川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

都小Pが、東京都の保護者の声を代表していない理由(非実在青少年の条例改正をめぐって)修正・追記3/23

2010-03-18 16:25:08 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
非実在青年にかんする条例改正案について、なんだか緊急のようなので仕事を放り出して書きます。

都小Pが強く、条例改正を支持している件。

都小Pといいますと、都のすべてのPTAの意見(=保護者の意見)だと感じられるますし、実際に議会などでは、「保護者代表」として扱われます。

けれど、実際は、ぜんぜん代表していないのです。

それについて解説。
まず第1に、都小Pは、東京都のすべてのPTAを束ねているわけではありません

確実に入っていると言えるのは5区・1村・4島。区部では世田谷、目黒、荒川、足立、文京。さらに都下の檜原村大島、神津島、新島、八丈島の4島。

最大でも7区(うち1区【墨田区】は部分参加、また1区【千代田区】は意志決定に参加せず)・1村・4島。

なぜこんな複雑な表現をしなければならないかは、こちらを参照のこと。

いずにしても、これだけの組織割合では、「代表性」に疑問があるのは分かるはず。
単純に考えて、東京都の小学生保護者の過半数は都小P会員ではないですものね。

第2の理由として……都小Pに参加している、PTAの連合体でも、このことは特に支持されているわけではないのです。

ぼくは世田谷区在住なので、都小P会員(自分の学校のPTA会員になると自動的にそうなる)が身の回りにたくさんいますが、「ニュースで知った」人以外、まったくこの話題を知りませんでした。自分が、支持しているような格好になっている、ことも自覚していませんでした。

これは、PTA役員レベルでもそうで、どうも、都小Pの独自の動きのようです。

世田谷区のPTA担当セクションに確認したところ、世小Pでは、この件について承認ですとか、支持をしたことはなく、単に都小Pから配布された資料として、役員会(世小Pの会長、副会長などが出席)で、情報共有が図られただけだそうです。

これでは、各小学校のPTA役員すら、知らないわけです。

また荒川区でも同様であったと電話で確認できました。

さらに足立区では、ふだん都小Pとの連絡役として役員会に出席する「理事」が、3月4日の役員会を欠席したためこの件について充分な説明を受けなかった、とのことです。P連会長のコメントとして「特に反対しているわけではないが、積極支持をしているわけでもない」ということでした(生涯学習センター経由の伝言)。まあ、会として、議事にかけてもいなわけですねからね。

というわけで、都小Pが「保護者全員の願い」であるかのように、この条例を押すのはおかしなことだというのが分かっていただけると思います。

なぜ、こんなことが起きるのか。
都小Pの役員は、都小P自身の前年度役員の推薦によってだいたい決まります。
また、各区市町村のP連は、「理事」を都小Pの幹部として送り出すのですが、そういった人たちは、P連の会長経験者が多く、現役の保護者ではなくなっている人も多数です。
理事の中から、推薦を受けて、やがて役員になっていくというルートがあり、現会長の新谷氏も、世小P会長→都小P理事→都小P副会長→都小P会長というルートを辿ってきた方です。

で、各市区町村のP連から出た理事は、基本的にお任せ状態で、都小Pの運営に携わるようなのですね。もちろん、時々、市区町村のPTA連合との間を取り持って(たとえば、会費やら保険の話など、お金にまつわることなどシビアですし)くれることもありますが、基本的には選任されたという立場で、自らの良識に従って活動するようです。

その良識が、保護者の良識と、常に同じとは限らない、という話、ですね。

さてさて、これを読んでくださったみなさん。
自分も会員なのに、相談されることもなく、自分とは違う意見をあたかも「みんなの意見」のように述べられたと感じる方が、世田谷、荒川、文京、目黒、足立あたりにいるのであれば、都小Pに対して、「会員だが、反対だ」と述べることは可能でしょう。もしも、採決までに時間があれば、ある程度の軌道修正が図られる可能性はあります。なにしろ、PTAは民主的組織なのだそうですから。

もしも、そのほかの会員ではない区や市の方も、「同じ東京都の保護者として、反対だ」ということを述べることもアリでしょう。

voice05@ptatokyo.com ファクスは03-3431-7042です。

いずれにせよ、都小Pが保護者の意見を代表しているというのは、一見そのように見えつつも、幻想です。

そのことについて、議会に理解してもらうことが、今は緊急かもしれません。
だれにどのように話せばいいのか、ぼくには即効性のあるアイデアがないので、とにもかくにも、都小Pが「東京都の保護者をまったく反映していない」という理由をのべ、みなさんに役立てていただきたい次第です。

********
なお、これを機会にPTAっどうよと思った方には、こういうものがあります。
1年半前の本なので、今より認識が浅いし、自分が役員をしている時に書いたものだから「内から目線」だけれど、知られざるPTAについて、きちんと書いたつもり。
PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ)PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ)
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発売日:2008-10


追記
以上の文章は、2010年3月23日までに、カワバタがPTAにかかわる活動や取材を通じて見聞したことと、18日19日に東京都のいくつかの区に電話取材したことを元に書かれています。当事者である都小Pや各区などの小学校PTA連合などの幹部とは直接連絡を取るチャネルがありませんので(都小Pの電話はこの2日間、留守番電話です)、正確な事実と微妙にずれている可能性があります。内部者の方など、「そこは違う」という部分があれば、お知らせください。


たばこにまつわる話題(公立学校禁煙マップや「ニコチアナ」のゼロなど)

2010-03-18 12:12:44 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
Kinnenトゥイッターでおしえていただいた、「全国公立学校禁煙マップ」。「厚生労働科学研究費補助金(子ども家庭総合研究事業) の補助を受け、日本の全ての子どもが、学校での受動喫煙による健康被害から守られるた めのモニタリング(監視)を目的として作られました」とのことで、全国の公立小中学校の中での敷地内禁煙割合を調べている。

都道府県別の違いもすごいけれど(静岡や和歌山では100%達成。でも、高知25%、熊本18%)、我が東京都の23区内の違いもすごい。港、世田谷、文京などで100%なのに、渋谷、中央などで10%以下)。結局、教育委員会の取り組みいかんということか。

さらに、JTからの無煙タバコのお知らせ。

「ゼロスタイル」という名前で、とりあえずミント味だそうです。

無煙たばこの一つである「かぎたばこ」です。“火を使わず煙が出ない”という製品特徴から、周囲の方に迷惑をかけることなく、また様々な場所で楽しんでいただける、まったく新しいスタイルの無煙たばこです。「ゼロスタイル・ミント」を新たな選択肢としてご提供することにより、お客様のたばこを楽しむシーンが広がるものと考えています。

というのがJTの口上。
「たばこを楽しむシーン」というのは、たとえば、禁煙の会議中に「煙を出さずに」楽しめる、というようなことだろうか。

また「古くからたばこの楽しみ方は様々」として、

古くからたばこには“煙を吸う”だけではなく、“火を使わず無煙で嗅ぐ・噛む”といった多様なスタイルがあり、「紙巻たばこ」と共に、「かぎたばこ」や「かみたばこ」のような無煙たばこも世界中の様々な場所で楽しまれています。また、日本の多くのお客様は「紙巻たばこ」を楽しまれていますが、味・香りの品質向上のみならず、近年は周囲のたばこを吸われない方などに配慮した商品の開発も望まれています。

と述べているのだけれど、なんだか、「ニコチアナ」を強烈に想起する。
この作品で、登場させた無煙タバコも「ゼロ」だった。
ニコチアナ (角川文庫)ニコチアナ (角川文庫)
価格:¥ 780(税込)
発売日:2008-08-25


ちなみに、「ゼロ」と「ゼロスタイル」の違いは、「ゼロ」はニコチンを吸入できるような工夫がしてあることで、「ゼロスタイル」は、葉っぱをつめるだけで、とくにニコチンが遊離してるくような雰囲気がなさそうなこと。

依存性がなく、香りだけを楽しめるのだとしたら、いいですね。



ぼくは、基本的にクラス・学年の保護者共同体が好きなのだ

2010-03-18 11:48:40 | 保育園、小学校、育児やら教育やら
R0011205小学校のクラス・学年保護者が関わる「行事」が続いている。
卒業を祝う会だとか、保護者会だとか(保護者会もれっきとしたクラス「行事」さっ)。
あらためて思うのは、ぼくは、自分の子とともに育つ子たちと、その保護者からなるゆるいコミュニティが大好きだ。
というか、とっても愛してる。
みんな、大好きだぜ! イエーッ!ってくらいなものさ。

ここにはいろいろな子がいるし、いろいろな人がいる。

ほんと価値観は多様。
けれど、自分の子の健やかな笑顔は、隣の子の健やかな笑顔とともにあることを知っている、という意味ではみんな同じ。

多様と一緒。
あれ、これ、この前から、自分の子のクラスの読み聞かせで、テーマにしてきた、「みんな違って、みんないい」→「草をはむ」のながれと一緒だな。

なにはともあれ、最近、子どもたちを中心にできるコミュニティのよさを再確認しているのだ。

卒業お祝い会は、とてもよかった。息子も実行委員の一人として、お母さんたちと一緒にがんばった。

でも、ぼくの目には、こんなにも活き活き楽しそうなお母さんたちがいて、子どもたちも楽しそうで、先生もにこにこしている現場において、一番、輝いていたのは、実はこの役を引き受けたお母さんたちだった。

子どもたちがキラキラしているのは当たり前さあ。
だって、子どもだもん。

けれど、自ら好んで、役割を引き受けて、ああだこうだとこの日に向けて準備してきた役のお母さんたちのうれしそうな顔、そして、がんばっている姿ときたら!
そして、直接的にはかかわらなかったけれど、一緒に楽しみ、サポートするほかの保護者ときたら!

やっぱり、イエーッ!みんな大好きだぜって感じがするのだ。

年度末の保護者会もしかり。
新採の先生をむかえて、最初はドキドキしつつ、みんなでクラスを盛り上げた感があり、先生もすごく活き活きしていたし、保護者もとてもサポーティブだった。
良いクラスに良い先生と保護者仲間あり、だ。

結局、日本の保護者、いいじゃん、とぼくは思う。

PTAの組織がなくたって、クラスをささえ、卒業を祝うことなんでできるのだ。(あ、保護者会はもちろん、卒業を祝う会も、我が小学校ではPTA活動ではない)。

けれど、ぼくがひとたびPTAに入っちゃうと、そこにちは「みんな違って、みんないい」の発想が、貫けなくなってしまう壁が幾重にも張り巡らされていて、そのつどぶつかってしまうものだから、自分を削ってしまうことになる。
そして、時々、人も削ってしまう。
すこやかに笑っていられなくなる。

なんだか同じ場所、同じ人たちに、重なりあう事象で、かくも、違うのはなぜか。
要は、「ありてある、義務としての組織」がいかんのだろうと、結論してしまう。