サルサバンドLATIN FACTORYのブログ
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廃線跡を歩く(京王御陵線) Vol.2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/f9/78cce7e85395128bf77dc834e448f5cf.jpg)
横山駅の辺りから北方を見たところ。このガソリンスタンドの辺りをそのまま北方に向かうルートだと思われます。この先は、南浅川という川を渡ることになりますが、川というと、皆さんご存じですよね(笑)。まずは、このガソリンスタンド裏にある駐車場に向かってみましょう。ここにはとある物件が人知れずひっそりと佇んでいます。
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見事に破壊された橋台 orz... しかし、それでも良く残っていました。恐らく形状とその大きさからしてこれは橋脚では無さそうです。ということは、築堤はここまで伸びていたと考えられます。そしてここから川を渡るわけですが・・・
何も残っていません orz...
しかしながら、川岸に散在する石の様子が自然石とは思えません。橋脚を破壊した残骸のコンクリート片に見えるのはCABEZÓNだけでしょうか・・・。ちなみに、ここを渡っていた鉄橋には面白い史実があります。他サイトからの情報ですが、ここにかかっていた鉄橋は、朝鮮戦争下の鉄物資高騰時代に重機を用いた大規模な盗難に遭い、跡形もなく持って行かれたそうです(笑)。住民は、てっきり京王の工事だと思い込んでいた様子で、誰のおとがめもなく、それこそルパン三世を彷彿とさせる大盗難(笑)。古き良き時代ですね。ここに橋脚がまだ存在した時代の写真はこちらのサイトで見ることが出来ます。
あ、雨だ・・・
時間は16:20をまわったところ、遂に雨が降り始めてしまいますた。これは次を急がねばなりますまい。そこで、ぶうぶう言う娘を急がせながら川の反対側にまわります。そして、この廃線跡でのハイライト、やはり瞼に焼き付けてきたあの光景・・・
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キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!!
どうですか、この偉容、CABEZÓNここにひれ伏したり
この民家の敷地内に橋脚が撤去されずに残っている事自体が奇跡。さぞかし邪魔だっただろうに(笑)。いえいえ、失礼、よくぞこの価値を分かって下さった(撤去が面倒くさかった???)からこそ現代まで語り継がれる証としてここに佇んでいるわけです。
この後路盤は団地を避けるように武蔵陵方面に方向を変えてゆきます。柵の向こう側、住宅の辺りを走っていたと思われますが再開発が相当進んでおり路盤の状況は明かではありません。
更にその先は団地となってしまいます。この団地そのものが結構歴史を感じさせるということは、やはり廃止時期が相当早かったことも関係しているのでしょう。
ここで雨がだんだん強くなってきて orz... 娘は更にふくれっ面、しかも2人とも靴はずぶ濡れ状態になってしまいました。「イカン」と思いあれこれ歩き周りしたがそれらしい形跡が見えないままだんだん本来の道とは離れてゆく始末。この様な調査に天候は重要ですね。改めて地図を見直すと、少し南下した位置が終点御陵前駅であることが分かり、移動して撮った写真が下の2枚。
いずれの写真も、推定で御陵前駅の中心あたりから撮影した、山田駅方面と武蔵陵方面。完全に住宅地になってしまい、見る影もありません。それもその筈、この駅は1945年8月2日の八王子大空襲(東京大空襲とほぼ同量の焼夷弾が落とされたほど凄まじかった)で焼失してしまったそうです。
武蔵陵から駅のあった方向を臨んでみます。ここにかつてあった御陵前駅はどの様な駅だったのでしょうか・・・。
「駅前広場……の中央にはロータリーがあり、直径5メートルほどのタイル張りの池があり、中心からは噴水が出ていた。使用する水は駅構内の井戸からモーターで汲み上げていた。……池のまわりには芝生や四季折々の草花が植えられ、美しさを一層盛り上げていた。駅舎前の舗装部分以外は一面に玉砂利が敷きつめられ、常に掃き清められていた。……駅舎は、どっしりと大きく、屋根も高く向拝造り(寝殿造り)、正面の車寄せの屋根は唐破風造り、大屋根は銅色の瓦葺きで、それはそれは重厚感があった。……(駅舎の)右側には貴賓応接室が2室あり、左側には出札窓口の付いた駅員室、それに売店が隣接していた。改札口は駅の突き当たりにあり、駅舎からはプラットホームが直接見えた。駅舎の北側には食堂とその調理室の別棟があった。食堂と駅舎は屋根つき通路で結ばれ、そこには井戸があった。」 「プラットホームは2本共に35メートルほどの長さである。2両連結が停車できる長さである。線路は北側ホームをはさんで2本、南側ホームの北側に1本の計3本であった」 |
廃線跡(高尾タウン情報)より |
また、当時を偲ぶ資料などが掲載されたサイトがこちらにあります。合わせてご覧下さい。
さて、ずぶ濡れの2人はタクシーにも乗らず(笑)、雨の中を強行軍で高尾駅まで歩いて戻りました。途中、性懲りもせずにこんな所に寄ったりして(笑)・・・
ここは東浅川駅跡、詳しくはこちらをご覧下さい。
さすがに今回は堪えました。トータル移動距離18.3kmは歴代トップ記録タイ、しかもその内6.5kmは高速徘徊、更には家に帰ってからコアリズムをやった(笑)。死ねる~。
Editor CABEZÓN
![](/images/clear.gif)
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私は赤瀬川ゲンペイさんのファンではありませんが、宮脇俊三氏のファンであります。
過去、あちらこちら辿りました。
数か月前、某所でアヤシゲなカーブを描く築堤を発見!
ここには廃止された路線があるのを思い出しました。
予備調査も地図もないのですが、おぼろげな知識を基に車で辿りました。
途中で橋脚を発見しました。
でも、あとで確認したら、最初に発見したアヤシゲな築堤はまったく関係なく、それを発見した足元が廃線跡でした…
調査は地道なリサーチが無いと徒労に終わる可能性が大きいですね。また、見当外れのものに萌えてしまったり(笑)。
でも、偶然の良さもあります。というか、偶然の方が(;´Д`)ハァハァします(笑)。
近々私も行ってみます(興奮
martilloさんのコメントされたところもちょっと気になります。
長さ5mほどのコンクリート塊でカルバートと
思われます。その日のうちに撤去されてしまいました。
記録残してあります。
長さ5mほどのコンクリート塊でカルバートと
思われます。その日のうちに撤去されてしまいました。
記録残してあります。