昨年の丁度いま時分に、「蓼科の野花」シリーズで 「現の証拠」 について書いた。
偶々それを目にした旧友が、短いエッセーの中で触れた「百合子先生」の現住所を連絡下さった。
「現の証拠」の短編とその他に数編をコピーして、先生にお届けした。夙に90歳を超えるご高齢の先生がお読み頂けるように、大きな文字フォントに置き換えて、再編集してコピーをした。
友人の連絡では、ご高齢で足腰が弱ってはいるものの、認知症もなく、介護付きの老人ホームに入居され、元気にお過ごしだと伝えて来た。お送りしたものの、お読み頂いたか否かは定かならざるまま、半月ほどが経った或る日、ご長女から返礼のお手紙を頂いた。
お手紙には、拙文のコピーを枕元に置いて、繰り返しくり返しお読みになっていると、認めてあった。
ご長女が、昔の遠足で摘んだ「現の証拠」と虚庵居士のことを聴いたら、頷いて「覚えているわよ」と、
しみじみとした表情でした、とも書かれていた。
頂いたお手紙はご長女がワープロで印刷したものであったが、末尾には先生の署名が添えられていた。少しばかり痩せ型の丁寧な署名は、紛れもなく見覚えのある「百合子先生」の自筆であった。
半世紀以上の歳月を経て手にした先生の自筆は、忽ちおぼろに霞んで、その向こうに先生の笑顔が
揺れていた。
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何故ならむ去年(こぞ)と今年も草叢に
現の証拠の小花に逢ふとは
柔かな朝の陽をうけ草叢の
現の証拠と言葉を交わしぬ
この花は時をとどめて今もなお
幼きあの日のボクに戻しぬ