ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

中国雑感

2010年07月30日 | 中国の旅2010
中国を旅行していると、中国人のいろんな顔に触れて面白い。
我々日本人にとって、ある意味我慢できない部分があって、
その最たるものが、列を作っているところへの割り込みである。
バスや列車に乗るとき、何かの会場へ入るとき、子供も大人も平然と割り込む。
これはもう習性といっていいもので、本人に割り込んでいるという意識すらないように見受ける。

香格里拉(シャングリラ)の町で、路線バスに乗ったとき、
降りようとする乗客が、ドアのところにいるにもかかわらず、
次々と乗り込んでくる乗客がいて、なかなか降車できないでいる。
日本だったら考えられない状況だ。
そう言えば、バスのドアの外に正確ではないが、「請上降車下乗車」のような文字がある。
先に降車客が降りてから乗車して下さい、といった意味のことである。
つまり、そういうことを書かねばならないところに、問題の根深さがある。

それと、公共のトイレの使い方のひどさがある。
高速バスで移動したりすると、ガソリンスタンドのトイレを借りたりするが、
清潔に使おうとか、汚さないようにしようなどという意識は全くと言っていいほどない。
便器が少なくて人が並んでいると、
トイレの中にあるモップを洗ったりする洗い場にさえ小用を足すのだから、呆れ果ててしまう。

こういった面を見せられると、「たしなみ(節度という意味での)」という言葉の良さを考えてしまう。
ガンガン自己主張しなと生きていけないような状況があって、
そういう文化の中で育まれてきたものかも知れない。
日本人とはその環境に於いて対極にあるのかも知れないなどと感じたものだ。

一方、宿や食堂、列車の同室の人、バスで同乗した人等々、
個人で触れ合う人々は実に親切で親しみやすく、楽しい思い出を沢山くれた。
香格里拉で路線バスで宿を目指したときは、
わざわざ我々のために一停車場前で降りて、声を掛け、
携帯で宿の場所を訊いてくれ、案内までしてくれた女性がいて、
その宿が駄目だと分かると別の宿に案内し、宿泊費を値切ってまでくれた。
そんな人もいるのだ。

束河村では、何かの宴に紛れ込んだ見ず知らずの日本人を、
村人は何の躊躇いもなく誘ってくれて、宴の馳走を御馳走してくれた。


今回どうしても見たかった麗江の町から見た玉龍雪山二景


ツアーで行ったなら決して会うことのできない人々に会って、
列に割り込むのが、トイレの使い方がなっていないのが中国人だと、
そう決めつけて、不快な印象で彼らをみることで終わらない、
そんな旅行が今回もできたことを、嬉しく思う。

いろんな文化があるから、いろんな考え方や習慣や習性はある。
それでも人間一人一人は根本的には皆同じで、
言葉は通じなくても、全てを理解できなくても、
なんとなく、お互いに人間だよな、という程度には分かり合える、
そんな旅ができたと、中国雲南省の四都市を巡って思ったものです。
コメント
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