まさにその通り。
自分だけならまだしも、検察官処分の件では、法務大臣の発言も一転させ、嘘をつかせている。
モリカケ問題以降、いやその前から、自分が嘘をついたことで、多くの人が巻き込まれ、
心ならずも(とばかりも言えない、正直に生きることもできたはずだが、そうしなかったのはそれぞれの責任である)嘘つきになってしまった。
それだけでもア○クンの責任は重い。
だけど、そういう自覚は全くないだろうなぁ。あったらこういう人間は恥ずかしくて穴から出てこられないに違いない。

終わったつもりが、吐きそうになるほど怒ったのでまた書いてしまった。
本当に最後にしよう。
ア○クン、お願いだからもう余計なことは言わないでね。
本当にお終いにしたいの。
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名も知らぬ駅に来ませんか 17

2020年05月21日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
ジントニック

高倉さんは、長い馴染みのお客さんである。
決まった席に座るというような拘りはあまりなくて、空いていればカウンターのコーナー付近に座るのが常で、今日もその辺りのスツールに腰を下ろした。
「マスター、ジントニックを」
高倉さんの「いつもの」は、ジントニックだが、「いつもの」というオーダーを聞いたことはない。
「いつもの」と言うことで、馴染みであることをひけらかすようなことを自分に許したくないのだろう、と思っているのだが、はて?

ジントニックと言えば、ジンベースのカクテルの中では、定番中の定番。
ジンとトニックウオーターだけのシンプルなカクテルで、ジンを4分の1、トニックウオーターを4分の3、氷の入ったロンググラスに注いでステアする。
トニックウオーターは、柑橘類の果皮から抽出されたエキスや糖分に炭酸水を加えたものである。
元々は、キナという木の樹皮に、マラリアに有効な成分(キニーネ)があることが分かり、その成分を入れた飲料として飲まれたらしい。
それにジンを入れたら意外に美味しかったことから生まれたカクテルという説がある。
熱帯地方で仕事に就いていた東インド会社の人間に飲まれたという話もある。
シンプルなカクテルだけに、ジンやトニックウオーターの種類と組み合わせによって味が異なるという、なかなかに味わい深いカクテルでもある。

「最近はね、熊日(新聞)のお悔やみ欄を見るのが慣習になっているんです」
口に含んだジントニックを飲み込んで、高倉さんは話し始めた。
「それはまたどういう・・・」
私が問うと、
「半年前になるかな。偶々お悔やみ欄を見ていたら、知っている名前があったんです」
「・・・・・」
「昔職場が同じだったことのある男でね。当時は時々2人で飲みに行ったりしていたんだが、職場が別れてからここ20年以上、年賀状のやりとりくらいの無沙汰になってしまっていたんです。そいつの名前がお悔やみ欄にね」
「ビックリなさったでしょう」
「ああ、ビックリというのもあったのだけれど、彼の名前を見た瞬間はただボーっとしてさ。現実感がなくて、ふわふわした感じで思考が彷徨うような、上手く表現できないんだけど」
「なんとなくですけど、分かるような気がします」
「その日はいろいろと考えましたね。私もそういう歳になったんだと。自分の周りの人が皆、お悔やみ欄に載ってもおかしくない歳に自分もなったんだと、そういう現実を突きつけられたんです」
「高倉さんはおいくつになられました?」
「70才、古希ですよ。お悔やみ欄を毎日見て、知った名前がないかを確認している自分を俯瞰する自分が別にいて、ふと、いつかは自分の名前がここに掲載されたのを誰かが見つけて、『あいつもとうとう逝ったんだ』と思うんだろうなぁ、なんてことを思ったりしてね」
「いやいや、まだまだですよ」
慰めにもならない言葉は高倉さんにスルーされたようで、
「マスター、モヒートをいただけるかな」
高倉さんはジントニックを飲み干して、グラスを押し戻しながらオーダーを告げた。
「おや、珍しい。」
高倉さんがジントニック以外のカクテルをオーダーすることはここ数年来なかったことだ。何か気分を変えたいことでもあったのか。

「私はね、これまでの人生で友人を4人自死で亡くしているんです。」
遠くを見る目で高倉さんは話し始めた。
「そのうちの2人はもう30年以上になるかな。先に逝った友人は脱サラ後、旅行会社を設立して、当初は順調だったんだが、段々客足が遠のいたみたいで、借金が嵩んでいったんです。さらに悪いことは重なるもんで、奥さんが悪性の癌に罹患して、1年保たずに亡くなってしまった。それもあったのか、しばらくは鬱病のようになって、とうとう自死してしまったんです」
高倉さんは呟くように話を続ける。
「2人目の友人も最初の男同様に幼馴染みでした。昔はかなり有名だった熊本地場のスーパーチェーンに就職して、頑張って会社でかなりの地位まで行ったんですが、それがかえって彼の命を縮めたのでしょうね」
「といいますと?」
「全国チェーンの大手スーパーが熊本にも進出して、会社は赤字転落、次々と店舗を閉鎖しました。もう駄目かなというような記事が出た頃でした、彼の訃報が届いたのは」
「残念でしたね」
「男気があって、責任感の強い男でした。私と違って、スポーツ万能で喧嘩も強く、よく私を庇ってくれたものです」
その頃を思い出したのか、高倉さんの顔に小さな微笑が浮かんだ。
「友達に先に逝かれるのは、結構堪えますよね」
「マスターもそういう経験があるの?」
「この歳まで生きていると何やかやと・・・」
口を濁した私は、昨年暮れに急逝した友人の顔を思い出していた。
いつかは自分も通る道とは分かってはいるが、友を亡くした時の寂寥感はなかなか癒えるものではない。
「残された時間が少ないからこそ、悔いのないように生きないといけないのでしょうね。先に逝った友人のためにも」
そう言って、高倉さんはモヒートのグラスに浮いた露を指でなぞりながら独り言ちた。

高倉さんの話にある、あと2人の友人の話が知りたい?
それはどうでしょう。聞いて辛い話は語るのも辛いといいます。
多分無理だとは思いますが、それでもよければ名も知らぬ駅に来ませんか。
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ア○○ノマスク その3

2020年05月18日 | 日記(?)
まさかこの話題で、第3弾まで行くとは思いもよらなかった。
先日、熊本日日新聞に、ア○さんが、政府配布のマスクについて、
「この政策があったから、今日のマスク販売価格が値下がりした。一定の成果はあった。」
というような発言があったらしい。

この発言に、ネットでは「荒唐無稽」などの反応があったということも書いてあった。
言い得て妙。
専門家の意見としては、中国等の国で需要が少なくなったのと、
供給源が増えて供給過多で値が下がっただけで、マスクの配布とは関係ないということらしい。

そりゃあそうだろう。
日本国内でマスクが届いているのは10%にもなるまい。
届いていないものをもって、一定の成果云々と言われても、まさに荒唐無稽、笑い話にもなりゃしない。
今後届いたときは、小中学生がいる家庭では、学校再開の折に、給食用マスクで使用することを勧めます。
夏休みまでに間に合えばの話だが。

相変わらず自分の発言や行為に拘泥して非を認めないのはいかにもで、
やはり、この人はずいぶん甘やかされて育ったようだ。
政治家の一家に育ったのなら、親は帝王学の一端でも教育してこなかったのか。
世襲政治家の限界と劣化が垣間見えて、この国の現状に暗澹たる思いを抱く。

コロナ禍が始まる前までは、テレビで日本の人や物、その技術等を礼賛する番組が目白押しだった。
そんな番組を見た多くの人は、自分の国を、少なからず心地よく、かつ自慢に思うこともあっただろう。
しかし、コロナ禍という未曾有災難の中で、日本の政治というものの本質があぶり出され、
自分が住んでいる国の現実を突きつけられて、ただ愕然とする人もまた、いたのではないだろうか。
「俺の住んでいる国はこんなに酷かったのか!」と。

もとより個人的には、責任=無責任という風に新解釈(解釈を変えるのはこの人の得意技)した人がトップであることを容認していたことは一瞬たりともない。
しかしながら、ここまでとは。

火事場泥棒のように国会審議を進めた検察庁法改正案は、今国会での成立を見送るという情勢だが、
いつかまた、自分や近しいもののために、再提出するだろう。
批判の矛先も、そのうち下火になるだろうと高を括っているし、既にそういう状況を何度も学習しているから。

マスク騒動についてはこれで終としよう。
何故か、書くたびに虚しい気分が心を占めている割合が大きくなっていくようで、どうにもやるせない。
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アベノマスク その2

2020年05月02日 | 日記(?)
前回、アベノマスクの受取拒否について書いたが、既に受け取ってしまった。
と言っても我々夫婦ではなく、小学校に通う孫2人の話だ。
長引く休校措置の中、4月30日に臨時登校があり、その時もらってきた。
その前日のこと。

どうやら、明日の登校日にマスクは配られるらしいと聞いて、夕食時にその話題になった。
私が、この政策をほとんどぼろくそに貶していることを、孫は聞いていたようで、
下のが、「僕は要らないから先生に返す」と言うと、
兄の方が「先生に返しても、先生が困るとバイ」と至極まっとうな意見を述べた。
彼ら二人の話を聞いて、迂闊にめったなことは言えないと反省したものである。

ところで、先日ネットで以下のような記事を見た。
聖路加大の大西一成准教授(公衆衛生学)はアベノマスクの漏れ率(マスクの内側に粒子が入り込む率)を計測した。
5回とも100%の漏れ率。つまり、外に浮遊している粒子が全て内側に入ってしまう。
ということは、逆に言えば、内にいるウィルスも全て外に漏れるってことじゃないのって思うのだが、はて?
つまり、実験上、このマスクは感染を防ぐという目的には、全くの役立たずということになる。

本人だけが装着して、他の閣僚が誰も同じマスクをしていないのを見れば、自明のことではある。
国会の質疑で、466億円もの予算を無駄に使わずに、医療支援に回したらどうかという意見に、
色をなして反論する様や、決して自説を譲らない頑なな態度を見ていると、
「ああ、この人は相当甘やかされて育ったんだなぁ」と感じてしまう。

この人の操縦は、コツを掴めば結構容易いのだろう。
今周りにいる奸臣が、べんちゃらを言ってはすり寄り、思うがままに操ろうとしている図が見える。
陰に隠れて、一国の首相を貶めるような政策や助言をする奸臣共。
陰に隠れていないで、「でてこいやー!」
というか、こんな連中を誰も切れんのか~い。

政界というところは、嫌われても構わんから、この難局を何とかしようという気骨のあるやつはいないのか。
ま、いないわな。
どっちをとっても給料の2割削減でお茶を濁すような連中だから、
生活苦や、疲弊した医療従事者に思いを馳せるような、想像力は持ち合わせてはおらんだろう。

このコロナ禍は人類にとって多大なる厄災であるが、唯一収穫があったとすれば、
人の本質が見えるようになったことである。
アベノマスクのご本人や、政府関係者に国会議員、厚労省、財務省などの省庁や官僚、
都道府県の知事、市町村長の長、そして民間人。
今回のコロナ禍はそれに対応する過程で、人間性までも炙り出しているように思える。

どれだけ想像力を働かせて、国民・住民に思いを馳せているのか、それとも全く思いやっていないのか。
私なりの結論です。頑張っている一番手は同じ民間人の方々です。
そして地方自治体の首長のみなさん、頭が下がります。
最後に国を動かしている方々、もう後手後手の、行き当たりばったりの対応は終りにしましょう。
「先手必勝」という素晴らしい4字熟語があるじゃないですか、日本には。

コクミンの皆さん!今の状況で、国の宰相や自治体の首長、国会議員に地方自治体の議員がどういう動きをして、
どれくらい国民や住民を思いやっているのか、よ~~~く見ておきましょう。
今度彼らを選ぶ機会には、我々が、今の彼らの態度を決して忘れていないということを思い知らせてやりましょう。 
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