ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

冷蔵庫は野菜室の酒

2010年07月14日 | 酒と料理と
冷蔵庫を昨年買い換えてから、
野菜室には常時日本酒が2本は入っている。
原酒や生酒の類で、買ったときと数ヶ月経ってからの味を比べるのが楽しみなのだ。

「村祐」の亀口取りという酒がある。
例によって発売早々に売り切れてしまう「村祐」の、特に人気酒だ。
これを半年近く寝せておいて、最近来客があったので振る舞った。

淡麗甘口と称される「村祐」だが、
濃醇とまでは行かないが、発売当時より少し濃くなり、その分甘みが強い。
来客の一人は「ジュースを飲んでいるようだ。」と言い、
普段は日本酒を飲まない女性の一人は、
「これなら美味しく飲める。」と仰った。

もう1本楽しみなのがあって、「黒龍 吟醸垂れ口」である。
濃醇中口の酒がどのように変化するのか、楽しみである。
日本酒度は+5なので、本醸造垂れ口より+10ほど辛いのだが、
味が濃いせいか、自分には中口にしか思えない。
フルーティーな独特の吟醸香を残したままに熟成するのか、
10月頃に開けてみようか。

さて、村祐亀口取りのつまみはですと?
自家製野菜で賄いました。

傷んだ部分を取り除いたジャガイモで作ったポテトチップ。
これはまず、ベンリナーといういかにもという名前の付いた道具で、
千切りや薄切りのできる台所用品(どこの家庭にも多分1個はある)でジャガイモを薄切りし、
ポリ袋に入れて小麦粉をまぶしてから揚げると、カリッとなり市販のものより美味い。

次に、これまた同様のジャガイモを皮付きのまま圧力鍋で炊く。
柔らかくなったら皮を剥いて潰し、マッシュポテト状態にする。
これに、塩、胡椒、パルメザンチーズを粉にしたもので味付けし、
暖かい状態で片栗粉を入れるが、手で混ぜながら、
全体が少しもちっとした状態になるくらいの量を入れる。

それを小さめのハンバーグ状に整形し、
オリーブオイルを熱くしたフライパンで焼く。
このとき、形が崩れるようだと片栗粉の量が少ない。
両面とも軽く焦げ目が付くくらいに蒸し焼きすると、中は柔らかく、外はカリッとする。
最後にチーズの粉をまた少し振りかけて皿に盛る。
整形するとき、内部にとろけるチーズを包むのもいい。
コロッケのようにして揚げるのもいいが、焼いた方があっさりとしている。

サイコロステーキをガーリックソルトとブラジル産のピメンタ(黒胡椒)を振って、
ミディアムに焼いたものだったらこれも合うだろうが、
我が家の家計では望むべくもない。
つまみはなんであっても、酒があれば極楽極楽。
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晴耕雨読 Ⅳ

2010年07月13日 | 農作日記
あまりの雨の多さと、晴れ間のタイミングの悪さで、
つい先日ジャガイモ掘りをしたが、2割近くが駄目になっていた。
時期を外すと芋が腐れて、それが伝染して、
一株全部が駄目になっているものもある。

本来、6月の終わりの晴れ間に収穫するのが最適で、
この頃までの方が晴れた日が多い。
7月に入ると、晴れ間を続けて望むのは難しくなる。
そんな中での収穫だから仕方ないのかも知れない。

ジャガイモの他には、キュウリの収穫が始まった。
キュウリは取り切れないほどなりはじめる。
だが、収穫時期は短くて、それ故にあんなに沢山成るのだろう。

それからインゲン豆。
これも収穫しきれないくらい実をつける。
ピーマンも食べ頃だ。
茄子は、植えた時期が遅かったので、あと1週間くらいから収穫できるだろう。

キュウリは、先日ぬか床を作ったので、ぬか漬けにする。
ぬか漬けといえば、遙か昔のこと、アフリカはタンザニアに滞在中、
糠がなかったので、トウモロコシの粉で代用品を作った覚えがある。
これでも、それなりに漬物になるのだ。
我が家は、家庭用精米器を使っているので、糠には困らない。

上さんは甘酢漬けとか、辛子漬けを作っている。
浅漬けの元を作って、それに漬けてもいい。

とりたては生食でも美味い。マヨネーズやもろみでもいいし、
スイートチリソースとコチジャンを混ぜたタレでも旨い。
ポテトサラダにたっぷり入れても美味いのだ。

昨日なんぞ、我が家の野菜ばかりが夕食のおかずで、
タンパク質ゼロ。
たまには焼き肉か、生姜焼き食わせろ、と言いたくなる季節になってきた。

阿蘇は今日も雨。
雨読に励む日か。
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W杯決勝

2010年07月09日 | 日記(?)
売れっ子になったサッカー日本代表メンバーのテレビ出演も一段落し、
W杯の決勝国が決まった。
ベスト8の時点での私の予想では、ブラジルとドイツだったが、
オランダとスペインは予想外だった。

オランダ戦のブラジルは、それまでのブラジルとはとても思えない戦いだった。
ロビーニョの先制ゴールまではさすがと思わせたものの、
特に後半、オウンゴール(正式にはスナイデルのゴールらしいが)以降、
ロッペンに対するDFの非常に悪質なファールや、
ロッペンに歯をむき出しにしてくってかかるロビーニョの形相を見て、
ブラジルのサッカーにすっかり失望してしまった。

ロビーニョは切れも抜群で、持ち前のテクニックを存分に発揮していたのに、
メンタル面で自分を追い込んだように思える。
彼には少しあざとい部分を感じていて、それがいい方向に行くときはいいが、
この試合ではマイナスに働いたように思う。

彼らは何をそんなに焦っていたのだろう。
どうして自分たちのサッカーができなかったのだろう。
いや、そうさせなかったオランダを褒めるべきなのかも知れない。

一方、攻撃に移ったときのスピードと迫力で、アルゼンチンをも圧倒したドイツは、
スペインの前に、そのどちらをも封じられ、
今大会のドイツらしさを出せずに散った。
これには、ミューラーのイエローカード累積による欠場が大きかったように思う。

同様に、ウルグアイのFWスアレスのオランダ戦欠場も非常に残念だった。
フォルラン一人ではあれが精一杯の戦いだったろう。
日本と同じような戦術ではあったが、
残念ながら、日本にはフォルランとスアレスがいなかった。
その意味では、日本がベスト16まで行ったのは僥倖に近い。

どちらが勝ってもW杯初優勝だそうだが、
とてもそうは思えない顔合わせは、予想とは別の意味で興味をかき立てられる。
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九寨溝・黄龍・三峡クルーズ -6-

2010年07月05日 | 中国の旅2010
夜中に船は三峡ダムを通り抜ける。
下流との落差は約100m。
これを5つの水門を一段ずつ水位を下げながら5時間ほどかけて抜けるのだ。
最初の水門を抜ける様子だけは見たが、なにぶんにも真夜中で、
睡魔に襲われてあとは諦めた。

朝食に行くときは、船は既にダムを抜けて、下流に接岸していた。
朝食後、バスで三峡ダムの見学。
三峡ダムは河川流域の環境破壊等を理由に、かなり物議を醸したが、
結局は完成して、膨大な電力を供給している。


三峡ダム全景を見下ろす。ダムの長さは約2.3㎞だそうだ。

昨夜通った水門を見たりしながら、ダムを見物。
その後再び船に乗り込み、昼食を摂りながら船は更に下り、
義宣というところに接岸する。ここが三峡下りの終点である。

義宣に上陸し、再びバスで荊州へ。
ここから再び別のガイド、陳さんが案内する。
荊州の博物館には、目玉とも言えるミイラがあって、
これは、今まで見たミイラのどれとも違っていて、
リアルな人体模型のようで、とても写真を見せることはできない。
いささかそのミイラに疑念を抱きながら博物館を後にする。


荊州博物館

荊州は城壁に囲まれた町があって、出入り口の門が数カ所にある。
その北門を見物し、荊州を後にして武漢へ。
武漢ではやはり博物館を見物したが、ここにはボランティアガイドの日本人が待っていて、
博物館が一般から買い入れた玉の細工品を、6点130万円で買ってくれないかと言われた。


荊州城壁にある、北門。

博物館の維持のためにすごく安く提供しているということだが、
博物館が商売かよ、てな感じで、誰も手を挙げなかった。
物はなかなか良い物だったが、我が家には飾るスペースがないので諦めた。(ホント?)

その後、レストランに向かい、湖北料理を食べたが、
このツアーの中で最も口に合う料理だった。
ホテルはメイフラワーホテル。やはり五つ星だそうだが、
チェックインが夜10時で、翌朝6時出発では、朝食も食べられず、
星の数など何の役にも立たない。


武漢のホテル、メイフラワーホテルのロビー。
上海万博の中国館のちゃちな模型らしき物が、発泡スチロールで作ってあった。

翌日は、武漢から上海経由で福岡へ。
ただ移動だけの日だったので、今回の実質旅行日は、6日間だったということになる。
ツアーは楽だが、ある意味きつい。
緊張感はないが、肉体的には結構ハードだということだ。

7月中旬には、再度中国に行く。
今度は個人旅行で、ハードではないが、緊張感はある。
さてどちらを取るか、ま、今のところ個人旅行かな。
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九寨溝・黄龍・三峡クルーズ -5-

2010年07月04日 | 中国の旅2010
クルーズ船で3日目は、午前中に李白の

朝辭白帝彩雲間
千里江陵一日還
兩岸猿聲啼不住
輕舟已過萬重山

という詩で有名な、白帝城の観光がある。


上の詩の石碑。左は江沢民、右は周恩来、その右には毛沢東のものがあった。

余程有名な観光地らしく、驚いたことに
船を下りて岸に上がる階段にエスカレーターがあって、ちゃんと動いていた。
長江の水面から岸までは、100段ではきかないくらいの階段を上らなくては成らず、
若干足を痛めていた身にはありがたかった。

そこから白帝城の入口まで送迎バスに乗り移動。
長江支流に架かる橋を歩いて渡り、階段を上る。その数365段。
歩いて上り下りできない人のために、篭屋が待っている。
往復で200元という高値だが、これには誰かの中間マージンが入っているに違いない。

たかだか365段の階段は、篭屋に頼むほどのものではなく、
往復ともなんということもなく、無事帰り着いた。
その後、船内に帰り、昼食を摂り、小三峡クルーズのために船を乗り換える。
そこから支流に入るが、水の色は本流に比べて緑が強い。


小三峡クルーズの崖の途中に歩道を造っている。
観光用の歩道だそうだ。個人的にはあんなところを歩く気にはなれないが。

小三峡クルーズから更に小型船に乗り換えて、小々三峡クルーズへ。
地元のいろんな人が、三峡クルーズの観光客で潤っているのだと実感する。
3時間以上に及ぶ支流のクルーズ観光が終わり、再び乗船ししばらく休憩。


小々三峡クルーズの舳先で結局何もしなかったオジサン。


小々三峡クルーズの風景

夕方は、レストランでさよならパーティーがあり、
食事は夕食メニューだったが、シャンパンが無料で振る舞われ、
船のオーナーと船長の挨拶が一言あった。
昨日歓迎されて、今日はもうさよならか、と可笑しかったが。

夜は再び船内スタッフによる演芸会があり、
これもしばらく見て途中で部屋に帰る。
船の夜は長江の流れのようにゆっくりと時間が流れていく。
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