サルサバンドLATIN FACTORYのブログ
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廃線跡を歩く(羽村山口軽便鐵道) Vol.4
これが横田トンネルと名付けられた、羽村山口軽便鐵道の1号隧道。当時中学生だったCABEZÓNは、友人達と反対側から自転車で踏み込み、写真の入り口手前で引き返して行きました。当時は、道路沿いに金網が設置されていて、しかも木が茫々と茂っていたので不気味な雰囲気だったのです。
現在はサイクリング道として整備され、夕方17:00には保全の為にシャッターが閉まる様になっています。
内部には蛍光灯が設置されていて、不気味さのぶの字もありません。長さは160m程あります。あの時、引き返す時に踏みつけた丸く堅いヌルッとしたモノ、あれが仏様の頭蓋骨では無かった事を暫く祈っていたのは秘密(笑)。あくまでも噂話ですが、シャッターが設置されたのは、これらの隧道がこの様に整備される前には自殺などに度々活用されたからだとか・・・。
その昔進入した時の入り口、現在はきれいですが当時はうっそうとした木々に覆われて、不気味な抗門をのぞかせていたのです。ここは、日立航空機横田トンネル工場として立川工場のエンジン生産の為の疎開操業が行われた史実があります(参照1・参照2)。友人から当時聞いた話は事実だったのです。
当時中学生だったCABEZÓN達はこの路地をこの方向に自転車で進んで来ました。横断歩道を左側に行くと横田トンネル、右側に行くと赤堀トンネルとなります。硫黄臭が立ちこめるこの一角に写真の一軒家がぽつんと建っていました。しかし、現在は沢山家が建ち並んでしまって当時の面影がありませんねぇ。
内部で少し曲がっている為に、出口の明かりがいびつに見える赤堀トンネル、羽村山口軽便鐵道の2号隧道です。この隧道は比較的短いのですが、その先がどうなっているか判らなくて当時は誰も「入ろう」等とは言い出しませんでした(笑)。この時自分には感じなかったのですが、娘が硫黄臭を訴えたのです。もしそれが本当だとすると記憶は正しかったようですね。
更に住宅地を抜けると御岳トンネル、3号隧道。
隧道を抜けると、とても寂しい道が続いていました。一人で歩いていると心細くなるかも知れません。
いきなり視界が開けて、村山貯水池が見えてきました(ウソ)。実はこの時点で16:30過ぎ、下手に深追いすると隧道のシャッターが閉まって戻れなくなる可能性があったのですが・・・
つづく
Editor CABEZÓN