リヴァイアさん、日々のわざ: 不都合なタバコの真実@週刊東洋経済(読了して追記)
リヴァイアさん、日々のわざ: タミフル対策、あなたの考えは
先週から今週にかけて、この2つのエントリで、延々とタミフルをめぐる議論がなされていて、その間、ぼく自身、B型インフルエンザにやられて(本当にひさしぶりの病気。ここ二年は風邪すらひいていなかった)いるさなか、ずーっと議論は継続していたわけです。
今さらながら、原稿用紙換算160枚以上の分量のコメントを拝読。
「あとから来る人」のために、読みやすくなるようなエントリを残しておこうかな、という気になりました。
まず議論のコアになっているのは、疫学者の津田さんと、きくちさんの往復書簡(?)部分。
津田さんと、きくちさんは、合意できている部分も多くて、それは「タミフルは異常行動との因果関係が示唆されている」(程度はともかく)といったことや、その一方でパンデミック対策としては重要なので、浜六郎氏の認可取り消し要求などは「やりすぎ」であるとか、大枠ではぶつかりあう部分はなく、それは、またぼくも含めて、多くのコメンテイターも同意しているよう。(追記。この点については、津田さん自身のコメントが下にあり。一読を。浜氏の意見のある部分については、むしろ、まだ弱いとおもう部分もあるとのこと。浜氏が血液製剤による薬害エイズについて述べた1980年代に、あそこまで述べたことの方がずっと「やりすぎ」だったかも、ですとか。)
その上で、何が中心的な課題になったかというと、ある特定の不完全な研究から(って、この場合は横田研究から)、どれだけ何を語らせるのか、という問題。
津田さんは、誤分類やら、バイアスやらの補正をするのに抵抗がない。これは疫学をやっているのだから当然のこと。
その一方で、物理学をバックグラウンドにもつきくちさんは、こういった操作をデータのいじりすぎに感じられるとの発言があって興味深かった。
これを両氏のそれぞれの学問分野の文化の問題なのか……タミフルと横田研究を素材にしながら、そのあたりのことが、垣間見えたのかも。
自然科学の人や、医療の方や、ひょっとすると科学史家の方なんぞが読んでいただくと楽しいかもしれません。
ぼくは疫学のこういうやり方というのは、魑魅魍魎の跋扈する「実験室外」において、あるいは社会的生き物としての人間集団を対象にしつつ、できるだけ科学的であろうとする「一般科学」の営みであると考えているのだけれど(社会科学で使う統計とは違う、と思っている)いかがなものか。
どういう研究デザインではどういう誤分類やバイアスがはいりやすいとか、データの取り扱いになれな人がこうするとああなるとか、人間の「間違いやすさ」の中で系統だっている部分について研究が為されてきた。疫学が実験室の外を主たる活動の場としてきたからなのだけれど、通常の自然科学ではそんな努力をする必要はなく、むしろ、そうしなければならないことにうさんくささを感じてしまうのかも。
いずれにせよ、横田研究は、深読みしなくても、それ自体、「不完全な研究とはいえ、因果関係を示唆しているようなので、とりあえず、因果関係アリと仮定したうえで諸々の対策をとり、さらなる研究を」というのがいいのかなあ(あ、これは川端の意見)。
横田研究の中に出ている表の中で、ちゃんとそれだけで有意になっているのは「うわごと」の1.43というやつだけのはずなのだけれど、ほかにもかなり数字の高いものもあるわけだし、
と、つらつら書いていていて、とうてい「まとめ」なんて不可能だと気づいた。
というわけで、以後、コメントを読んでいていおもしろかったこと、メモしておきいたいこと。
まず、
●津田さんに取材したらいかがですか、記者さんたち! ある意味、極論を展開するようになってしまった浜六郎さんよりずっと現実的なところでの議論を期待できると思うのですが。
って、ここで小さく書いても仕方がないか。
●製薬会社で研究をささているというtygrysojciecさんのコメントに「制度上の副作用は因果関係:有+因果関係:不明ですので、説明書き(添付文書)に記載されていても、因果関係不明のケースもあります」とのこと。なるほど、いちいちお金をかけて副作用の因果関係を追究するメリットは製薬会社にはないもの。勉強になりました。
●インフルエンザ脳症の症例対照研究、やはり必要でしょう。ライ症候群とアスピリンの関係も症例対照研究で示された(教科書的な「成功した」研究)。解熱剤、タミフル、予防接種といったことと、脳症がどう関係するか。ちなみに、ぼくはこの件についてこれまでに二回、国立感染症研究所の人に言ったことがあるのだけれど、ピンときてませんでしたね。
●もちろん、タミフルと異常行動の研究も。症例対象研究、後ろ向きコホート。
●Pearlによる、必要確率と十分確率という考え方。
●発症時期を早める高価(触媒効果)は、「原因」といえるのか。喫煙と発ガンの場合は、「イエス」といえる。しかし、インフルエンザにかかっている時のタミフルと異常行動のように、発症までの期間が短いものの場合は……?
●4倍ものオッズ比をたたき出すような相関を、交絡で説明できることは滅多にない。のだそうです。
●製薬会社から研究費をもらっていた研究者を外すのはまずい、こと。システム上「もっとも詳しい人をはずす」ことになってしまう。大学の臨床教授で、製薬会社から研究費をもらっていない人など、事実上いない、とのこと。過熱したタミフル報道のために、またも研究が変なことになってしまってはたまらない。
いやー、なんだか、議論を矮小化し、やけにトリビアなことばっかりピックアップしている気分になってきたので、この程度で……。
結局、「あとから来た人」のためというよりも、自分用のメモになっちゃいました。
リヴァイアさん、日々のわざ: タミフル対策、あなたの考えは
先週から今週にかけて、この2つのエントリで、延々とタミフルをめぐる議論がなされていて、その間、ぼく自身、B型インフルエンザにやられて(本当にひさしぶりの病気。ここ二年は風邪すらひいていなかった)いるさなか、ずーっと議論は継続していたわけです。
今さらながら、原稿用紙換算160枚以上の分量のコメントを拝読。
「あとから来る人」のために、読みやすくなるようなエントリを残しておこうかな、という気になりました。
まず議論のコアになっているのは、疫学者の津田さんと、きくちさんの往復書簡(?)部分。
津田さんと、きくちさんは、合意できている部分も多くて、それは「タミフルは異常行動との因果関係が示唆されている」(程度はともかく)といったことや、その一方でパンデミック対策としては重要なので、浜六郎氏の認可取り消し要求などは「やりすぎ」であるとか、大枠ではぶつかりあう部分はなく、それは、またぼくも含めて、多くのコメンテイターも同意しているよう。(追記。この点については、津田さん自身のコメントが下にあり。一読を。浜氏の意見のある部分については、むしろ、まだ弱いとおもう部分もあるとのこと。浜氏が血液製剤による薬害エイズについて述べた1980年代に、あそこまで述べたことの方がずっと「やりすぎ」だったかも、ですとか。)
その上で、何が中心的な課題になったかというと、ある特定の不完全な研究から(って、この場合は横田研究から)、どれだけ何を語らせるのか、という問題。
津田さんは、誤分類やら、バイアスやらの補正をするのに抵抗がない。これは疫学をやっているのだから当然のこと。
その一方で、物理学をバックグラウンドにもつきくちさんは、こういった操作をデータのいじりすぎに感じられるとの発言があって興味深かった。
これを両氏のそれぞれの学問分野の文化の問題なのか……タミフルと横田研究を素材にしながら、そのあたりのことが、垣間見えたのかも。
自然科学の人や、医療の方や、ひょっとすると科学史家の方なんぞが読んでいただくと楽しいかもしれません。
ぼくは疫学のこういうやり方というのは、魑魅魍魎の跋扈する「実験室外」において、あるいは社会的生き物としての人間集団を対象にしつつ、できるだけ科学的であろうとする「一般科学」の営みであると考えているのだけれど(社会科学で使う統計とは違う、と思っている)いかがなものか。
どういう研究デザインではどういう誤分類やバイアスがはいりやすいとか、データの取り扱いになれな人がこうするとああなるとか、人間の「間違いやすさ」の中で系統だっている部分について研究が為されてきた。疫学が実験室の外を主たる活動の場としてきたからなのだけれど、通常の自然科学ではそんな努力をする必要はなく、むしろ、そうしなければならないことにうさんくささを感じてしまうのかも。
いずれにせよ、横田研究は、深読みしなくても、それ自体、「不完全な研究とはいえ、因果関係を示唆しているようなので、とりあえず、因果関係アリと仮定したうえで諸々の対策をとり、さらなる研究を」というのがいいのかなあ(あ、これは川端の意見)。
横田研究の中に出ている表の中で、ちゃんとそれだけで有意になっているのは「うわごと」の1.43というやつだけのはずなのだけれど、ほかにもかなり数字の高いものもあるわけだし、
と、つらつら書いていていて、とうてい「まとめ」なんて不可能だと気づいた。
というわけで、以後、コメントを読んでいていおもしろかったこと、メモしておきいたいこと。
まず、
●津田さんに取材したらいかがですか、記者さんたち! ある意味、極論を展開するようになってしまった浜六郎さんよりずっと現実的なところでの議論を期待できると思うのですが。
って、ここで小さく書いても仕方がないか。
●製薬会社で研究をささているというtygrysojciecさんのコメントに「制度上の副作用は因果関係:有+因果関係:不明ですので、説明書き(添付文書)に記載されていても、因果関係不明のケースもあります」とのこと。なるほど、いちいちお金をかけて副作用の因果関係を追究するメリットは製薬会社にはないもの。勉強になりました。
●インフルエンザ脳症の症例対照研究、やはり必要でしょう。ライ症候群とアスピリンの関係も症例対照研究で示された(教科書的な「成功した」研究)。解熱剤、タミフル、予防接種といったことと、脳症がどう関係するか。ちなみに、ぼくはこの件についてこれまでに二回、国立感染症研究所の人に言ったことがあるのだけれど、ピンときてませんでしたね。
●もちろん、タミフルと異常行動の研究も。症例対象研究、後ろ向きコホート。
●Pearlによる、必要確率と十分確率という考え方。
●発症時期を早める高価(触媒効果)は、「原因」といえるのか。喫煙と発ガンの場合は、「イエス」といえる。しかし、インフルエンザにかかっている時のタミフルと異常行動のように、発症までの期間が短いものの場合は……?
●4倍ものオッズ比をたたき出すような相関を、交絡で説明できることは滅多にない。のだそうです。
●製薬会社から研究費をもらっていた研究者を外すのはまずい、こと。システム上「もっとも詳しい人をはずす」ことになってしまう。大学の臨床教授で、製薬会社から研究費をもらっていない人など、事実上いない、とのこと。過熱したタミフル報道のために、またも研究が変なことになってしまってはたまらない。
いやー、なんだか、議論を矮小化し、やけにトリビアなことばっかりピックアップしている気分になってきたので、この程度で……。
結局、「あとから来た人」のためというよりも、自分用のメモになっちゃいました。
まとめに関してコメントを一つ。私は浜先生の「やりすぎ」だとはある意味で思っていないところがある点です。彼と私のバックグラウンドがまるっきり違うからです。その上で、彼が薬害エイズ事件で果たした実績を考えてみると、「やりすぎ」とは何だろうと考えてしまうわけです。彼は、1980年代当初に、すでに非加熱製剤の危険性を国内の学会で指摘していました。その時の時代背景に立ち戻ると、その時の方がよっぽど「やりすぎ」だったと思うのです。でも今から眺めると彼の行動は「やりすぎ」でも何でもないわけですよね。もっと極端な例では、ゼンメルワイスと手術前の手洗いの件になりますが。
もし今、「やりすぎ」を強調するのならば、世界の50分の1にも満たない人口の国が、世界のタミフルの消費量の80%を使っている「やりすぎ」の方がとんでもない「やりすぎ」だと思います。その弊害とも思える現象も現れてきているわけで。世界並みに合わせるなら、少なくとも95%程度の削減が必要で、これって実質禁止ですよね。同様にインフルエンザの時の消炎鎮痛剤の使い方も「やりすぎ」と言えるわけです。
こんな点は、浜先生と一致していて、むしろ浜先生の言い方でも言い足りないぐらいです。問題が先鋭化している時は違いばかりが目につくものではないかと思います。タミフルの問題が新型インフルエンザの問題の全てではなく、ほんの一部に過ぎないわけで、新型インフルエンザの問題は、それ自体としてタミフル以外の部分も機会があればもっと説明していく必要があると思います。
おまけに、ほとんど「我が国」固有の問題になっている面があって、「自分の頭で考える」しかない局面で、我々は十分に堅くないと感じます。
行政をああだこうだと批判するのは簡単だけれど、それを容認しているのはマスコミであり、またさらにそれを容認しているのは我々です。
などと鼻息をあらくしつつ、個別に勉強していくしかないんですけどね……。
「あれをだめというくらいなら、むしろこれのほうがだめ」という論理展開はよくないですよ。世の中には「あれもだめだし、これもだめ」ってことはあるわけです。浜氏の論もだめだし、世界の8割のタミフルを消費しているのもだめなんです。どちらがよりまし、なんて話が、この問題で意味を持つとは思えません
浜氏が出演した「たかじんのそこまで言って委員会」を見ました。やはり、だめです。過去にどれほどの実績があったかたかとはまったく無関係に、今回の件はだめです。厚労省が「寄付金を貰った研究者は排除」を決めましたが、浜氏もテレビで「寄付金を貰ってるからだめだ」と明言しています。
「あれをだめというくらいなら、むしろこれのほうがだめ」という論理展開はよくない、というのは、同意。
これは自ら戒めねば。
浜先生の問題は、新型インフルエンザもタミフルとの関連だけで言及すればいいのに、新型インフルエンザそのものまで言ってしまいそうな勢いなんですよね。
新型インフルエンザの問題は、私にとって疫学の問題ではなく、むしろ公衆衛生の問題です。因果関係は疫学です。公衆衛生は疫学をも含んで、感染症学、経済学、社会学、政治学まで含みます。こうなると、中味の正しさがどの程度徹底されているかという議論だけでなく、走りながら結果オーライの判断を下す必要があると考えます。耐性ウイルスが大きな問題になりつつあるいま、浜先生のタミフル議論の一部に誤りがあったとしても、どういうバランスを考えて時間や資源を使うべきかは重要と思います。もちろん、新型インフルエンザとの関連でタミフルを守らねばならない側面があり、その立場ですときちんと補足するべきですが、これを現実に理解出来る人は非常に少ないと思っています。
さてさて、「あの時の方がもっとやりすぎ」論のいけないところは、そこで思考停止を誘発する成分があるからだとぼくは思っています。
「あの時」と「今」を引き比べて、構造の共通点をさぐったり、問題点を整理するところまでいくならば、それはまさに正解だと思います。
というわけで、続きを書いて下さってよかったです。
さてさて、リレンザ。なぜ、備蓄するのはタミフルに決まりなんでしょう?B型にもきくから?
とはいえ、新型はA型であるという想定ですよね??
実際に使用するのは、患者であって、小児から高齢者まで
様々な人が使用するので、万人が使用できる剤形が必要です。
実物を見た事がありますが、あの吸入型はコツ(慣れ)が必要で、
実際に吸入出来たつもり(吸入されていない事)もあるようです。
投与方法としては、経口のタミフルには遠く及ばずです。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/09/txt/s0905-5.txt
それで、薬価が一年付かずに棚上げされていた。
http://www.ultracyzo.com/kasutori/0103/k031701_02.html
という、具合です。
薬理学的に弱いのか、手技上の問題で有効性が損なわれるかまでは存じませんが、2番手「タミフル耐性の場合」と、位置づけられています。
生産量が少なく備蓄の購入が難しいのも理由に挙げられています。
タミフルよりもよい薬が出てくる可能性はもちろんあるわけです。また、種類が多いほうがいいのも当然だと思います。しかし、それまで対策を立てるなというわけにはいきませんよね。
僕は、浜氏の言い分通りにしたら、パンデミック時にそれこそ「逆薬害」とでも言うべきものになると思っています。
疫学ではなく公衆衛生の問題と言うのは、当たっていると思います。それなら、なぜ浜氏はああまでタミフルを敵視して、パンデミックを軽視する発言を繰り返すのか。僕は彼の発言を「一部に誤り」などと考えていません。「一部は正しい」であると認識しています。彼は、この問題に関して、疫学側の代表として不適格ですよ。
もちろん、本当は浜氏が悪いのではないんです。第一に他の人が出てこないのがいけない。第二に、彼を無視せずに持ち上げるマスコミがいけない。