今年も何回目になるのだろうか、エンジェルストランペットが大きな花を一杯に咲かせて、道行く人々の目を奪っている。
白い大きな花びらは、風を受けて一斉に舞い踊り、まさにエンジェルの群舞を見せてくれるが、繊細な花びらは葉や枝に擦れて、花びらの縁がたちまち変色する。自然のなせる業であれば、ほとんどの人々は気にも掛けないが、せっかく美しく咲いた花が痛ましく傷つき、萎れる姿は見るに忍びない。
高い木の枝の、萎れた花だけを摘み取るのは、脚立でも使わぬ限りほとんど不可能だ。 かと言って、
この木はごく脆いので、枝を撓めたり木によじ登るなどは論外だ。細い篠竹を使う方法はないものかと、思案投げ首であったが、ついに素晴らしい虚庵流を発明した。篠竹のきれいな切り口の先端を、敢えて半分ほど切り裂いて、これに萎れた花びらを巻きつける技を開発したのだ。咲いて間もない花の隣であっても、篠竹の先端に萎れた花びらだけを静かに巻きつけることで、痛ましく傷つき、萎れた花をた易く取り除くことができる様になった。
それ以来、うつろ庵のエンジェルストランペットの花たちは、溌剌とした姿を魅せてくれている。
繊細な花なればこそ傷つけば
花咲く心をおしてや知るべし
白妙の花傷つきて萎れるは
見るに忍びず如何にや助けむ
朝な夕なエンジェルの花見上げれば
白き衣手 応えて舞ふかも
見上げる毎日で、足元が疎かになっていたら、大葉の秋うこんが根元に白いフリルの花を咲かせていた。秋雨に濡れて、憂いをおびると言うよりは、溢れるばかりの涙をじっと堪えているかの風情であった。「エンジェルストランペットばかりを可愛がって、あたしには見向きもしないなんて・・・」と、すねているかにも見えた。
幾重にもフリルを重ねてその中に
うこんは咲くかな涙を湛えて
白妙の花びらとかして湛えにし
涙はうこんの喜びならずや