本日、Macminiが配送されてくる予定。
さっそく、すべての環境の移行に取りかかる。
スノーレパードが出たら,たぶんその時点でiMacに乗り換えるかもしれないけれど、当面はこの「底辺」Macでお仕事。
これならニージーランドにも持って行きやすい(と、ここではまだ「計画」については語っていないと思うのでおいおい)。
ちなみに、購入したのはこのモデルです。
より正確には、なぜかアマゾンでは発見できないHDDが160Gのモデルをベースにメモリ4G、HDDを500Gにいれかえてもらったもの。
それで、値段は上記のマシンよりやや安くあがりました。
今の自分のマシンは、5年前のフラッグシップだけれど、ハードディスクの回転数以外、すべての面で新たに来るMac miniの方が上。
それがどの程度なのか分からないけれど、「体感」が楽しみ。
さらに、人に乞われ、「マザハラ」なるものを調べている。
母親に対するバッシングについて言う言葉らしい。
http://www.wmstyle.jp/archives/2008/04/01_184720.php
このあたりによると、
なるほど。
しかし、母親が子どもを過度にコントロールしようしてしまうある種のパワーハラスメントのこと(子どもが成人した後も延々と続くことが冗談ではなく結構ある)をマザハラと呼んでいる人もいて、ぼくはどっちかというと、こっちの使い方の方が腑に落ちる感じがするなあ。
http://plaza.rakuten.co.jp/kateika44/diary/200803110000/
このあたりに書かれているけれど。
セクハラ、パワハラ、モラハラ……。
ハラスメントとくっつく言葉って、だいたいそのハラスメントをおこなう手段や背景を語っているのであって、ハラスメントを受ける対象がくっつくことってあまりない。
だからは、「母親であるという立場を利用して行うハラスメント」のほうが、マザハラに相応しい。
母親への風当たりについて語るなら、それは単にマザー・バッシングではないでしょうか。
で、そのように書いた上で、思うのだけれど、こういうマザーバッシングは確かに存在するし、心痛むことも多い。
けれど、「線引き問題」が常に存在することも考えなければならないと思う。
どこまでオーケイでどこからがダメなのか。
時代によっても社会によっても個人によってもちがう。
たとえば、日本で、自宅に10歳の子どもをのこして30分間買い物に行ったとしても、特に非難されないだろう。
けれど、これはアメリカではたぶん犯罪になってしまう。○歳までの子を家で一人きりにしてはいけないというルールはほとんどの州で採用されているはず。
まあ、そのとき、母親だけが非難されたり罪に問われたりするというわけではないから、また別の問題か。
たぶん、どこかで問題の立て方がねじれているんだろうなあ。
あるいは、ねじれた問題を立てなければならないような状態に、我々の社会がある、ということか。
などとゆるゆる考える。
さっそく、すべての環境の移行に取りかかる。
スノーレパードが出たら,たぶんその時点でiMacに乗り換えるかもしれないけれど、当面はこの「底辺」Macでお仕事。
これならニージーランドにも持って行きやすい(と、ここではまだ「計画」については語っていないと思うのでおいおい)。
ちなみに、購入したのはこのモデルです。
Apple Mac mini/2GHz/2GB/320GB/SD MB464J/A 価格:¥ 89,800(税込) 発売日:2009-03-04 |
より正確には、なぜかアマゾンでは発見できないHDDが160Gのモデルをベースにメモリ4G、HDDを500Gにいれかえてもらったもの。
それで、値段は上記のマシンよりやや安くあがりました。
今の自分のマシンは、5年前のフラッグシップだけれど、ハードディスクの回転数以外、すべての面で新たに来るMac miniの方が上。
それがどの程度なのか分からないけれど、「体感」が楽しみ。
さらに、人に乞われ、「マザハラ」なるものを調べている。
母親に対するバッシングについて言う言葉らしい。
http://www.wmstyle.jp/archives/2008/04/01_184720.php
このあたりによると、
保育園に通わせると「可愛そう」と言われ、
美容院に行くだけで「母親は育児が第一」と非難される。
子どもの成績が母親の評価に直結したり、
不登校の相談をしたら「母親の愛情不足」と責められる。
母親を理由にした数々のバッシング・・・
なるほど。
しかし、母親が子どもを過度にコントロールしようしてしまうある種のパワーハラスメントのこと(子どもが成人した後も延々と続くことが冗談ではなく結構ある)をマザハラと呼んでいる人もいて、ぼくはどっちかというと、こっちの使い方の方が腑に落ちる感じがするなあ。
http://plaza.rakuten.co.jp/kateika44/diary/200803110000/
このあたりに書かれているけれど。
セクハラ、パワハラ、モラハラ……。
ハラスメントとくっつく言葉って、だいたいそのハラスメントをおこなう手段や背景を語っているのであって、ハラスメントを受ける対象がくっつくことってあまりない。
だからは、「母親であるという立場を利用して行うハラスメント」のほうが、マザハラに相応しい。
母親への風当たりについて語るなら、それは単にマザー・バッシングではないでしょうか。
で、そのように書いた上で、思うのだけれど、こういうマザーバッシングは確かに存在するし、心痛むことも多い。
けれど、「線引き問題」が常に存在することも考えなければならないと思う。
どこまでオーケイでどこからがダメなのか。
時代によっても社会によっても個人によってもちがう。
たとえば、日本で、自宅に10歳の子どもをのこして30分間買い物に行ったとしても、特に非難されないだろう。
けれど、これはアメリカではたぶん犯罪になってしまう。○歳までの子を家で一人きりにしてはいけないというルールはほとんどの州で採用されているはず。
まあ、そのとき、母親だけが非難されたり罪に問われたりするというわけではないから、また別の問題か。
たぶん、どこかで問題の立て方がねじれているんだろうなあ。
あるいは、ねじれた問題を立てなければならないような状態に、我々の社会がある、ということか。
などとゆるゆる考える。