ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

松阪牛の巻き

2015年06月23日 | 酒と料理と
最近、料理にはまっているという程ではないが、いろいろやっている。
先日はカレーパンを作りたいと思い立ち、
ホームベーカリーで生地作りをして、
3日前のカレーの残った分を水気を取って丸めた置き、これを包んで2次発酵をかける。

この2次発酵の段階で、30~35℃くらいで30~40分置いておくのだが、
3年前の水害時にオーブングリルを捨てたのをすっかり忘れていて、
慌ててこたつを引き出し、こたつの熱で発酵させたのだが、上手いことに大きくなってくれた。

あとの調理は面倒なので、そのまま素揚げにして提供したのだが、
家族皆、美味しいと言ってくれたのでよかった。
難を言えば、カレーの水分が飛びすぎて、しょっぱかったのと、とろみがなかったのが残念だった。

こうやって、自分でつくってみると、プロがいかに優れた技術を持っているかよく分かる。

さて、伊勢の友人から松阪牛を頂いた。
正式に松阪牛と名の付くものは初めて食したのだが、
あまりに美味しくて、一度には全部食べられなくて、少し厚めのものを残した。

これを翌日適当な幅に切りそろえ、塩こしょうで焼いて冷えるまで待つ。
冷や飯を保温しておいて、酢飯にして冷やしておく。
レタスも適当に幅を揃えておいて水を切っておく。

さて、海苔を少し幅を狭く切って、その上の酢飯に松阪牛とレタスをのせ、
マヨネーズを混ぜて巻いていく。
これで鉄火風松阪牛の巻き寿司が完成。



肉は刺しの部分が強いので、少し脂っぽくなるが、酢飯との相性はよい。
これに合わせるには、少し味の強い日本酒だと言うことで、
山口県の純米吟醸「雁木」荒ばしり生で行ってみる。



松阪牛、2度楽しめました。多謝!
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今日の紫陽花

2015年06月17日 | 日記(?)
梅雨前線が北上したり南下したりしながら、九州に雨をもたらしている。
今のところ概ね鹿児島付近に停滞している状況で、
それを挟んだ沖縄では既に梅雨明けが宣言され、
九州北部では、曇っていても湿度は高くジメジメしている。

これは紫陽花にはもってこいの環境なのか、
阿蘇では花盛りの様相だが、我が家の紫陽花はなぜか毎年遅れて咲く。
養分が少ないのか、日陰が多くて時期を関知できないのか、
他のところに比べると半月は遅れる。

今日の状況は下の写真。


花が白で、中が青のガクアジサイ。青の色がまだ薄い。


これは普通の紫陽花。今はまだ外が青みを浴びた程度。


外が青で中が白のガクアジサイ。この特徴は葉に斑があること。


お隣の紫陽花。既に満開の様相。


やはりお隣のガクアジサイ。全面白の可憐な紫陽花。

紫陽花の花は、満開の花を愛でることもさりながら、
満開を過ぎて、花が枯れる前に少し緑がかった状態になったとき切って飾って置くのも風情がある。

さらに、きれいに枯れた状態(花びらが縮んだりしないでそのままの形)になったら、
これを切っておくとドライフラワーのようになって、なかなかいい飾りになるのだ。

あと一週間もすれば、我が家の紫陽花で夏酒でもいただこうか。
酒の肴は?やはり一宮町の木村豆腐店の冷や奴というところか。
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お酒を楽しみに来ませんか

2015年06月08日 | 酒と料理と
阿蘇市内牧に「千代の屋」という酒屋があります。
店主とその息子さんが、こだわりを持って揃えた日本酒と焼酎があります。
地元の酒でいえば、「産山村」「うちだ」「小国蔵一本〆」があり、
これは結構レアな日本酒で、熊本でもそう簡単には手に入らないのです。

その千代の屋さんが主催する「国酒の会」というイベントが7月4日にあります。
午後6時30分受付開始で場所は「プラザホテル」
料理は会席で、日本酒、焼酎を始め、珍しい酒が飲めるとのこと。
料金は6,000円で、事前に参加券を購入する必要があります。
連絡は、0967-32-0320 まで。

先に挙げた「産山村」は阿蘇郡産山村の数人の農家が、
鯉農法という有機農法で酒米の五百万石を生産し、
仕込水は名水100選の池山水源の水を使い、山鹿市の千代の園酒造に生産を委託している酒です。
この無濾過生はそのほとんどが予約で売り切れるほどの人気酒。


一方、「うち田」は阿蘇市内牧の内田農場がやはり五百万石を栽培し、
これを福岡の酒蔵、杜の蔵酒造に委託して生産している酒です。


いずれも純米吟醸で、酒蔵の違いでしょうか、やはり味は若干異なります。
いずれがいいのかは、個人の好みで分かれるところです。

今回のイベントに上記の酒が出るのかどうかは分かりませんが、
そこはお楽しみということでしょう。
ビールは、キリンのハートランドを提供するような話でしたが、間違いなかったかな。

日本酒や焼酎の余った分は、抽選でお持ち帰りいただくそうです。
現在150名くらいの参加者かな。
限定200名です。お急ぎあれ。
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振り返れば・・・

2015年06月06日 | 日記(?)
昨日5日、かって職場が一緒でお世話になり、
時々ご夫婦一緒に旅行したり、年に数回会食をする先輩のご母堂の葬儀に行ってきた。

ご母堂は今年100才のお祝いをされたばかりで、
それでもお亡くなりになる前日に先輩の奥様と元気に話をされていたそうである。
それが、突然のご逝去ということで、家族の皆さんもずいぶん戸惑われたようであった。

葬儀に参列して、プロジェクターに映される生前のご母堂の写真を見ながら、
私は自分の母親のことを思い出していた。

明治の最後の年に生まれた母は、多分苦労ばかりの人生だったと思う。
私はそんな母の苦労に一片の思いも遣ることなく、気ままな学生時代を送り、
仕事に就いてからは、それでも一緒に住んで、30年を共に過ごした。

その30年の間に孫が生まれ、大きくなって結婚するまで母は生きていた。
94才で他界するまで、母にとって何が幸せだったのか、
残念ながら、私には確かなことは分からない。

私の妻子と一緒に住むことで、姑という立場を頑なに貫こうとしたこともあり、
それは、妻や私それに自分自身をもずいぶん苦しめたのではないかという気もする。
明治に生を受け、自分の長男の嫁としての苦労を、私の嫁にも当然のこととして求めたのではないか。
そういう生き方しかできなかった母を、私はその葬儀の席で悲しく思いだしていた。

自分は、最後まで母に孝行することはなかったのではないか、
母にとっての幸せは何かということに思い遣ることもなく、
30年一緒に暮らしたけれど、ただそれだけではなかったかと。

葬儀から帰って、私は仏壇の前に座り、ただただ自分の不孝を母にわびた。
6月5日は母の命日で、これも何かの導きだったのかもしれない。

振り返り見れば、私は大いなる親不孝者であった。
親に孝行するというのがどういうことなのかも考えたことのない不孝者であった。

そんな私だが、自分は幸せ者だと思う。
私をこの世に出してくれた両親に感謝したい。
それをもって両親には孝行しているということで許してもらえるだろうか。
虫のいい話だが、我が子や孫の幸せが、私たち夫婦への一番の親孝行と思う故に。
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