ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか-1-

2008年05月05日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
わたしは「名も知らぬ駅」という、小さなカクテルバーのオーナー兼バーテンダーである。
熊本市の繁華街、下通アーケードから少し入ったビルの3階に店はある。
カウンターだけの13席という小さな店だ。
週に4日ほど手伝いに来るマキちゃんは、
「マスター、13って縁起悪いですよ。一つ減らして12にしましょう。」
などと、全く商売気のないことを普通に言う娘である。

マキちゃんの年は誰も知らない。もちろんわたしも。
マキちゃんは、もとはと言えばこの店の客だった。
3年ほど客として店に来ていたが、
ある晩、
「マスター、リストラされちゃった。私を雇ってよ。」
と格別困ったふうでもなく言う。
それ以前にいたアルバイトの女の子が、会社勤めをするようになったからといって、店を辞めて2週間目のことだった。
その間バタバタと、要領悪く接客しているわたしを見かねたのか、それとも本当にリストラにあったのか、
マキちゃんの事情ははっきりしないまま、店を手伝うようになった。
そんなわけで、正確な歳も、いや住まいさえはっきりしない。

しかし、マキちゃんは接客に関しては、わたしより数倍も達者である。
同世代の若い客にも、年配の客にも、それなりの話題で合わせるという技を持っている。
というより、いつの間にか話題を自分の守備範囲に持って行くことが妙に上手い。
カクテルもステアものなら一通り作れるようになっている。
春の定番、シャンパンと苺のカクテルなど、わたしには作らせてくれない。
このカクテルは、生の苺をクラッシュしてシャンパンを注いでステアするだけの簡単なものだが、
生の苺の香りと甘酸っぱさと、泡立つシャンパンの爽やかな飲み口が合って、
カクテルと言うより、苺のスイーツのようなところが女性客に人気があるようだ。

「いらっしゃいませ」
久しぶりに、MさんとAさんが顔を見せた。
二人はほとんどいつも一緒に来る女性客だ。
マキちゃんの、
「お久しぶりです。○○○(苺のカクテル名)にします?」
の問いに、
「嬉しい!、もちろんいただきます。」
と笑顔の二人。
今の季節には、必ずこのカクテルを数杯飲んで帰るお客さんである。
MさんとAさん、それにマキちゃんの3人は、実を言うとこのカクテルの名付け親である。
ただしそのカクテル名はわたしの店限定のもので、他所の店で注文しても全く通じない。
通じないというより、「なに!それ。」と笑われるに決まっている。
わたしのセンスにはない、ちょっと許し難いカクテル名である。

苺のカクテルの「名も知らぬ駅」限定の名は何かですって?
それを知りたければ、一度「名も知らぬ駅」に来ませんか。

※この話及び登場人物も基本的にはフィクションです。
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