叱られるという事

教育現場の話を色々と聴きました。さすがにモンスターペアレント等は出なかったのですが、先生や子ども達の置かれている状況は随分と変化してきているようです。特に、最近の子ども達の中には、先生がどの程度までだったら叱るという事を許されているのかを良くわかっていて、先生を挑発するケースも見られるそうです。また、親は親で教育という場所に実社会の法律を持ち込んで、子どもの権利を主張する。これでは教育では無いと思うのですが・・・。少なくとも社会に出るための学ぶ場所として、校則や教師の定めたことを守る(あえていえばその反対で破る)事は当然だと思うのです。その実践的に学ぶ場所へ実社会のルールを持ち込むのであれば、それはお門違い。その様な主張をするのであれば自分の所の子どもは学習塾にでも通わせてさっさと実社会に放り出せ!と考えてしまうのはCABEZÓNだけなんでしょうかねぇ・・・。


印象的だったのは、居合わせた皆さん、自分が叱られたことを良く覚えているという事。そしてまた叱ってくれた人に対して感謝しているという事。これ、大切ですね。叱る事自体を悪い事の様に言う人が増えていますが、自分は決して思いません。これも愛情があればこそだという前提はあると思いますが。


叱るという行為自体、とてもエネルギーが必要な事ですね。自分も叱った後は疲れます orz... それをしないのは確かにだとは思うのですが、楽をしたいから叱らない、というのはそれだけの愛情を感じない事の裏返しなのではないかと思ってしまうのです。


Editor CABEZÓN


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