非日常的な何か Vol.9

そばつゆの濃さ、関東と関西、常に議論が分かれる。その昔、親に養ってもらっていたころ、供される食事は常に薄味で、高校の修学旅行で京都に行った時にも、そばの味が薄くて食べきれない、という友人の残りをもらった時、薄味ながらも出汁の効いた味に唸りを上げ、あっという間に平らげた記憶がある。現場仕事のアルバイトをしていた時、福島出身の親方が、『九州に行った時には味が薄すぎて醤油を足したら、廻りから変な目で見られた』と話しているのを聞いたこともある。自分は料理をやるし、一番だしのデリケートな味わいはクセになるな、、、という立場にいながらも、長年、東京で生きていると、あの濃いそばが無性に食べたくなる時がある。自分にとって、東京の蕎麦とは、甘辛く強い味のつゆで食べるものだ。だから、最近の立ち食いソバチェーンの、万人受けする味付けの蕎麦は、自分の感覚に全くヒットしないのである。むしろ、東京に住んでいるからこそ、地元の人しか寄り付かない、コアな蕎麦屋に行きたいと考えてしまうのだ。ただ、そんな蕎麦屋の一軒が早朝営業を取りやめてからというのも、道すがらの寄り道がさらに失われ、食べる楽しみが減ってしまった。





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非日常的な何か Vol.8

気が付いたら実りの秋。先の記事のこの場所のその後である。蛍が飛び交うようなきれいな環境で実ったお米はどんな味なのだろうか。ついつい食べることばかりを考えてしまう。そこで調べてみたのだが、これらはもち米で、それぞれのボランティアや学生たちが稲刈りをし、それぞれの里で有効利用されるのだそうだ。





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非日常的な何か Vol.7

こんな光景は、以前なら当たり前だったのに、今では当たり前ではなくなってしまった。自分自身にとって、外食の機会なんて、もともと少なかったものだから、このご時世となれば1カ月に1~2回程度しか訪れない。そんな中、東京でも自粛緩和の動きがみられる中、とりあえずでもいいから集まってみたの図。集まったといっても、たった二人ですが。二人で集まると、もちろん音楽の話はそっちのけで某方面の話ばかり。実は既にマッティ事業計画なるものが立ち上がっていて、人知れずに不穏な動きを見せつつ活動しているとか。実は先の、高尾山に集まったのもその一環である。昨日はたくさんの萌え萌えする写真を見せつけられてしまった(笑)。





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非日常的な何か Vol.6

日がだんだん短くなってきたのを感じる時間。本日の朝、5時過ぎ、是政橋の上から。そして、ありがたいことに、気温もそこそこで過ごしやすかった。余談だが、この多摩川の両岸にはかつて、それなりの住人がおられたのだが、東京オリンピックを前にということなのだろうか、いつの間にやら姿を消してしまっていた。もっとも、もしそのまま住んでいたら、昨年の台風の増水によって流されてしまっていただろう。そういう意味では、結果論として良かったのかもしれない。その両岸も、上流側はかなり整備が進んで、雑草雑木のままのところは少なくなってきた。冬になると、ここから富士山が良く見えるのだ。もちろん、この写真の反対側だが。





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非日常的な何か Vol.5

必要があって赴くとき、時には皇居の南側を回って桜田門を経、東京駅の前を通ることがある。この東京駅丸の内駅舎は言わずと知れた国の重要文化財。戦火で焼け落ちたドームや最上階は、復興のために二階建ての角型ドームとして改築され、長らくそのままの姿で使用されてきた。それが復元計画のもとに2007年に着工され、2012年に現代テクノロジーによる耐震構造までも取り込みながら戦前の姿に復元された。実際に近づいてみると、最上階のレンガの色が若干異なるのが分かる。意匠も含めて細部までこだわって復元されたと聞くが、戦争で焼け落ちて復興された戦後の姿を残すべきだったという声もよく聞いた覚えがある。ただ、個人的な意見を述べよう。私は戦争には絶対に反対である。だが、東京駅丸の内駅舎の復元には賛成だった。中学生のころ、この駅の歴史について本を読んで触れたとき、この荘厳な姿を実際に見てみたい、と思ったものだった。そして、そんな願いは、死ぬまでかなわないだろう、とも思っていた。それが、思いもよらない形での復元計画を知ったのは、まだ子供たちが小さなころ。どんな姿になるのだろう、、、写真でその姿を知りながらも実際に見たこともないそれを想像するだけで心が躍ったものだ。そして、復元されて間もないころに、ライトアップされたその姿を見たとき、心なしか体が震えた記憶がある。





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非日常的な何か Vol.4

以前住んでいたところの近くに、とある公民館があって、そこが著名なアニメ作品の聖地だった。実際、作品をテレビ放映で見たこともあるのだが、本当に良く知っている場所が何度も出てきたものだ。そして、その公民館の建物にはラッピング?というか、作品の登場人物が壁にあしらわれていた時期もあったのだが、ひところのブームは過ぎたのか、今では至極普通の公民館に戻っている。その一方で、その地を離れてからたまたま歩き回ったときに、国鉄下河原線跡の緑道マンホールにデザイン化されているのを発見した。かつて、子どもたちを連れてわざわざ遠出したところが、しばらくは自分の庭のような存在になり、改めて遠い場所となってしまった。今、朝の通常徘徊では、もう歩きつくした感のある場所ばかりになってしまって新鮮さが全く感じられなくなってしまったのだが、そんな時こそ、何かを探し当てるという好奇心を大切にしなければと考えている。





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非日常的な何か Vol.3

高尾山に集まったのは梅雨明け前だった。おりしも、やんごとなき理由により沖縄・熊本に滞在した後だったので、ひんやりした空気が気持ちよかった。当然、接触を避けるために野外でいろいろと気を付けながら飲食したわけだが、とりあえずその時のメンバーは発症していないので選択は間違っていなかったのだろう。それとは裏腹に、自分が訪れた後の沖縄は大変なもので、自分自身が某所に入ることさえもできなかったのに、自分がいろいろな悪いものを運び込んだような錯覚を覚えてしまう。アメリカ軍基地で問題が発生したのはあのころだ。自分がキャリアなら、訪問先にはたくさんの被害者が出ていただろうな。ん?自分の周りには自分も含めて罹患者はおらんよ。自分、ほとんど家にいるし。





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非日常的な何か Vol.2

古き良き時代的な風景。調布飛行場の近くにはこんな光景を目にすることができる。なんのことはない、自動車を取り扱うとある企業の敷地におかれた商品か、それとも趣味的な何かだ。キャデラックとかも見かけたような気がするが、こんなバカでかい車を気軽に乗り回せるほどアメリカという国は広い。というか、何でもでかい。というより、日本が何もかも小さいのかもしれないが。ただ、一つだけ言えることは、大きければいいってものでもないし、小さければいい手ものでもない。とりあえず、同じように新型コロナウィルスにもかかる。そして、おんなじ人間のはず、、、だ。





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非日常的な何か Vol.1

新生活とか、色々なことに気を付けなければならなくなっていますが、みなさんの日常生活でも相当状況が変わっていることだと思います。自分の生活も似たような感じ、、、多分、日常的に追われ続けるいろいろなこと、多分、以前の生活だとこなすことができない量をこなしていると思われます。何せ、朝晩の移動時間も有効利用できる、なおかつ家事の合間も利用できるとあって、寝ていない間はほぼフル回転の生活。効率は上がっただろうと思いますが、やむを得ない事情で以前の生活に戻るとしたら相当効率が落ちるでしょうね。体は動かすようにしていますが、それでも変化に乏しく、時によっては大きくストレスを感じる生活、みなさまにおかれましてもうまく乗り切ってほしいなぁ、、、と希望ばかりを申し上げておきます。

わたくしめはと申しますと高速徘徊しない日は通常徘徊するわけですが、そんな中で何気なく撮った写真をしばらく貼り付けていこうかと考えています。別に深い意味はありませんが。表題写真は、緊急事態宣言直後、昔は良く歩いたお鷹の道。せっかく時間ができたので、何年も訪れることができなかった場所を歩きたい一心で向かいました。





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