星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

炎暑の8月は音楽とともに…

2024-08-02 | MUSICにまつわるあれこれ
8月になりました。

なんだか猛暑にも慣れたみたい…笑 …といっても炎天下はできるだけ外出しないでいますが。。

先週末のサマーミューザのあと、 新日本を振る道義さんが入院のため降板されて、 本日の公演はなんと代役で,ノットさんが振るとのこと。。 以前からお悪かった道義さんのご病気、、 ラストイヤーの今年のスケジュールも一杯で案じておりましたが、、 ご快癒を願うばかりです。 ノット監督と新日本との初顔合わせもとてもとても観てみたいと思いましたが、 こちらも成功を祈るばかり… まさに この時間、、公演中ですね…

 ***

パリ五輪開会式で 雨の中でラヴェルを弾いていらした アレクサンドル・カントロフさん。 先日 ARTE CONCERT で演奏の様子を見たばかりだったので、あら! と気づきました。 それで昨日、少し時間があったので もう一度 フランス国立管弦楽団とのコンサートを観ていました。 youtube でも公開されています
 Cristian Măcelaru conducts Chopin and Prokoviev - ARTE Concert

アンコールでリストを弾いていらっしゃいますが、 弾いてる真似でもしてるかのように優しく鍵盤に触れているだけに見えて、、それでいてくっきりと陰影のある力強い音色が奏でられる、、驚きです。 

この方のお父様 ジャン=ジャック・カントロフさんはバイオリン奏者で指揮者でいらっしゃるそうですが、 お二人の親子共演コンサートも載っていて、、
 Kantorow père et fils interprètent Brahms - ARTE Concert

こちらでのピアノは ブラームスのピアノ協奏曲2番を弾いていらっしゃいます。 こちらはまだ全部聴いていないので、 今月の楽しみに…

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炎暑をやり過ごすには うつくしい音楽と読書にかぎります。。 こないだ、出版社の広告ページに「ルメートルの最後のミステリー」と見出しがあったので、、 (え? いつのまにおなく・・・)なんてビックリしてしまいました。。 おなく…なってはおりません。 ルメートルさん、 もうミステリ小説はお書きにならないの…? 戦争三部作のような、 フランスの歴史を題材にした作品もまた読んでみたいものです。 もちろんミステリも読みますが。。


もうひとつ、 ARTE CONCERT で印象深かったものの中から。。 男性のシャンソンとジャズピアニストさんの競演。
 Arthur Teboul & Baptiste Trotignon - ARTE Concert's Piano Day

素敵です。 こういう、、 どこか街なかの何でもないような場所で(ここはパリ第6大学のキャンパスだそうです) その辺に皆が座って、、 シャンソンは「詩」を聴くものですから、ね… 歌われているのもどれも有名なかたの歌…

伴奏をしている バティスト・トロティニョンさんのピアノが実に良いのですが、 特に Jealous Guy のピアノは、 大好きなニッキー・ホプキンスが奏でた曲でもあり、 バティストさんのピアノも、 クラシカルというよりファンキーな味わいもあってとても素敵。。 その次の曲は、 ルイ・アラゴンが第二次大戦中に書いた詩。 「愛」の歌でありながら レジスタンスの歌でもあるこのような詩は、 美しいドレスなど着て歌うのではなく、 やはり大学のキャンパスで歌われるべきもの。。 

ルイ・アラゴンのパートナー、そして永遠のミューズだった エルザ・トリオレの小説についてはここ1年ほどの日記にたくさん書きましたね。 彼女が大戦中に書いた小説のことも、、(エルザ・トリオレの小説に関する日記>>

前回のパリ五輪は100年前、 1924年だったそうです。 戦間期のパリのことも、ここの日記にたくさん書いてきましたね。。 芥川龍之介もパリにでも行ってしまえば良かったのに・・・って。。 シュルレアリスムの作家たちや、 プロコフィエフやストラヴィンスキーやディアギレフのバレエ・リュスの新しい音楽が花開いていた戦間期のパリへ。。

、、 今また ちょっと驚いた事。。 芥川と片山廣子さんの「黒猫」のこと、、前に書きましたが(>>) あれはなんと 大正13年、 パリ五輪が行われていた1924年のことでした。。。


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もうひとつ映像を、、 大好きな アリス=紗良・オットさんとフランチェスコ・トリスターノさんのピアノ2台によるライブ。 
 Alice Sara Ott & Francesco Tristano - Piano Duos - ARTE Concert

ラヴェルのボレロをピアノで演奏しているのには吃驚です。 あのリズムをひたすら指で叩きつづけるトリスターノさん、、 手が痙攣しそう、、 凄いな。
 
今、検索したら ラヴェルのボレロの作曲は1928年、ですって。 前回のパリ五輪のときには存在してなかった曲なのね。 


もうしばらくは パリ五輪と晴天と炎暑がつづきます。 せめて素敵な音楽を聴きながら、 百年前のパリと日本にも思いを馳せて、、


夏空のもと・・・



どうぞ よい週末を。

ちいさな miracle

2024-06-20 | MUSICにまつわるあれこれ
またまた ちいさな驚きと共にうれしいお知らせがありました。

音楽ニュースを見ていたらこんな記事が
 ローリー・アンダーソン 6年ぶりの新アルバム『Amelia』発売(https://amass.jp/175964/

、、アメリア?? って・・・ と 続きを読んでいったら、 やっぱり女性飛行家のアメリア・イアハートのことでした。 アメリアの飛行日記などからインスパイアされたアルバムだという…

今月のはじめにアメリア・イヤハートが遺した手記『ラスト・フライト』のこと書いたばかりです(>>) うれしい偶然。 ちいさなミラクル。
しかも ルー・リードさんの奥さま ローリー・アンダーソンの作品だというのがなんだか嬉しい。。

昨年あたりから 自分でもよく理由はわからないけれど、女性の作家への関心が続いています。 イーディス・ウォートンやエルザ・トリオレ、、 百年も昔の、 女性が家庭の守り手か男性のお飾りの役割しか求められていなかった時代に、 「女性」という肩書が不必要なくらい 力のある作品を生み出していた作家たち…

前に書いたように エルザ・トリオレの小説『ルナ・パーク』から 女性飛行士のアメリア・イヤハートにたどり着いたのでしたが、、 
小説『ルナ・パーク』の内容にちょっと踏み込んで語れば、、 失踪した女性ブランシュの館に残された彼女あてのラブレターでこの小説の大部分はできているのですが、 男たちからのラブレターの内容と言えば、 貴女に首ったけであること、 貴女に恋して自分はこんな風にダメになっていること、 貴女がべつの男と話していたのを見て嫉妬に苦しんでいること、、 うんぬん・・・

男たちの手紙からは ブランシュがパイロットで宇宙飛行士をも目指していることはわかっても、 彼女の心のなかのことはなにひとつ見えてこない。 ブランシュ、という名前は blanc 空白の意味も込められているのかな、と思うけれど エルザ・トリオレは男たちの眼からは何も見えていないブランシュ像というのを書きたかったんじゃないかと想像する。。 それは最後に明かされるけれど、 彼女は現実世界の争いや苦しみを看過できず旅立っていた…  男たちの想う恋やロマンスの世界とは全く違う世界へ、、

アメリア・イヤハートの『ラスト・フライト』の中にも、 決して強い言葉ではないけれども、 この世界で男性がやっていることを女性も当たり前のように同じに出来るということ、 その実現のために自分は飛ぶのだと、 そういう言葉が繰り返し書かれていた。。 その姿勢は、 たたかう、とか 抵抗する、とかではなくて、 本当に当たり前のように自然に、、 あのアメリアのキュートな笑顔のままで…

話がそれてしまったけれど、、
ローリー・アンダーソンさんが そんなアメリアの遺した言葉たちを どんな風に音楽にして 作品にしているのか、、 アルバムが出たら私も楽しみに味わってみたいです。 この不思議な偶然を 私への空からの贈り物として・・・

 ***

ところで、、

ローリー・アンダーソンさんの最近の活動をちょっと知ろうと検索したら、 こんな記事がガーディアンに…
Interview Laurie Anderson on making an AI chatbot of Lou Reed(.theguardian.com)

いやだ、、 ルー・リードさんのAIチャットボットに夢中になっているのですって。。 記事を読むと、 なんだか お題をあげると そのAIチャットボットがルー・リード風の詩を作ってくれるんだとか・・・ 読んでみましたけど、 まぁ雰囲気はあるというか…

でも、 生身のルー・リードさんだったら、 (くだらないことをさせるんじゃない)とか (今日はそんな気分じゃない)とか、、 簡単には答えてくれないような気がします。。 AIは文句言わないものね…

それに、、

人工知能さんには ふしぎなちいさなミラクルに胸ときめかせたり、 誰かのことを想っていたら偶然にうれしい知らせが届いたり、、 そんな歓びは感じられないハズ… と思いたい…



きっと遠くで誰かさんがくしゃみしている… 笑



空はつながっているから ね。

花水木の似合う女性…:アメリア・イヤハート著 『ラスト・フライト』

2024-06-04 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)

 「オーケー! 出発するわ」
  ・・・ 略
 わたしは夫に、これから大急ぎで飛行服と地図を取りにライに帰らなければならないからと話し、午後二時にジョージ・ワシントン橋の、ニューヨーク市側のたもとで落ち合うことにきめた。 ・・・略・・・

 交通巡査もなんのその、わたしはライまで二五マイルの道を全速力でぶっ飛ばして家へもどった。持っていく物をまとめるには五分間で十分だったが、その後ほんの二、三分間だけ、思わず足を止めて、わたしが日ごろ大好きな、美しい眺めをもう一度つくづくと見なおした。寝室の窓ぎわや、窓の下に、ドッグウッド(ハナミズキ)の茂みがあって、その花がいまを盛りと咲き誇り、えも言われぬ白やピンクの花群のそこここに春の日射しが輝いている。・・・



アメリア・イヤハートの手記の中でとても好きな部分を引用させていただきました。 これは〈ラスト・フライト〉となる赤道上世界一周飛行に出発する場面ではなくて、 それ以前に単独大西洋横断飛行を成功させたことを振り返っている部分ですが、、 天候が回復するという報せに即座に出発を決め、 その慌ただしいさなかに、自宅へとび帰り、自宅の一番好きな光景を眼におさめようとしている場面がとても愛おしく感じられました。 
そして、 アメリア・イヤハートという女性には、くっきりと可憐な白やピンクの花が咲くハナミズキがとても似合うとも思いました。 風にひらひらと翻って咲く様子はまるで小さなプロペラのようだし…



『ラスト・フライト』アメリア・イヤハート著 松田 銑・訳 作品社 1993年

アメリア・イアハートという女性飛行家のことを知った経緯は、 この春 エルザ・トリオレの小説『ルナ=パーク』の読書記を載せたときに触れました(>>

アメリアの伝記や、 失踪の謎について、 そういう本はいろいろ出ているようですが、 この本はアメリア自身が書いた飛行記録と アメリアが飛行士としてのこれまでを自分で振り返っている文章で構成されているので、 彼女自身の言葉を読むことが出来てとても良かったです。

遭難したあと、飛行機さえ見つからなかった彼女の飛行記録がなぜ残っているのだろう… と、 この本を知った時に不思議に思ったのですが、 それはこの本のなかにも書かれている通り、 アメリアは飛行中にも機体からアンテナ線を外に垂らして、それを地上のラジオ局や 洋上の船に電波を拾ってもらって逐一飛行の経過を知らせていたからなのでした。

そして、 給油などで地上に降りた時には、 追加の記述をまとめて追々送り返していたのでした。 だから、赤道上世界一周飛行のほぼ最終段階、 ハウランド島へ飛び立つ〈ラスト・フライト〉の前日の7月1日の記録までが載っています。 この本は、アメリアのその飛行記録を のちに夫のジョージ・パットナムがまとめて出版したものです。

さきほど書いた飛行機からアンテナを垂らして通信する様子とか、 飛行機本体のタンクに入りきらない予備の燃料を空を飛びながらどうやって給油するのかとか、、 そういう技術的な内容もとても興味深かったです。 

飛行機の事をなんにも知らない私だけど、 アメリアの手記は本当にわかりやすく、 空から見る風景のこと、 知らない場所へ着陸した時の現地のひとびとの面白い反応、 女性飛行家に向けられる当時の注目や、彼女自身が想い描いている目標、、 包み隠さず ユーモアにあふれて、 時には反発も込めて、、 じつにアメリアらしいと思える生き生きとした手記でした。 なによりその前向きな精神、 不安や怒りもユーモアに変えられるそこにこそアメリアという人の本質があるように思えました。

アメリアが眺めた自宅のハナミズキ。 花水木(dog wood)の英語の花言葉を検索すると、 厳しい気象に耐えることから、 耐久性、とか永続性という意味や、 逆境に耐えて続く愛、 という意味があるそうです。 そんなところもやっぱりアメリアに似合っている気がします。。

 ***

だけど、、 この本を読んでいて思った事・・・

アメリアの赤道上世界一周飛行への挑戦は、 計画通りにすべてが進んだのではなかったのでした。 大きな計画変更を余儀なくされていたことがいくつか・・・ 出発前の突然の機体の事故、、 それによる出発の延期、、 そのあいだにも世界の気候・気象条件は移り変わってしまう、、 そのために計画を曲げて当初の西回りコースから逆回りへと変更。。

私は飛行機や気象のことなど何もわからないけれど、 でも そういった幾つもの変更が良い方向へ作用したとは思えない。。 手記のなかでアメリアは持ち前の前向きな思考で解決策を手にしていくけれども、 すべての条件が最初の計画のままだったら・・・ と思わざるを得ない。

そして、、 ほんとに世界一周飛行がもう達成目前だったラエの地点で、 アメリアもその他のたぶんすべての関係者が、 7月4日の独立記念日にアメリアがカリフォルニアへ到着することを強く望んでいた、、 そのプレッシャーは無かったか…?

 ***

アメリアは優秀な人だと思うし、 どんな時にも どんな困難が生じても、 その時点での最善を尽くしたことは間違いないと思う。。 だけど本を読むと、 その過程にはやはり〈兆候〉というものがあったように思う。 いろいろな変更とか、 あらかじめ決定されている期限とか、 予定とか、、

、、そして これをどうとらえるかは人それぞれだし、 私の解釈に過ぎない部分もあるけれども、、 〈報せ〉というものもあったんだ…と思う。。 私は神さまがいるとか、 予知能力とか、 何も確かな事はわからないと思っているけれど、 説明できない〈不思議な報せ〉も、、 あったんだな… と思ってしまう、、 それに気づくことが出来るのは たいがいは物事が起こってしまってからなのだけれど…

、、当初の計画が すべて計画通りにすすんでいたならば… やっぱりそう思ってしまうし 計画通りに達成できたアメリアであって欲しかった…


どんな冒険でも、  どんな挑戦でも、、


なにか予期できない困難に直面した時にどう行動するか。。 前向きなチャレンジャーであるべきか、、 石橋を叩いて しかも渡らないという決断ができるものなのか、、 歴史はチャレンジした者だけを崇めるものだし…

 ***

ハナミズキは 葉が芽生える前に、先に花だけが咲く

アメリアはやはりハナミズキのようなひとかと思う…



じぶんはどんな花なんだろう…


どんな花になりたいんだろう…





もうすぐ 雨の季節ですね…

バルコニーから 空見上げて…

2024-04-19 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
雲ひとつない青空。。 良いお天気です。

2月に、 エルザ・トリオレの小説『ルナ=パーク』については またの機会に… と書いてからそのままになってしまっています。。 今日も『ルナ=パーク』の読書記とは言えないのですが、、 少しだけ…




『ルナ=パーク』の内容をごく簡単に紹介すると、、 
映画監督ジュスタンは作品を撮り終えて 次回作までのあいだの休養のつもりで空き家になっている館を借りる。 以前そこに住んでいた人の生活のあとがそのまま残っている館。 ジュスタンはその家のもと主の読書室の本を開いたり、 書き物机のなかを覗いたりしているうちに、 もと主への関心が芽生えてくる。 そしてある日、 この館の主への沢山のラブレターを見つける。 ジュスタンは誘惑にさからえず 手紙を少しずつ紐解いていき、 ラブレターを盗み読むことによって この館の主だった女性ブランシュに次第に魅了されていく・・・

小説は べつべつの7人の男たちからのラブレターと、 ジュスタンがこの館の周辺で出会う奇妙な人物らの描写などで進んでいくのですが、 なかなかわかりにくい小説です。 エルザ・トリオレがこの小説によって何を書こうとしたのか、、 その辺りを考えていくととってもいろいろな読みが出来そうな、、 物語も謎めいていて、 ときにシュールで、、

なので そのへんのことは置いて、 ブランシュへのラブレターから判って来るのは(以下ネタバレになってしまいますが)、、 彼女は女性パイロットであり、 さらに宇宙飛行士も目指しているらしい、、 ということ。 

『ルナ=パーク』は1959年の作品。 ブランシュが宇宙飛行士として月を目指している、、 というのは ソ連の《スプートニク計画》が進められていたまさにその時代、、 米ソの有人月旅行計画が進められていくのは60年代に入ってからなので、 エルザ・トリオレが『ルナ=パーク』で月をめざす女性宇宙飛行士を登場させるというのは、 とっても先進的な視点だったのかもしれません。

そんな読書をしたのち、、 また? と言われてしまうかもしれないのですが、 前にもたびたび書きました片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』が発売されたのが2月。。 それを読んでいてそのなかに、、

 ***

 「飛行機がまゐりました。」
  茶の間から若い女中が教へに来てくれた。



これは 『ともしい日の記念』の四月の章、 「かなしみの後に」という随筆の後半に出てくる文章。。 「かなしみの後に」は青空文庫でも公開されていないので内容は控えますが、 1920年の3月から5月までの思い出がつづられています。

その片山さんの「かなしみの後に」、、 「飛行機がまゐりました。」

読んだとき、 いったい何のことだろう… と思いました。 若い女中さんのこの言葉はまるで 「タクシーがまいりました」と呼びに来ているみたいで、、 飛行機に乗るの…? どこから…? なんて、 一瞬考えてしまったのでした。 大正9年のことなのに、、

それは 続きを読むとわかるのですが、 片山さんは女中さんに呼ばれて、 庭へ降り立ち 東京上空を飛んでくる飛行機を見上げたのでした。。

 ***

かなしみの後で見上げた飛行機。。 この随筆の印象があまりに鮮烈だったもので、 このとき片山さんの空を飛んでいた飛行機はどんなだったのだろう… と検索しました(本文の注釈も参考にして…)

それは 1920年5月末日、 ローマから東京へ飛んできたアルトゥーロ・フェラーリンの飛行機でした(>>wiki アルトゥーロ・フェラーリン)

wikipedia の記述からわかりますが、 きっと大々的に新聞に載ったりして、 その日 東京へ飛行機が飛んでくることは大きな話題になっていたのでしょうね。 それで若い女中さんは 今か今かと気にかけていて、 それでエンジン音がきっと聞こえてきて 「飛行機がまゐりました。」 とあわてて奥様を呼びに行ったのでしょうね。

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エルザ・トリオレの『ルナ=パーク』の女性飛行士ブランシュは、、(これもネタバレごめんなさい…) 長距離飛行に出たのち消息を絶ちます。 おそらく砂漠のどこかで…

上記の片山さんの随筆に出てくる長距離飛行のことなど検索しているうちに、 アメリア・イアハートという女性パイロットの記述に辿り着きました… この方のことは全然存じませんでした。。 女性として初の大西洋単独横断飛行をした人。 そして 赤道上世界一周飛行の挑戦中に消息を絶った人…

ウィキに載っていたポートレートにも魅了されました。 かっこいい美しい人(>>アメリア・イアハート

エルザ・トリオレが『ルナ=パーク』の女性飛行士ブランシュを創造した背景には  アメリア・イアハートの存在などもきっとあったのでしょう。 

アメリア・イアハートについては いろんな本も出ていて、 その謎の失踪についても日本軍に捕らえられただとかいろいろな憶測などもあったのだそうです。 『アメリア 永遠の翼』という映画にもなっていて、 出演がヒラリー・スワンクとリチャード・ギアですって。。 想像できそう、、 ヒラリ・スワンクはそっくりな気がします。

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片山廣子さんのかなしみの空を飛んだ飛行機…

第二次大戦前夜の南太平洋に消えたアメリア・イヤーハート…

そして、 月を夢見つつ、 現実世界の《戦争》という渦中に消えていった『ルナ=パーク』のブランシュ…


現代、、
ふたたび人類は月をめざすのだそうですね。。 2026年には 日本人初の月面着陸も計画されているのだとか… 夢のような、、 その一方で、 月の資源獲得競争みたいな覇権争いも見え隠れしますが。。


GWにかけてのいくつかのイベントを無事に乗り切ったら(これも私にとってはおおきな冒険のようなもの)、、 アメリア・イヤーハートに関する本をいくつか読んでみたいと思っています。 先日、 エスクァイアのサイトにこんな記事も載っていたようです⤵
  アメリア・イアハート失踪の謎、ついに終止符か|無人潜水機の画像が話題に>>.esquire.com


失踪の謎にも興味はないわけではないけれど、、 彼女がどんなことを考えて、 感じて、 空を飛んでいたのかを読んでみたいです。




青空 見上げて…



きょうも あしたも




元気でありますように…

エルザ・トリオレのゴンクール賞受賞作『最初のほころびは二百フランかかる』

2024-02-22 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
昨日書いた 『今晩はテレーズ』につづいて、 今回はエルザ・トリオレが第二次大戦中に書いた『最初のほころびは二百フランかかる』についてです。

前作につづいて 何の知識もなく、 この変わったタイトルの小説についても 何も知らないまま読み始めました。 昨年11月に、この小説について一度書きましたが、 そのときに引用したのが 小説のいちばん最初の文章でした。 同じものをもう一度引用します。

 この上もない大混乱だ。鉄道も、人の心も、食糧も…… 明日にはよくなるというのだろうか、冬にはなにかが変わるだろうか、あとひと月でけりがつくのか、それとも百年このままだろうか? 平和への期待はみんなの頭上に、剣のようにぶらさがっている……
    (エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 新日本出版社 1978年)

 このページの終わりのほうには つぎの文章があります。

 「上陸だと言っても、結局、大したことはないんじゃないかな?」と誰かが言った。六月になっていた。……


歴史に詳しい人なら、上記の部分を読んだだけで何を意味しているのかきっとお分りになるのかと思うのですが、 戦争史も、戦争映画も、ちっとも知らない私は、小説のほとんど最後まで読み終える頃まで、 何について書かれているのかろくにわからないまま読んでいました。

最後のほうになって、 記憶の奥の方から 《ノルマンディー上陸作戦?》ということばが浮かんできて、 それのことなのかな… と。 そうして Wikipedia (>>)でその日付などを見て、 あぁ…‼ と驚いたのでした。


 …だが、そうは言っても、いろいろと曖昧な私設情報の中に紛れこんで、「最初のほころびは二百フランかかる!」という暗号が流されたのはありがたかった。ああ! この言葉はなぞなぞではなく、おとぼけでもなかった。…略… 外国語のスピーチに挿入されたフランス語さながらに。その意味はこうだ。「行動に移れ!」

上記は冒頭2ページ目の文ですが、これを読んでいた私にはまだ何もわかっていません。。 ノルマンディー上陸 といったら、写真でみたことのある あの巨大なホバークラフトみたいな船で兵士たちが海岸から上陸してくる、 それしか知りませんでしたし、 フランス国内でなにが起きていたかなど これまで想像したこともなかったのです。

この『最初のほころびは二百フランかかる』という小説は、 1944年の11月に書かれ、1945年度のゴンクール賞を受賞しました。 ドイツ占領から解放されたのは1944年8月。 そのころのフランス国内での文学活動や、 レジスタンスの文学については、 エルザ・トリオレのパートナーである ルイ・アラゴンの Wikipedia (>>)のほうに書かれていました。 

前回書いた エルザ・トリオレの最初の小説『今晩はテレーズ』のなかで おもむろに描写され私が驚いた 巡視隊や警官隊の暴力、ファシズムの影… そこへ向けたエルザの眼は その後、 弾圧に抵抗する文学へと向かっていき、 第二次大戦中も地下出版の活動をつづけ、1944年のパリ解放とともにおそらく堰を切ったようにこの『最初のほころびは二百フランかかる』を仕上げ、発表したのでしょう。

レジスタンスの文学・・・ たしかに内容は《ノルマンディー上陸作戦》に向けて密かに行動を進める市民・農民らを描いているのですが、 まったく説明のない文章と短いセンテンスで、 いきなり酔っ払いの場面になったり、 とある農家の寝室が描かれたり、 いったい何がおこっているのか分らないまま読者を先へ読ませていくという手法は 先の『今晩はテレーズ』と同様で、その点がエルザ・トリオレの巧みさのひとつなのかもしれません。

翻訳が収められている『世界短篇名作選 フランス編2』では、 このエルザ・トリオレの作品の直前に 夫であるルイ・アラゴンの『一九四三年の告解者』という短編が載っているのですが、 (絶版なので少し内容を明かしてしまいますが) 或る教区の司祭がいつものように信者の告解を聞き終えたところに 警官とドイツ人がやって来る。教会に逃げ込んだ者を探しているという。司祭は懺悔室に見なれない男の足がのぞいているのに気づく・・・ さて司祭はどうするか。。 という なんというか非常に率直なレジスタンスの文学作品でした。 

アラゴンの作品と比べると、 エルザの作品はとても分かりにくい小説ではあるものの、イマジネーションの広さ、場面展開の意外性、、 実際に起こった出来事を書いていながら事実の羅列に終始しない、 作家としての力量を感じます。


 …空の物体は依然として宙をただよう。それが徐々に下降し、近づいてくる。頭の上にやってきた。みんなの頭を圧し潰しそうだ!…

 …さあ、探し出さなくては。 …略… こっちへ走り、あっちへ走り、やっと蒼白く光る、くらげのようなその影が、くねくねとした巨大な形で地面に落ちている地点までたどりつく。…

 …終った。コンテナーは全部からっぽになった。積み重ねてあるパラシュートを分配する。…略… 明るいところで見ると、変なものだ。全部が全部、白いわけではない。薄い緑色のや、ピンクのもある……絹のすばらしいブラウスやドレスになるだろう。タオル地なら、布巾類になるだろう。それらは、チョコレートやたばこも含めて、協力者たちへの景品なのだ。


 
少し長い引用をしてしまいましたが、エルザの短文による映像表現の巧さや、 レジスタンスの市民らの様子を女性ならでは視点で切り取っているのがよくわかります。
占領から解放された直後にこれを読んだら フランスの人々はきっと涙してしまいそうです。 ゴンクール賞をとったのも成程、と思いました。

ところで、、 ノルマンディー上陸作戦の《暗号》は、 ウィキによるとヴェルレーヌの詩「秋の日のヴィオロンのためいきの…」 が使われたそうなのですが、エルザが書いている「最初のほころびは二百フランかかる」というのが どこかで使われた暗号なのかどうなのかは ちょっと調べたもののよく判りませんでした。 もし本当だったら、「秋の日の…」よりもセンスの良い暗号だと思いませんか?


 …だから、もう言わないことだ。「われわれは弱すぎる。武器がない。黙って皆殺しになるしかない」などと。それは間違っている。…略… 無抵抗は戦争を長びかせ、もっと血を流すことになるだけだ。めいめいが自分なりにレジスタンスを支援していただきたい。その手段がどんなささやかなものでもいい。つまらぬ任務などは存在しない。…


本文中の 家々に撒かれたレジスタンスのビラの文言の一部です。 エルザ・トリオレの小説から80年後の今、 これを読んでいるということがとてもつらいです。
なぜこんな戦争が起きるのだろう…という戦争が起きていることが 今、とてもむなしいです。

エルザ・トリオレの 『最初のほころびは二百フランかかる』について、 現在読もうとしてもなかなか読めませんし、 この作品について検索しても殆んど何も出てきません。 世界がずっと平和なら、忘れられてしまっても良かったかもしれませんが、、 残念ながら世界はそうではありません。

私はこの作品の内容をまったく知らずに読み始めたので、 最初に書いたように何の事を書いているのかちっともわからず、、 そして読み終えて、 それから現実の今に戻って、、 悲しい溜息がでる思いでした。 その想いが多少なり伝われば… と、たくさんの引用をしてみました。



エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 『世界短篇名作選 フランス編2』 新日本出版社 1978年




エルザ・トリオレの この15年後の作品『ルナ=パーク』については またの機会に。。