ひねもすのたりにて

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旅の出会い、というかハプニング、のようなもの 2005 ベトナムPartⅡ

2010年09月12日 | 旅の空の下
2004年には、ワーキングホリデイの制度を利用してニュージーランドに行っている娘を訪ねて彼の地に旅行した。
主に北島だけを1週間の滞在だったので、特別なことは何もなかった。

ということで、2005年は8年ぶりのベトナム縦断をすることになった。
その間、ベトナムの情報は格段に増え、宿もまた格段に増え、
ホーチミンのデタムには、日本人経営のツアーデスクさえできた。
日程や諸事情で行けなかったハロン湾や、ミーソン遺跡などに行くこと、
経験できなかったビアホイ屋でビアホイを飲むこと、等々をメインとし、
行程は8年前をなぞることにした。


ビアホイ屋の酔っぱらい。ビールの差し入れごちそうさんでした。

ホーチミンには1泊し、翌夜には夜行列車でダナンに向かう。
その1泊目の夜、やっとの事でビアホイ屋を見つけて入店、というか、
入るかどうか躊躇っている我々に、中にいる酔っぱらいの男たちが「来い、来い」と手招き。
テーブルに座って飲み始めると、隣の席からビールの奢り、
もう一方からはつまみの奢りと、酔っぱらった男たちの酔態はどの国でも変わらぬもので、楽しく飲ませてもらった。


この年でベッド上段は無理だよね。それ分かっててチケットを取ったのって確信犯??

ホーチミンからは寝台列車でダナンに向かったが、
4人部屋の寝台の下段2つに上段1つを確保していたものの、
先に入室していたおばあちゃんが下段の一つに既に寝転がっている。
そこは僕らの席だと言っても全く言葉が通じず、
おまけにどう考えてもその年齢で上段のベッドに上り下りするのは不可能だと思われ、
我々が諦めるしかなく、その後に来た娘等からは感謝されたものの、
我々2人は上段ベッドのエアコン吹き出し口から出る冷気に震えながら寝ることとなった。
この列車は発車からあまり経たない時間帯に突然急停車し、
どうやら人身事故らしいということが分かり、騒然とする。
「これは相当遅れそうだな」と話すが、結果は15分ほどの遅れで発車した。「さすがはベトナム」(って何がさすがなの)。


ホイアンのホテルの従業員。なかなか可愛い娘さんでした。

ダナンからホイアンにタクシーで移動。
ホイアンの宿は、バスタブ付きでまあまあのところだった。
従業員と指さし会話帳で遊んでいたら、いささか煩かったようで、えらいさんに叱られスゴスゴと部屋に帰った。
ホイアンは既に8年前のホイアンではなく、多分の失望を抱えてフエに向かった。


右から2人目の立っている男が怪しげな日本語を操る。

シンカフェのバスでフエに着いて、すぐ近くに宿を取った。
夕食はARUKIKATAにあるスアンチャン食堂が近くだったのでここで取ることになった。
少し濃いめの味付けだが、どれをとっても外れのない料理は安価で、
おまけに怪しげな日本語を話す従業員(店長?)に出会えて、ビールも料理も美味美味。

フエからは飛行機でハノイに飛び、クラッシック1という結構居心地のいい宿にチェックインし、
少し街を歩いた後に帰宿し、すぐそばのビアホイ屋に出かけた。
ビアホイ屋と言っても店先の歩道で営業している極零細居酒屋である。
つまみは茹で落花生くらいしかなく、客もビアホイ目当てで、
1杯10円のビアホイを2杯ほど飲んで帰るというのが普通。


路上のビアホイ屋。左の3人は先客の青年。

そこに行くと、先客の青年が3人いて、我々のために席を作ってくれた。
といっても写真にある風呂椅子を3つ持ってきて少し空間を作っただけだが。
日本人から見れば1杯10円のビールなら、100杯飲んでも1,000円じゃないかという感覚。
彼らに席の御礼に数杯奢って、たどたどしい会話をすると、
彼らの商売は、観光客向けのライター販売。我々にもどうかと言ってきたが丁寧にお断りした。
ライターの入った箱を首にかけ、観光客に声を掛けては売りさばくというものだ。
その日はライターが売れたのだろう、ビアホイ屋に来て飲めたから。
そのうちの一人は、妻子がいるといっていたが、
早晩消えそうなこの商売で家族を養うのは至難の業だろうと思われた。


先客の青年たちはライター売りが仕事だった。もう転職しただろうが。

ハロン湾にはハノイから1泊2日で行き、宿泊はカットバ島。
船内では同じツアー客のスペイン人3人組のオジサンたちと昼食中に意気投合し、
というか、陽気なラテンの乗りに圧倒され、
カットバ島の宿泊先の夕食のテーブルも一緒に囲み、
それに一人旅のスエーデンか何処かの青年も加わり、大騒ぎの食事となった。


スペインから来た3人組。バルセロナから来たと言っていた。


カットバ島の夕食。左は一人旅の青年。

8年ぶりのベトナムは、シクロのしつこい勧誘もなく、
それでもメーターを倒さない、行き先をわざと間違えるなどの悪質なタクシーに出会ったり、
帰りに、ハノイの空港に向かうときには、事故現場を避けるために、
我々のタクシー運ちゃんは無茶なことに、相手車線を逆走して危うく事故になりそうになったりと、
ハプニングには事欠かず、出会いもまた沢山あって、また来ようと思わせる国だった。

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