サルサバンドLATIN FACTORYのブログ
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廃線跡を歩く(羽村山口軽便鐵道) 補遺
今回の探索では、残念ながら途中までで日が暮れてしまい、その終点までを網羅する事は出来なかったのですが、手元に5年前に訪れた時の写真がありますので、補遺として紹介しておきましょう。今回の探索終了地点は、廃線跡としてはこことなるのですが、この先は村山貯水池の北側を東に向かって進みます。そして、山口貯水池の築堤の近くから改めて立ち入る事が出来る様になっています。とは言ってもサイクリングロードなどの様な整備されたモノではありませんが・・・。
この写真、柵の向こう側は5号隧道を出でドウドウの横を通り東に向かってきた路盤になります。この辺りの区間は、自動車道から降りる事が出来るので散策可能です。
この辺りのレポートでは必ず取り上げられる被写体、しかし何の遺構なのかは判りません。
そのまま暫く車道沿いを走り続けます。落ち葉が敷き詰まった軌道跡、とてもしびれますねぇ(笑)。
この後なのですが、軌道は二手に分かれる事になります。地図で示すとこの辺りになります。
村山貯水池建設の為に敷設された最も歴史のある軌道跡は、ここから更に湖沿いを東へ西武遊園地駅方面に向かいます。この軌道跡は自動車道から垣間見る事が出来るだけですが、大正時代に造られた築堤がそのまま残っているのです。こちらの路線に関しては、また改めて調べてみたいと考えていますが、CABEZÓNの原体験(廃線跡を歩く:立川飛行機専用線の冒頭に記載)はまさにこの辺りでした。新交通システムに切り替えられ同じく廃線となった西武山口線の路盤が道を挟んで反対側にあったのですが、新交通システム建造の為にその殆どは失われています。
一方、分岐したもう一方の路線は、一路北側へ向きを変え山口貯水池の築堤に向かいます。しかし、こちらの路線は既に使われていた道路をある方法で越える必要があったのです。
6号隧道
5号隧道と同じく、人々から忘れ去られた様にひっそりと佇む姿。夕日に浮かび上がるその姿はCABEZÓNの心に郷愁を深く感じさせるものでした。暫くこの隧道を見ながら、ここを通り過ぎた人たちの生活に思いを馳せて・・・
写真の日付を見てみると、日付でもほぼ5年前になりますね(笑)。この写真を撮った時には、丁度この廃線探索の世界に復活したばかりの頃で、新鮮な感動があった記憶があります。
築堤へ向かう羽村山口軽便鐵道跡と車道を挟んで反対側に西武山口線の廃線跡が残っています。ユネスコ村から西武園まで、沢山の子ども達の夢を運んだ列車も遠い昔の話。
いよいよ路線も終盤、築堤に一路向きを変えて進んで行きます。この辺りは桜の名所でもあり、10年以上前に花見に来た記憶があります。
終点近くの遺構、これも何の施設なのか判りません。しかし、どっしり構えた岩の如く沢山の人々を見てきたのでしょうか、近くに暫くいると長い歴史を物語っている様に感じられます。
湖の中の給水塔、これらの姿は子どもの頃から変わりませんね。この辺りは、CABEZÓNが幼少の頃に連れてこられた記憶が断片的に残っています。まさか、この様な目的でこの辺りを徘徊する事になろうとは当時の自分には思いもよりませんでした。幼い頃から馴染みのある駅名は多摩湖駅に狭山湖駅、共に西武遊園地駅と西武球場前駅の旧称です。しかし、当時を語るには、あまりにも沢山の月日が流れ過ぎてしまったのかも知れません。
Editor CABEZÓN