第413夜 Old friend

2008-01-09 23:00:37 | その他
2008.1.9(水)クイズの日

このブログにウースケどんが参加して来たことで、大学生時代のセピア色になってしまったことを色々と想い出してきた。

ただ、ウースケどん、何故私が住んでいたアパートにあなたが越して来たのか未だに良く解りません。ここら辺の経緯を覚えておいででしたらコメントして下さい。

大学生当時の私は、東京都狛江市駒井の第1富士見荘というアパートの住人で、途中で移動することなくこのアパートで4年間を全うしました。
富士見荘は、小田急線沿いの和泉多摩川という駅から徒歩で10分から15分くらいの、多摩川の土手沿いにありました。川向こうは神奈川県川崎市でしたから、東京都の端っこに住んでいたということです。天気の良い日にはその名の如く、遠くに富士山の頂を見ることが出来ました。

ウースケどんは知らないと思うけど、この富士見荘は私が住人になった当初の昭和49年、台風で多摩川が決壊した時に辛うじて残った根性のアパートなのです。この時、アパートの10mくらい先までの土手が決壊して、自動車学校や多くの家屋が流されました。
多摩川沿いの全ての住人には避難勧告が出ていましたので、当時の私は知り合いになったばかりの他の住人たちと半ば諦めの境地で、新宿のサウナで一夜を過ごしたことを覚えています。
携帯電話も無かった当時ですから、翌日、実際にアパートに帰って見なければその安否は解りませんでした。駅からの帰り道、途中の悲惨な光景を目の当たりにするに付け、とても自分のアパートが無事だなんて思えませんでしたが、最後の路地を入ってそのアパートの雄姿を見つけた時には安堵とともに、愛おしささえ感じたのを覚えています。

アパートには高校の同級生たちが多く出入りしていましたが、中でも釣友ブースカや蚊サ、ウースケどんはその頻度が多かったように思います。まあ、私が不在の時でも部屋の鍵は入口の鴨居の上に置いてあったし、高校は違うけど私と一緒に上京して行ったタクちゃんも居たから、締め出されるということは無かったと思いますが。

当時このアパートで、私が作詞作曲した『和泉多摩川序曲』という曲を蚊サたちと録音して、テープを大阪の友人へ送ったことがあるが、彼、まだそのテープを持っててくれているだろうか。まあそれを望むのは無理だな。

と、殆んど忘れかけているようなことを断片的に想い出しているのですが、ウースケどんも何か覚えていることがありましたら、どんどん投稿してやって下さいな。それから、あなたの近況を殆んど知らないものですから、公開できる範囲内でコメントして下さい。

今日の暦
・風邪の日=第4代横綱谷風(1777年から4年間63連勝の記録樹立)が、1795年当時流行したインフルエンザに感染し死亡した日。
・クイズの日、とんちの日=(1)と(9)の語呂合わせで、とんちで有名な一休さん(室町時代の臨済宗、一休宗純禅師)からきたもの。
コメント
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