廃線跡を歩く(武蔵野競技場線)

ここ二日間、お泊まりセットを抱えての移動だったので、最初はやめておこうと思ったのですが。。。結局、昨日ka-tan達と別れた後、駅に着いたあたりであっさりと考えが翻って廃線跡を調査する事にしました。既にかなり重度の中毒症です。つきあわされる子ども達、一体大人になったらどんな人間になっている事やら・・・。




<<武蔵野競技場線について>>
1951年に開設された武蔵野競技場(グリーンパーク球場)への観客輸送の為に開業した三鷹駅発の路線。球場では国鉄スワローズなどの公式戦などが行われたが、都心から離れている等の理由により実質1シーズンで打ち切り、それに伴い路線も休止状態となり、1959年に廃止となった。




昼食には微妙に早すぎる時間に現場到着となりました。武蔵野競技場線は、三鷹電車区の北側、表題写真の車庫のあたりから北西に向かっていました。実質1年しか営業しなかった路線で、尚かつ49年前の廃止路線ですから、手厚く保護されていなければロストする可能性も考えられます。



実は、昨日のプチリハ(コンパクトコンガのある風景)の時に、モントゥナー宅のPCでこっそり調査させて頂いていました。そして、脳裏に焼き付けていたのがこの堀合児童公園の写真、、、この左側フェンスの緩いカーブ、素敵ですねぇ(笑)。このフェンスに沿う形で路線は北を目指していました。




そして、廃線跡としての決定的な証拠がこの2枚の写真に写っている物。これは、鉄道用地の境界票で、旧国鉄路線の場合は工部省を意味するの字が刻まれています。スタート地点あたりには、この境界票が数多く残っております。まずは、上々の滑り出し・・・。



廃線跡は、掘合遊歩道となっています。良くありがちなのですが、廃線跡が自動車道になると目も当てられません。アスファルトを舗装するためには境界票を撤去する必要もあり、跡形無くなってしまう場合が多いのです。その点、ココは安泰だ(笑)。



沿道にはポンプが・・・、でも、これはただのオブジェで、中に水道の蛇口が仕込まれています。でも、何だか良い雰囲気ですね。腹が減ってしまうと、座敷童達が騒ぎ始めるので前にどんどん進みましょう。いくつかの自動車道とクロスしながら北へ。かつてから瞼に焼き付けて来たあの風景を求めて・・・。

































!









キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!!



とうとうやって来ました。玉川上水に残る橋台は廃線愛好家の中でも著名物件(笑)。鉄橋その物が撤去されても橋台が残る場合が多々あり、全国の廃線愛好家はこの佇まいに萌えているのデス・・・。この先は、グリーンパーク遊歩道と名前を変えて進みます。



ところが、その先で整備された自動車道が出現 orz... やばい、これ呑み込まれている可能性も。ひとまず、車道脇の歩道を少し進んでみます。



すると、車道から逸れる形で歩道が続いていました。早速例のブツを探してみましょうか・・・。



















をいをい orz...



早速発見した境界票に群がる座敷童達・・・。その脇を不思議そうな顔をした人々が通り過ぎて行きます。ということは、この歩道がそのまま廃線跡ということですね。



武蔵野競技場があった場所に近づくと、路線は徐々に東へ向きを変えてゆきます。この緩いカーブが好きだ(笑)。



現存する路盤の終端付近。この先は武蔵野中央公園とその脇にある都営アパートに完全に呑み込まれてしまいます。また、武蔵野競技場そのものもあるわけがありません。こうなってしまうと、もうどうしようも無いのですが、せめて、その時代を感じさせる物は無いかなと、かつての路線脇を東に向かってみました。



を!これは良い物件だ(笑)。武蔵野競技場線の現役時代に存在していた可能性を感じて、心の中で少しだけ悶えました(笑)。



しかしながら、この辺りで既に13時をまわっていて、後ろからピーチクパーチクと喧しいの何の(笑)。しかも、丁度良い具合にこんな店があったモノですから、一年に一回も来ないマクドナルド、たまには良いかなと吸い込まれて行きました。これにて実踏調査は終了、今回は比較的短い距離だったと思って、携帯を見たら、


(ノ∀`)アチャー


徘徊ツール切るの忘れていました、、、中央線上を70km/hで走った事になっている orz...


Editor CABEZÓN


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