(胡隠君を尋ぬ)
胡さんという隠君(隠遁の仙人)を、高啓という詩人が尋ねていく詩。
渡水復渡水 水を渡り復た水を渡る
看花還看花 花を看 還た花を看る
春風江上路 春風江上の路
不覚到君家 覚えず君の家に到る
この歌をモチーフにした細川護煕氏の「尋胡隠君」とう油彩の黄色に圧倒された。
黄色といえばゴッホ、のイメージが強いですが、それを凌駕するようなインパクトをもって迫ってくる黄色。
"何種類かの黄色を重ねないと こういう黄色にはなりません。"と氏が語る「菜の花」の大地を独り行く高啓の姿。
胸中の山水 | |
細川 護煕 | |
青草書房 |
政界引退後の氏は、茶陶に始まって、書や山水、油絵に至るまで取り組んでおられるようで、
虎ノ門にある、「菊池寛実記念 智美術館(きくちかんじつきねん ともびじゅつかん)」では来年1/9まで、本と同名の展覧会も開催されている。
溜池山王から歩いて8分、自宅から電車一本で行ける、
この年末年始、ちょっと覗いてこよかな、などと思いつつ。
「胸中の山水」とは、細川氏が若い頃から愛唱してこられた漢詩の世界、そこから生まれた山水のイメージです。人の世の儚さを雄大な自然に照らし合わせ情感豊かに詠い上げる漢詩には、悠久なる時間の流れとともに壮大なスケール感があります。氏の作品は、そうした漢詩の魅力を、色彩の世界に見事に表しています。
と、ある。
漢詩の世界 = 山水画 = 水墨画、と固定的にしてしまうのではなく、
中国を旅して、好きな漢詩の世界を、豊かな色彩で表現したら面白いのではないか、と思ったという氏の素直な着想。
「衆流截断(しゅうりゅうせつだん)」、
世の風潮や時流を気にせず、常識の殻を破って勝手におやりなさい、
氏が好きだという言葉に、そういった気風がいろんなところに顕れてくるのだと頷く。
夫人も素晴らしい言葉を発している。
" 花も花なれ。人も人なれ。"
早春賦という曲があるように、漢詩の世界では口ずさむ詩を「賦」と呼んだりする。
「賦」といったほうが勇ましい感じがする。
歌や色彩に溢れた世界をどのように切り取って心象風景に取り込んでいくか、
文字からさえも、色を感じることができるものなのか。
秋、「なかよしもみじ」を見た。
根元を違えながら、
空中で交わる。
結合部分はこうなっている。(@_@)
山水の白と黒との幽玄に
色を放ちて黒々なりけり。(-_-メ)
不倫もみじねー、とはしゃいでいるおばさん達がいたが、そんな生ぬるいものではない。
冬枯れへと向かう世界のなかで、これは、腹上死もみじ、と呼ぶほうがふさわしい。(;一_一)
オレも古文は大の苦手だったよ。(-_-)
秋の深まりが端からじゅわっと来るのが分かるようになったのは最近のことだ。
沙於里さんはくわしいんだろうなーと思ってました。
またいろいろ教えてください。m(__)m
ところで、この高啓の詩♪
大好きで何度も書いたことがあります。
こんなのも⇒http://blog.goo.ne.jp/a1019/e/88bd8798bd826cc7cef95d4b59798922
なかよしもみじにほのぼのしました