人間を描き、世の中に「メツセエジ」を送り続ける東野さんの作品を図書館で80人待ちの順番を越えてやうやく、読めた(買へばいひのかもしれないが)。
今回の作品は、若者に対するメツセエジと思ふ。
作品の中でメツセエジを受け取るのは、小学生なのだが
「メツセエジを受け取る」相手は現実には年齢を問はずにゐることだらう。
また、受け取つて、考えて行動しないことには意味がない。
現在の政治・役所の怠慢によるとんでもない事象、それに対する埋め合わせはなくつけが国民に来る・・・・・・
こんな世の中にゐると、若者が無気力になるのは不思議はない。自分でさえ、政治家の「罪の自覚がない」ツイツタアを見ると
うんざり
する・・・・・・ 自分は年取つてゐるからいひけど、若者は希望もなく職があるやうな景気回復もなく、無気力になる気持ちもわからなくはない
しかし
英語もろくに出来ないのに「日本以外の未知の世界をみたい、世間を知ることが必要」とかなんとかおホザキしてオオストラリアに行つた自分としては
若者に「未知の世界に行く無鉄砲さ」を持つてほしいと願はずにゐられない。 逆に、「無鉄砲なことができる」のが若さなのだ・・・・
無知といふか、未知といふか、「知らない」ことの強さを持つのが若者だと思ふ。
若者が、あれこれ能書きを言つて行動を起こさないのは「ネツトその他の知識で変に耳年寄り」になつてしまつてゐるやうで、幾分気味が悪い。
話がズレたが、
いくつになつても
「今すぐには答えを出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。そのたびに悩むことには価値がある。しかし焦る必要はない。答えを出すためには、自分自身の成長が求められている場合も少なくない。だから人間は学び、努力し、自分を磨かなきゃいけないんだ」(P412)
は当てはまることだと思ふ。
現況を憂慮しながら、自分にできることは何かな・・・・・と考えたのであつた。