川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

「五頭のタテガミオオカミ」についての訂正(および、「動物園にできること」の差し替え)

2006-10-19 20:38:10 | 自分の書いたもの
以前「 五匹のタテガミオオカミの話」というエントリを書いたのだけれど、その内容について「どうぶつと動物園」の編集者から指摘を受けたので、訂正いたします。
 指摘して頂いたポイントというのは、元々の文章では、「どうぶつと動物園」には死亡した動物を報せるコーナーがなかった、と読める部分があって、それが事実誤認だそうです。1949年にスタートしたこの機関誌の初期には、来園と死亡を伝えるコーナーがあった、と。
 また1949年からこれまでに、来園・誕生・移動・死亡記事の総数は8100件ほどあって、そのうち300件は死亡記事だそうなので、「死亡がまったく伝えられない」というふうには誤解してほしくないとのこと。
 
 もっとも、タテガミオオカミがいた時期には、「死亡コーナー」はなかったようで、正田先生の記憶の通り、「来園は伝えられたが、死亡は伝えられなかった」模様。ただし、ここちにも訂正すべき論点があるので、少々、細かく書いておきます。
 
 まず、二十世紀中のタテガミオオカミの来園は、1969年、1972年、1974年の三回。
 正田先生の記憶では「一頭ずつ」だったのが、実はペアで来園、とのこと。
 で、この三回とも「来園」の記事は出て、しかし、死亡の記事は出なかったのは事実。二度目のペアが来た時に「これで合計三頭になった」という主旨の記述があって、その部分に「一頭の死」が仄めかされているだけ。
 というわけで、実際に「どうぶつと動物園」だけを子細にみている熱心なファンがいたとしたら、1975年から85年までのほぼ十年間(三回目のペアの片割れが死んでから、もう片方が死ぬまで)「五頭いるはずなのに一頭しかいない。なぜか」という状態だったのは確かなようです。
 その意味では正田先生のお話しは正確なのだけれど、ただ、編集者さんがこだわったのは、「ペアで来園」の部分。正田先生は「死ぬたびに一頭ずつ」とのことだったのだけれど、さすがに動物園なのでそういう変な飼い方はしない。つまり、繁殖できる態勢で必ずペアを導入したのだ、ということでした。
 
 まとめ、事実誤認は2点。
(1)「どうぶつと動物園」の初期には、動物の死亡を掲載するコーナーがあった。
(2)タテガミオオカミが来園した際には「一頭ずつ」ではなく、「ペア」だった。
以上です。

 ご指摘ありがとうござました!>編集者さん。
 
 
 でこれにともない、「動物園にできること」の文庫版あきがきでも訂正が入ります、337ページの冒頭の段落、差し替え。次回の版で反映させます。
 
 以下、差し替え部分。

 東京動物園協会の正田陽一副会長から、「五匹のタテガミオオカミ」の話を聞いたことがある。上野動物園では1969年から85年にかけて南米産のタテガミオオカミを飼っており、東京都の動物園の機関誌といえる「どうぶつと動物園」では、新しい個体がやってくるたびに記事にしていた。しかし、死を知らせるニュースは掲載されなかったため、ある時、地方から上京した熱心な動物園ファンがタテガミオオカミを見て、「五頭いるはずなのに一頭しかいない。なぜか」と問うた。



「海へ行くつもりじゃなかった」とランサムのこと

2006-10-18 13:00:41 | ソングライン、ぼくらの音楽のこと
Three Cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかったThree Cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった
価格:¥ 2,548(税込)
発売日:1993-09-01
フリッパーズギターのリマスター版。
以前もっていたものを紛失してしまったので、再購入。
すごくいいかんじ。リアルタイムで聴いたことがない人にも、お奨めしちゃいます。
それはそれとして、タイトルの「海に行くつもりじゃなかった」って、ランサムのWe didn't go to seaから来ている模様。
収録されている曲で、特に関係がある内容のものはないと思うのだけれど、なんとなくはまっているような気がしますね。
そこまでやるつもりはなかったのに、思いきり遠くまで行ってしまった、みたいな雰囲気の曲作り。

そうそう、ランサムのこの作品て、よく「好きでしょう」と言われるのだけれど(たぶん川の名前からの連想か)、はい、まずまず好きです。
でも、ちょっと評価は低めです。

それは、ぼくの指輪物語好きを知っていて、「ナルニア好きでしょ」とか言われるのと感覚が似ていて、なんか、あのお父さんと息子の関係が嫌なんですな。あのお父さん、アスランっぽくないですか。
そして、アスランって、あまりにも光り輝く正義すぎて、目が痛くないですか。

むろん、名作傑作であることには異論がないのだけれど。

そういう作品です。
途中から、話がいれかわってしまった……。

海へ出るつもりじゃなかった
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:1995-07


あなたが噛んだ中指……痒い(カマキリの唾液アレルギーについて)

2006-10-18 06:44:49 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
R0012559この前紹介したフォトジェニックなカマキリ君ふたたび。
撮影時に怒らせたので、大鎌で挟まれたり、口で噛まれたりしたのだけれど、そのうち、噛まれた中指の傷が治らない。

もう一週間以上前なのに……。

噛まれて三日か四日くらいは、その小さな赤い傷跡がぽっこり発熱しているかんじで痛かった。
そして、今は、ひどく痒い。

これは……カマキリの唾液アレルギー?

いやあ、まいった。痒くて死にそう、ってわけじゃないけれど、とはいえ難儀。

もう一度噛まれたら、やばいかな。
カマキリ・アナフィラキシーショック予備軍かもしれんです。

カマキリに噛まれて……なんて、格好悪いっす。

視力が0.3?? このままメガネっ子の道を歩むのか

2006-10-16 20:27:03 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
 息子の秋の視力検査の結果。
 左目は以前と同じ。右目が1.0から0.3に落ちてしまった。
 このままメガネっ子の道を歩むのでしょうか。
 本人は、テレビやパソコンするのを一ヵ月やめてみると殊勝に言い出す。
 
 でも、そんなんで治るのか。
 
 日本眼科医会は、いったい0.3にまでなったものをメガネ以外で「なおす」ことには悲観的。
リンク: 日本眼科医会 目についての健康情報 子供の近視.

 その一方で、こういう視力トレーニング系サイトもある。
 リンク: 子供の視力回復・近視予防には、自宅でできる眼育(めいく)トレーニング!.
 
 ここには、たくさんの成功体験も掲載されているのだけれど、それが、「アガリクスで癌から生還」体験談と同じリクツな気がして、イマイチ信頼度が上がらないのだなあ。
 
 本人も「やる気(?)」なので、これからしばらく姿勢に気を付けたり、テレビやマンガを制限したり、してみますわ。

 あ、でも、今のところ両眼視ではかなり見えていると判明。
 これは「視力の神秘」。片方だと全然なのに、両方だとけっこうイケる。
 前から四列目の学校の席では、黒板の字はばっちり見えているそう。

キジバトはほっとする

2006-10-16 09:14:27 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
Img_8173最近、よくうちの庭先にやってくるキジバト。
ドバトを見ると、すぐに、糞にまみれたビルとかを想像してしまうのだけれど、キジバトはどことなく緑を暗示する。この子もすぐ近くの木を根城にしているみたい。よって、ドバトよりもずっと、ほっとする。ただそれだけ。最近、ほっとしております。



殺人的行事連続週末

2006-10-15 06:25:58 | 日々のわざ
きのうは娘の保育園の運動会で、きょうは息子の学童のお祭り。先週末の息子の運動会から始まって、慌ただしい週末ばかり。
秋のこの時期、子育て期のいわゆる「保護者」たちは、みんなこんなかんじっしょうかね。
Img_8379そういえば、来年からは娘が小学生になるので、運動会が二つ、ということはなくなるのだなあ。
というと、保育園は今年で最後。
ちょっとしんみり。
いろんな意味で。

あらためて「せちやん」文庫版を紹介します。

2006-10-13 07:56:35 | 自分の書いたもの
 さて昨日あたりから東京の大手書店では店頭に並び始めているようです。
 これから、来週の前半にかけて全国展開される予定。アマゾンでもほどなく「予約」じゃなく「24時間」になるでしょう。
 あらためて、紹介すると……。
 内容は……「せちやん」の「せち」とは、SETIであって、知的異星人捜しに取り憑かれた人の半生。でも、SFとは言わないでしょう。現代小説。青春小説だという人もいるかも。

「夏のロケット」がポジなら、こっちはネガ。
 ともに、92年か93年くらいに原型となる中編を書いたもので、前者では宇宙はあっけらかんとした問答無用の情熱の対象だったのに対して、「せちやん」はもの悲しい宇宙的孤独についての作品。
 ちなみに単行本が出た時、「リーダビリティ自己ベスト」でした。
 
 文庫版の解説は松本侑子さん。「女の子」の視点からこういうのがどう見えるのか知りたくてお願いした面があるのだけれど、結論から言うと我らの世代の女の子は、男の子の視点も内蔵していて、そのレセプターで楽しんでくださった模様。
 
 あ、そうだ。
 この本、これまでぼくが出したすべての書籍の中で一番安いです。

せちやん 星を聴く人せちやん 星を聴く人
価格:¥ 540(税込)
発売日:2006-10-14
夏のロケット夏のロケット
価格:¥ 670(税込)
発売日:2002-05


追記
すでに単行本の時のネット書評などがあるので、それをコメント欄にはりつけておきます。
ぐぐって、トップ100にでてきたもののうち、見繕って。
SFマガジンなどに書評を書いている冬樹蛉さんやタニグチリウイチさんのもの発見。
参考までに。



なんかたくさん話してきた。こういう社会性は大事だな

2006-10-12 08:10:32 | 日々のわざ
久しぶりに竹中直純さんと会い、佐藤大さんを紹介してもらう。
バンダイビジュアルグループのAPの桑島さんやら、フロッグネーションの加川さんも一緒。
それにしても、プログラマやら、脚本家やら、ミュージシャンやら、という職業と比べた時に、小説家というのは、一番、内にこもりやすい。たとえば、タヒチやギリシアに籠もってひたすら書く生活、なんて、文筆家といわれる中でも、とくに、小説家にしか許されないスタイルかも。
それは、つまり、内にこもった生活をしがちってことでもあって、たまには外に出ないとね、ということになる。精神衛生上。

ちなみに、佐藤さんは、自他ともみとめるワンピースファンで、映画の話で盛り上がる。「お祭り男爵」はたしかに異色の作品で、とっても切ないのだ。ワンピースが内蔵している「本来のテーマ」を、深く掘り下げてしまったがゆえに、それっぽくなくなってしまったところがある。お祭り男爵って、「挫折したルフィ」であり、それと後半活躍するちいさい子は、「これからのルフィ」なのだ。などなど。

竹中さんは、お子さんが生まれたということで、六年後のPTA参加を見越して「パパ権」を差し上げておく。や、しかし、PTAにIT革命を起こしてほしいぞ。

SOUPを映画にするとしたら、という話をしていて、つくづく、自分が映画を念頭に置かずに描いているか実感。
というか、あえて映像化できないこと、文章だから言えることを探して書いている傾向がある。

たぶん、これはテレビ局体験がものをいっているのかも。
自分の物書きデビューは、ノンフィクション「クジラを捕って、考えた」なのだけれど(その前に、シンラなんかにネイチャーライティングは書いていたとはいえ)、その時、テレビのドキュメンタリー番組と、文章の違いを考えさせられた。

映像は「迷い」を表現しにくいとその時感じて(例えばクジラの捕殺シーンや解体シーンはやはり見た目で残酷に映ってしまい、印象を決定づけてしまう)、白黒はっきりつけられないものを表現するにはやはり文章だろうということで、書いた。

そんなこんな。
終電で帰ってきて、久々、深夜にちょっと仕事した。

M君がK君にラブレターを

2006-10-11 06:42:33 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
息子が家に帰ってきて、言う。
「きょうさ、Mがさあ、Kにラブレター出した」。
なんなんだそれ。
ちなみに、MもKも♂である。

話を詳しく聞いてみると、サッカー少年で、クラスの中でも求心力のあるMクンが、朝、いきなり「Kにラブレターを持ってきたー」と宣言し、渡そうとしたのだそうだ。

Kクンは、「そんなのいらねーよー」、と拒否。
それでも、Mクンは、もらってくれー、と断固、思いを遂げる(?)意気込みで追い回していたそうな。
で、結局、どうなったかは、よく分からず。

すごくセクシュアルであり、また、未分化でもあるエピソード。

ちょっとドキドキしたりして。

M君がんばれ!
でも、がんばりすぎるなよ。

ファイティングポーズ

2006-10-10 13:02:56 | 川のこと、水のこと、生き物のこと
R0012545金曜日にGRdigitalのカレンダーコンテストの審査委員してきて楽しかったのだけれど(それはまた今度、書きます)、ひとつだけ残念だったのはなにしろ「カレンダー」なので、ムシムシな投稿が少ないか、あるいは「最終選考」まで残る至らなかったのか、あまりなかったこと。
仕方ないので、自分で撮ってみた。
これ、カマキリで、一番撮りやすい広角マクロ写真なんじゃないでしょうか。

ちょっと顔にはピントはこなくて残念だけど、まあまあ雰囲気あるかな、と。
カメラを近づけるとカマキリ君は自然とこういうファイティングポーズというか、ディフェンスの構えをとります。
ピントはマニュアルにして、カメラを近づけていって液晶でピントを確認。
このあたり屋外だと、はっきり合焦感がえられないから苦しいのだけれど、やや絞り込んで対応。
というところ。
もう一段、露出をアンダーにして、その分、絞った方がよかったかなあと反省。でも、撮り直したりしないのが、我ながら雑なところ。いい加減でいいじゃない、と。

R0012542こういうのも撮れます。ほんとカマキリ君は、フォトジェニックだ。というか、GRジェニック。カメラを近づけたら、かならず警戒してこっち見てくれるし。怯えて逃げる普通の動物(そりゃそうだ)にくらべて、相思相愛なかんじ。
ちなみに、このカマキリ君は、昨日多摩川の川縁でゲットしたもの。
バッタも一緒にあげて生き餌にしているのですが、まだ食べてません。
きっとそのうちリリースします。

で、本題。
リコーさん、GRによる、ムシムシ写真コンクルーしませんか。
審査員? ノーです。
ぼくが出します(笑)。
あるいは、マクロ系コンクールでもいいのだけれど。


運動会ネタもうひとつ。ミ・アミーゴの地元ってどこ?

2006-10-09 06:55:50 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
二年生が、「ミ・アミーゴ」の曲で、手旗を持って踊るという「演技」があって、愛らしかった。
それはそれとして、「地元じゃ負け知らずー」とうたうあそこ。

やつらの地元ってどこでしょう?
東京からそれほど遠くない地方都市ってイメージかしらん。
ちなみに、ぼくは西川口あたりがしっくりくる。
もちろん、千葉でもいいだけど。

絶対に広島とか福岡とかでもないよな。

さあ、みなさんどうよ。

どこかでだれかがすでに話題にしているに違いないと検索してみるも、こんなん見つけただけ。
耐震アミーゴ

運動会、終わる。

2006-10-08 16:26:35 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
R0012478風の中の運動会。砂塵がまいあがる。弁当もじゃりじゃり。
保育園児の娘は、三年生の兄が団体競技で負けるのを見て、涙を流す。

なんなんだ、この負けず嫌い。
泣くことたないだろ。負けた本人、ケロリとしているし。
来週は、自分の運動会だと思って、かなり気合いが入っているのか……。

すべてのプログラムが終わった後、片づけに保護者も残ってくださいとアナウンス。
でも、大多数は帰る。
残っている人たちも、多くはおしゃべりをするばかりで片づけの中に入らない。
アクティヴなのは、せいぜい、二、三十人ってところか。

これをもって、我々のPTAは公共心がない人ばかりと嘆くか、というと、決してそんなことない。
だって、呼びかけたら、片づけがすんなり終わるくらいの人数が自然と残っている。
すごいじゃん。
これ以上残っても、やることがない人がたくさん出て逆に困るしね(あ、校庭でおしゃべりしていた人って、そういう人たちかも)。

なにしろ、ぼくは理想が低いらしい。
へえっ、こんなに残るんだと感動している。

片づけが終わった後、芝生の上でキックモーション。なんかキモチイイ。
去年痛めた膝は、もう痛くない。
可動範囲が狭くなったけど、筋力もまずまず戻ってきた。

家にかえってじゃりじゃりの体から、砂を洗い流す。
頭も洗う。
これも、キモチイイ。

あ、写真は言わずとしれたGRの作例。かなりマイナスに露出補正。


オシムは錬金術師じゃない。しかし、優秀な化学者であることに期待。(ポリバレントについても考察)

2006-10-06 10:02:28 | サッカーとか、スポーツ一般
ガーナ戦のコメント、出遅れた感があるので、一言だけ。
面白かった!
バックラインでのパス回しが、強く速くなる。監督が「各駅停車」と批評するとそれが、反映されてしっかり変わる。こういう、ポジティヴな分かりやすい変化って、あるものなのだな、と久々に感じた。

で、一気にキーワードに上り詰めたポリバレント。化学の言葉としては、たくさんの原子価を持ち得る、という意味。
まずは、理化学事典第五版より。

原子価
[英仏 valence 独 Valenz 露 ***********]
ある元素の原子が他の原子と単結合をいくつ作れるかを表わす数を,それぞれの原子または元素の原子価という.たとえば,酸素,窒素,炭素の原子価は,H*O,NH*,CH*という安定で飽和な水素化物の組成から,それぞれ2,3,4となる.典型元素では,閉殻構造をとるために非結合電子対を作るものを除いた*価電子の個数が原子価になっているものが多い.第3周期以上の元素では,リンのように3価(PH*など)と5価(P*O*など)という複数の原子価を示すものが多い.第2周期の元素についても,CH*,CO,NO,NO*などの結合のように,形式的な原子価で議論できないものもあることに注意する必要がある.


つまり、複数の(poly)な原子価を持ち得るリン(3価と5価)みたいなのが、ポリバレントな元素。

こうやって言葉の原義に戻ってみると、ポリバレントなサッカー選手とは、「マルチタレント」というのとは少し違いそうだ。複数のポジションをこなす、というのもあるのだけれど、含みはそれだけに留まらない。

むしろ、ほかの選手と、複数のやり方で、結びつくことができる、という部分にフォーカスがくる。
コンビネーションの引き出しの多さとか。
使い・使われることの意識の高さ、とか。

チームメイトによって、あるいは相手チームによって、どんな「化合物」としてのプレイを産出できるか。

ここで、化学のアナロジーって、新鮮だし、そこそこロジカルで、実にオシムっぽい。

魔術師ではなくて、サイエンティスト。
アルケミスト(錬金術師)ではなく、ケミスト(化学者)。
そういうセルフイメージを、彼自身持っているのかもしれないと思った。

これ、全体として、ガーナ戦の印象でもありました。

エシェン、いいね。