「偽」

年度末が音もなく近づいていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?中には、猫の手を借りたいほどの多忙な毎日を過ごされている方々もいらっしゃることでしょう。次回のライブも、そういった意味では忙しいまっただ中。「何故こんな時期に?」とお嘆きの方もいらっしゃるかも知れません。ですから、来年こそは年度初めにライブ予定を組む予定です(ウソ)。




世界では、未だに民族弾圧・迫害等が続いています。そして、隣国である中国で何かが起こると、どうしても天安門事件の事を想い出してしまいます。世界に報道された映像で、どう考えても沢山の一般市民が弾圧・殺害された筈なのに、当時の政府は「事件による死者は319人」と非現実的な数字を発表したに留まりました。CABEZÓNはこの事件で怪我人を沢山手術した人から話を伺ったことがあります。事件当日、おびただしい怪我人が運び込まれた市内の病院は、何処も血の海、まさに地獄絵図だったそうです。で、その方曰く、政府の発表の数字はあり得ないと・・・。そして、それと同じ事が現在も起こっている訳です。


昨年を象徴する言葉として、「偽」が選ばれたのは記憶に新しいところです。「偽」はにんべんを取ると、「~の為に」という役立つ、あるいは目的を表す言葉となりますが、そのままでは、にせもの、ウソなどを意味する言葉になります。


「偽」といえば、痴漢冤罪も良く報道されるようになりました。先日、ある痴漢冤罪と闘った人のインタビュー記事を拝見しましたが、冤罪と認められるまでの辛苦は計り知れないモノがあります。冤罪ででっち上げられた犯人は、つまるところ「犯人の偽物」、しかしその真相が究明されるまで、その「犯人の偽物」は長く苦しまなければなりません。


本ブログでも、良く(ウソ)という表現を使います。もちろん、これは軽い冗談という意味。まともに受け取ってはなりません。「嘘も方便」という言葉もありますが、そもそも「方便」とは仏教を由来とする言葉で、「真実の次元に導くための便宜上の教え」というのが本来の意味だそうです(参照)。また、本来の用途は正当な目的がある時に使われるそうな。その仏教が中国に伝わったのは、日本に先駆けること5世紀と言われています。いわば、仏教先進国であるはずの中国が、「方便」を巧みに操る英知を長い歴史の中で積み上げてきた訳では無く、「偽」が蔓延する国だとしたら、それは我々日本人にとっても悲しい事に思えるのです。


Editor CABEZÓN


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