丸の内の宗教的なところ

金曜日はいつも通りかかる、丸の内のとあるところ。ここでは、季節外れの茅の輪くぐりが行われているらしい。年を越す前に、やはり厄よけが必要なのだろうか。通常、神社などで見られるものと比べて、色も派手な気もするし、真ん中の板がくぐるための障害として難易度を高めているので、得られるものは大きいのかもしれない。ぜひ、皆様にもくぐってもらいたいものである。





ちょっと前の話となるが、その近くには神社が建立されたこともあった。。丸の内といえば、日本最大のビジネス街であるため、仕事の成功を祈って信心深い人たちが多いのかもしれない。そして、このすぐ北側に東京駅丸の内口と皇居を結ぶ、日本のメインストリートともいうべき通りがある。





行幸通りと名付けられたここに来ると、その広大さに目を見張る。いや、年のせいで目まいを感じているだけかもしれない。夏に通り過ぎていた場合には暑さを感じたし、最近は懐の寂しさと心の貧しさを感じることもある。ある時は空腹を感じたりもしたが、その実は何も考えずに歩いているだけである。その世相を表す漢字は『脱税』ん?もとい『税』だそうだ。





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兵馬俑

兵馬俑を見に行ってきた。

果樹園にするはずの土地から数百体という規模で出てきたというから驚きである。

等身大のともなると、迫力も全く違ってくる。










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みなさま、籠っていますか~

みなさま、籠っていますか~。かく言う自分は、緊急事態宣言初日の昨日朝、こんなところを通過しておりました。いつ見ても、東京駅丸の内駅舎は素晴らしい。え、そこではない?はい、昨日の東京駅の周り、やはり人出は少ないように見えました。ただし、乗ってきた電車はいつもとそんなに変わらないか、多少人が減ったという程度かなぁ、、、とも感じました。実はホルヘの命日なので集まろうという声掛けもあったのですが、残念ながらワタシは御殿場のあたりを彷徨っていたのです。





全体の7割をテレワークに、と言われています。前回は、自分もほとんど家におりましたが、今回はそうは参りません。というより、予定では緊急事態宣言期間中は絶賛外出日となります。効率が上がらないからやらない、とか、そんなのありえないからやらない、とかもありそうですが、それ以上に物理的にどうにもならない人もいると思います。そんな人たちは、感染状況がどうであれ家を出てどこかへ向かわなければならない。当然、感染リスクは高くなりますが、このような状況では運としか言いようがありません。





そんな昨日は、目薬が無くなるの日、でもありました。だから今日は朝から眼科にお出かけ。なんだかドライアイが酷くなっていて、角膜が傷つき始めているとか。そのための点眼薬まで処方されて、めでたいことに3種類の目薬を自由自在に扱う身となりました。目が見えなくなるのは困りますが、かといって心眼が開くわけでもなく、悟りも開けませんので雑然と生きる毎日なのでございます。





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社会通念的なもの

その昔、その当時の社会通念的な生活とはかけ離れた生活をしていた自分。長年、それに慣れ親しみ、自分を律すること体得して生活していた。しかし、それはあくまでもその当時としては特殊なことだった。時間の融通が効くことは大きな強みとなっていて、毎日ブログも更新していたし、いろんな事務作業をこなす時間もあった。しかし、諸行無常とはいうもので、いつまでもそのまま続くものではない。そんな生活とは決別する日を迎える決意をせざるを得なくなったその頃、自分は表題写真の場所を通りかかってシャッターを切った。はたから見ればただの1枚の写真だが、自分にとってはそれまでの生活と決別する時期とあって、この写真を撮影した時の気持ち、『もう弐度とこんな時間はめぐってこないだろう』とかみしめた、その時のことを、今でも昨日のことのように思い出す。





それ以来、訳も分からずあっちこち飛び回ったし、年齢にふんぞり返ることもなく常に新人として社会に生き続けてきたつもりである。そういえば、最初の壱年は完全に誰かさんの尻ぬぐいだったなぁ~。そんな中でバンドも一世一代の大仕事を抱えて、回り切らない頭でとりあえず乗り越えたが、当時を知る人からしたら相当頼りなかっただろう。将来脳梗塞が疑われて、過去に頭の毛細血管がいくつか切れたと診断されたら、まさにこの頃しか考えられない。今考えても、厳しい風当たりに、よく耐えて生きてきた思う。朝の電車はしんどくて、ラッシュを避けるために乗る時間はどんどん早く。歩く時間は無くなってしまったので、毎日申し訳程度に2~5km、降車駅の前駅で降りて歩いて、、、あまり足しにもならないので5kgほど肥えてしまったが。循環器の平常運転を維持するために、週に一回は朝3:30起で走り出す。当時の主治医からは『人間の生活ではないですね~』と言われても、どうにもならないこの体。そんな体が、いよいよいうことを聞かなくなってきたと感じるここ数年である。





そのまさか、弐度とめぐってこない時間がめぐってきてしまった。この場所でシャッターを切る時、また5年前と同じ諸行無常という言葉を思い出した。新型コロナウィルスという負の影響があったとはいえ、時代が一歩動いたことには変わりない。そして、いよいよ労働の価値・評価が問われる時代となってきたと思う。そういう意味では、幸いにも、これからは人からは後ろ指刺されることなく、体を動かす時間を作れるようになったようだ。その代わりということでもないが、その昔と違って自宅にいる時も忙しくなってしまったので、ブログを毎日更新するのは至難の業であることには変わりない。が、独り暮らしなので、家事もふくめて効率よく回せるのがありがたい。生活パターンが戻って、この1カ月で1kgほど減ったかな~。体が軽くなったら、また軽快に走れるかもしれん。昨日、7年前のランニングタイムを見て驚愕してしまった。今の自分では、絶対にムリ。





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解除されてから届くもの Vol.1

当初の緊急事態宣言解除予定は6月頭、だから間に合ったというべきなのかもしれない。とはいえ、市場では既にマスクはだぶつき始めているという。かくいう自分は、昨年知り合いから安く箱買いしたサージカルマスクなどをダラダラと使ってきて、なおかつあまり人混みに出る機会もなかったので困った事態には陥らなかった。とはいえ、既に第2波についても警戒が広がる中、邪険にするべくもない。一つだけ思うのは、やはり今回の緊急事態宣言でもっとも困った立場の人に、その予算を使うべきだったのではないかと。窮地に追い込まれ自ら命を絶った人の話も聞くと、悲しいだけでなくやり場のない思いをどうするべきかと考えることばかり。ただ、そんな血税がつぎ込まれてしまったマスクを前にすると、いよいよ捨てるわけにはいかなくなるのだ。





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このご時世の免許更新

みなさん元気ですか~。本日は、取り調べで丸一日休みとしていたので、様々なメンテナンスののちに、記憶のかなたに忘れそうになっていた免許更新に行ってきましたよ。





いや、今朝も高速徘徊ごり押ししたものだから、結構足が痛くて、しばらく座り続けた後、歩き始めるときにはバスを利用しようか、、、とか考えましたが、歩き続けているうちに慣れてしまって普通にたどり着きました。





実は現在、免許更新はやっていない!のです。ただ、有効期間を便宜的に3カ月延期してもらえるだけ。そう、免許更新業務が再開したら、また出向かなければならないわけです。しかも、個々には通知が来ないらしく、常日頃からHP等をチェックしておかなければならないという自己責任。
ああ、マンドクサ('A`)





さぁ、免許証の裏に、新たな文言が追加されましたよ。赤い文言の上の黒文字は、転居後の住所なので消去してあります。あれ、免許証の裏には臓器提供なども書いてあったのか、、、いまさらのように気が付いた次第。





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そう来るか・・・

症状の進行が遅いので診察間隔が伸びている眼科、薬が尽きかけていることに気が付いて訪れてみたらこの状況。そういえば昨日は昨日で、帰りがけに寄った整形外科、通常ならば余裕で間に合う時間に帰途についたはずなのですが、それを上回る早さで診療時間が終了していました。緊急事態宣言の中、たまに出ても平常時の感覚で物事を運ぼうとするからこんなことになります。いやね、、、どちらもなのですが、向かう前にHPで情報を確認したのですよ。特に何も出ていなかったので向かった訳なのですが、行ってみたら状況が違っていたという・・・。テレワークやネットワークの活用やらなんやら言われていますが、やはり現場に出てみなければわからないということでいいですかね・・・。まぁ、眼科がダメだったので昨日行き損ねた整形外科には寄ることができて、たくさんの湿布をもらってきましたが。





このところ、短い距離の高速徘徊も続けてきたこともあってか、一昨日のロングランの成果は絶大です。これにより得られるのが、何より心の平安です。血圧が高めの時の、あの不安がよぎる感じがワタシには辛い。だから続けているといっても過言ではありません。そういえば、かつてここに買い物に行っていた折、いつも肉を買い付けていた店のお兄さんに走りこんでいることを話したら、『そんなに長生きしてどうするの?』と言われたことを思い出しました。そうだね、そんなに長生きをしたいとは思わないね。ただ、親よりは先に逝ってはいかんよね。





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平成最後の日に

一昨昨日、二年ぶりに叔父に会った。齢は94を数え、寄る年波への備えを細々と行う日々だそうだ。父が、その様子を心配し、『兄に会いに行って欲しい』と言葉をかけられてから、随分と時間がかかってしまったが、ようやくその思いに応えることができた。体が思うように動かず、意志の何分の一も進まない作業にもどかしさを感じるという。それはそうだろう。父の兄弟の中では唯一、戦争を実際に体験している、屈強の軍人だったのだから。その叔父の体験談がとても強く心に残ったのでここに記しておきたい。





どうしても昨日のことのように、目の当たりにはっきりとよみがえる記憶。1945年7月28日、重巡洋艦『青葉』の乗組員だった叔父は、天一号作戦(片道燃料の特攻)にむかう戦艦『大和』以下の艦船に燃料を全て移し、動くことのできないまま、浮き砲台として呉軍港に留まった艦とともに呉にいた。艦にいても何も出来ないため、命令により陸に降りたそうだ。降り立ったところは、何も遮るもののないただの平地。その時に、大量の大型爆撃機が押し寄せてくるのに気がついた。軍艦の中にいればにいればまだしも、平地で何も守ってくれない場所で爆弾を落とされたらひとたまりもない。『ああ、自分はここで死ぬんだ』と観念・絶望したそうだ。





ところが、その時、沖に係留されていた軍艦から一斉の機銃掃射があった。『青葉』の向こう側で、みるみる集中攻撃を受けて炎に包まれる航空戦艦『伊勢』の姿は忘れられないという。爆撃機は、機銃掃射に誘われるように沖に全ての爆弾を投下したため、叔父は九死に一生を得た。しかし、その一連の戦闘で700を超える命が失われ、その時の記憶は長い年月にわたり叔父を苦しめ続け、ようやく戦後40年を経て夢に見ることは無くなったという。









決して戦争を美化してはならない

戦争は負の遺産しか残さない

戦争は人間の最も愚かな行いであると思う



しかし、このような時代があって、

また、今の時代があるということは

しっかりと心に刻んでおかなければならないと思う





先の平成天皇のお言葉、『平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。』というお言葉の重みを感じて、また『令和』も、戦争のない時代であることを心から願ってやまない。





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北府中の信号機トラブル

昨日の午前中、ジムでのトレーニングを終えて、駅チカのスーパーで買い物をして、西国分寺駅へ入ったのですが、、、北府中駅構内で信号機トラブルが発生して電車が止まってしまいました。代替輸送機関の案内まで出始めていたので、歩いて帰ろうと改札まで行ったところで構内アナウンス、

『府中本町行き電車は12:00丁度の発車予定です!』

ジムの後にはシャワーなどで汗を流してサッパリしていたので、汗をかいて帰宅なんてちょっと面白くない。なので、爽やかな帰宅を目指して、ホームへ引き返しました。時計を見たら、まだ発車の12:00まで数分の余裕がありましたので、十分間に合うはず。ところが、普通に歩いていたら、おかしなことに電車が走って出てしまった気配があったのですよ。おかしいなと思って、ホームに着いてみると、

さっき一度は乗った電車がいなくなっているじょ~ orz...

すでにプラットホームでは、構内アナウンスを信じて駆けつけた乗客が駅員に詰め寄っています。どうやら、駅からの指示を待たずに電車は鮮やかに走り去ったみたいですね(笑)。次の電車の到着見込みは立たないということだったので、あきらめて歩くことにしましたよ。考えてみれば、通常徘徊なんて、いつ以来だか思い出すことさえも出来ません。無い時間を有効に使うために、もっぱら高速徘徊ばかりですからねぇ・・・。





というわけで、本当に久しぶりの国分尼寺

あ~、爽やかな汗だ(笑)

しかも、こんな決断したときの法則、

歩いている脇の線路を、

復旧した電車が鮮やかに走り抜ける





のではなく、北府中に着いたら丁度復旧しましたとさ orz...

数十分歩いて、電車で待ち続けるよりも数分早く着いた!!!

間違いなく勝利だ(なにに???、、、汗だくだし orz...)





というわけで、脈絡もありませんが、

昨日のイカの残りで炒め物を。

ワタも一緒にバター醤油で炒めて

ごちそうさまでした。

さて、リハーサルに向けて準備をしなければ・・・。











10/4 水門通りまつり




10/24 万燈まつり2015






11/3 マルハチ





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買収されたのかとオモタ

恒例の取り調べで武蔵小金井へ。

寝坊したこともあって、いろいろな予定が遅延気味

やむなく帰りもバスを利用することにして

ふと、目にした光景。

途中から字体が新しくなっている・・・、

そもそも、そんな文字が書かれてはいなかったはず・・・











その昔の写真があったよ











と、帰って調べてみたらこういう事だったのね。

公的な施設となると微妙な気もするが・・・










6/21 Live-Red : SALSA DiP





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ポストとジェネレーション

先日、とあるtwitterのつぶやきを読んで、すでに教師でも丸いポストの存在を知らない人がいることを知りました。都会暮らしで地方に出かけたことがない人なのか、地方に出かけたことがあっても丸ポストの存在に気がつかなかった人生だったのか、それは本人でなければわからないでしょう。少なくとも、都会暮らしであっても逓信総合博物館に足を運んだことがあれば、少なくともその存在を知ることはできると思うのですが。確かに、都市部では表題写真のような郵便差出箱 13号が普通で、郵便差出箱1号(俗に丸ポストと呼ばれる)は見かけることはありません。





その丸ポストで、通常徘徊時に気になっていた存在がありました。

そのさび付いた姿からわかるとおり現役ではありません。

恐らく私道と思われる場所の奥に位置するために、

郵政省によって設置されたものでないことは容易にわかりました。





今日は、思い切って足を踏み込んでみたわけです。





当然のことながら、全国をとおして

番号で管理されている郵便ポストですが、

このポストには、その管理番号もありません。

恐らく丸ポストをこよなく愛する方が

入手して自宅の近くに置いたものなのではないでしょうか。

現役時代は何処に設置されていたものなのか、

ちょっと気になる存在ではあります。





で、冒頭の写真を撮ったときに、

ある事実を知って、

心なし、また寂しい気持ちになりました。





かつては、ココも丸ポストが設置されていた場所だったのです。この地に移って最初の頃、このポストを見て、『ああ、ココにも丸ポストがある。良いところだなぁ・・・』と思ったのも過去の話、いつの間にか、その丸ポストは姿を消していました。郵便物収拾の利便性などは当然、新しい方に軍配が上がるでしょうから、これもやむを得ない話なのでしょうねぇ。ココは、近所に大企業があるために郵便物の取り扱いも多くなってきたのでしょうか。

ジェネレーションということでいえば、冒頭で話題に上がった逓信総合博物館郵政博物館に刷新され、過去の存在となっていました。小学校の頃、社会勉強も兼ねて親に連れられていったのも懐かしいですね。そのころの大元は郵政省、これが日本郵政公社となりサービスもいろいろと姿を変えてきました。時代の移ろいと共にいろんなものが変わっていきますが、たまに、街角に存在する丸ポストに、今までの歴史を重ねてみるのも一興かも知れません。





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あれから3年

三年前、ワタシは千葉県の某所で罹災した。





そして今、全く同じ場所にいる。





交通網は完全に麻痺し、自宅に戻ることができなかった。最寄りのコンビニエンスストアに買い物に行くと、弁当やパンなど、即座に食べられるものは完全に売り切れ。やむを得ず、冷凍食品を買って調理した。





翌日、午前中一杯をかけてようやく帰宅。連絡もろくに取れず、不安のままで過ごした座敷童たち。父一人との生活にいきなり変わり、寂しさも感じているだろうと、気晴らしに連れて行くつもりだったリハーサルも中止。近くの公園で、一緒に戯れる時間をつくった。





離婚で生活にまだ落ち着きがない頃だった。ただでさえ不慣れな生活が、さらに不慣れなものになった。そんな中でも、何とか生活を成り立たせるために、身の回りの環境を構築する毎日だった。





しばらくの間、スーパーからは物資が姿を消した。災害に備えた家族生活を続けていれば、数日はしのげたであろうが、手元には何もなかったのだ。毎日がその日暮らし。食材を購入できなければアウト。食えるものなら何でも買ったな・・・。





そして、計画停電。昨晩座敷童と話したら、このときのことをよく覚えていた。それはそうだよなぁ、こんな経験、滅多にするものではないし、たくさん経験させてあげたいことでもない。





三年前は、自分にとってあまりにもドラスティックに物事が変わる日々だった。座敷童たちを3月末に見送って、完全な独身状態に。喪失感で満たされた、うつろな日々をしばらく過ごした。そしてダンスと関わり、いまの生活の基礎ができあがった。あの頃に、自分は生まれ変わったのだと思い、生きていこう。人を助け、自らの命を犠牲にしたいとこを想う。14時46分18.1秒のことは忘れない。黙祷を捧げます。





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一転して

一転して、極めて静かな1日となりました。


CBEZÓN

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マーライオン

昨日、稽古の帰り道、家路を急ぎ最終の特急に乗車。降車する駅の出口ドンピシャの扉から乗り込み、かなりのすし詰め状態をこらえつつ、周りの酔っ払いに気をつけて、時には遠慮なく寄っかかってくる背広姿のオヤジを牽制しつつ、早く着かぬものか、と。


発車してしばらくすると、駅に着いたわけでもないのに、さらに人の波が自分を押し流そうとする。何だろう?と背後の人垣の合間からかいま見たのは、床にへたり込み豪快に噴射するマーライオンの姿だった。周りの人々は、その背広姿の男を取り巻くように輪になって逃げ場を失っていたのである。


いろいろな意味で気分が悪くなる状況から逃れるために、次の駅で別の車両に移ってから考えた。『そういえば、学生の頃はあんなむちゃな飲み方をしていたな。』と。アルコールハラスメントなどという言葉が当たり前になる、はるかに前のことだ。あの頃は、先輩に酒を強要されるのは人間関係を作るための儀式であり、それを甘んじて受けられない輩は不遇をかこつことも多かったのである。あぁ、自分にもあんな頃があったんだ、と考えると、先ほどまであんなに悪かった気分も、いくらか和らいだ気がした。そうだよ、高校生の頃からメチャクチャだったもんな~、自分は。










2013 Salsa X'mas Party





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池袋の観音像

池袋のサンシャインのおひざ元には、ここ池袋大観音が神々しく飾られている。ご利益があるのは9/1までということなので、信心深いみなさんは、ぜひとも拝観に行かれた方がよい。おそらく、ご利益がなくなる9/1になったら別の場所に旅に出るのであろう。この大観音、信心が深ければ深いほど、ありえぬ巨大生物より身を守ってくれるものらしい。しかも、大観音には兄弟が複数いたりするらしいが、今はいずこに。あれ、この大観音の父母って誰でしたっけ?最近の観音事情に詳しくないので(笑)。





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