東野さんの新たな作品が出てくるたびに、「世間に対する目」を感ぢるが今回の視点は「オリンピック」だつた。
この作品に書かれてゐる「テエマ」と言ふのは、オリンピックに関はらづすべてに対して共通するテエマではないかと思ふ。
自分で望んで、練習を積んでも上手く出来ない人
かたや
練習をほとんどしなくても、手本を示されるとそのとおりに出来る人
前者からみれば、後者は大変にうらやましい存在である。しかし、後者の人は「難なく出来る」からと言つて、それを幸せに思つてゐるとは限らない。 興味がなくても、授業などで必要にせまられてやるはめになつたら、上手く出来た。周りが賞賛するも、自分はその物事に興味は無い。しかし、技術があるので、「もつと上の段階」への参加を要請される・・・ 自分は望まないのに。
かうなると、後者には前者のはうが「自分の好きなことを気兼ねなくできていひぢやないか」と言ふことになる。
この作品には、その心情と登場人物の出生に絡む謎が描かれてゐる。