草の葉

高山村にある、緑に包まれたギャラリー

惜別

2016-12-09 16:25:05 | 山の暮らし
あの眠れぬ夜の後、
わずかな望みを持ちながら、この一週間を過ごした。


我が家の脇の道下の川まで行ってもみた。
空き家になったOさん、Gさんちの物置、Yさんちのビニールハウスも覗いてみた。
役場に問い合わせてもみたし、姿を見たら知らせるようメグにも言い聞かせた。
夜間に動き回ることが多いというので、夜遅くや朝4時ころから、懐中電灯を持って、
一時間ほど周辺を探し回ったりもした。
慣れ親しんだトイレを、戸口に置いてもみた。
ウォーキングの時は名前を呼びながら、目を凝らし、耳を澄ませて歩いた。
薪小屋の周囲、ベランダの下、道を隔てた藪の中のいくつもの大きな石の間はもちろん、
近所にも聞きまわった。

ネットや話した知り合いによると、1週間くらいで戻ってくることもあるというので、
わずかな望みを持ちながら、この一週間を過ごしたのだが・・・・

最近、戸を開けた隙に飛び出すことがあったが、たいていはすぐに戻ってきた。
一度、朝飛び出して7時間ほど、ワタシが家を空けたことがあったが、
帰宅後、名前を呼ぶとすぐに帰ってきたので、おそらく、家の近くにいたのだろうが、
今回は・・・・

あの日の夕方、メグの散歩の時みた、
上の幹線道の血の溜まりが、気になってしようがない。

そうでないにしろ、
連日霜が降り、氷点下の続くこのあたりで、食べ物もなく・・・・

やはり、諦めるしかないのか。。


朝4時頃になると、申し訳なさそうな小さな小さな声で「にゃん、にゅん」と。
「ふくちゃん、おはよう」と声かけると、呼応するようにしだいに大きな声になってくる。
トイレの便座に座って覗き込み、水音がするのが不思議なのか、何度も何度も繰り返す。
ワタシが食事の支度をはじめると、キッチンの向かえの椅子に登り、背伸びをして「にゃん、にゃーん」。
食事時は必ず膝に乗り、自分も欲しがった。
ワタシの洗面時には背中におんぶされ、ワタシが横になるとお腹に座った。
メグの散歩のときは、ガラス窓に擦り寄りメグの様子を目で追った。
ウンチの時は、トイレの縁に前足をかけて上手に。おりこうさん。
お気に入りの猫じゃらしや、クマのぬいぐるみで遊ぶ時のエネルギッシュな様子には、
いつも声を上げて笑った。
夜は、テレビの上のあの狭い場所でだら~んと足を下げてうつらうつら。

その時々のしぐさや表情を思い出すと、切なくなって涙がこぼれる。

探し回るワタシに、近所の人が「ウチの猫をあげようか」と。
いやいや、
ワタシは、猫が飼いたかったわけではない。
縁あって我が家に来たふくちゃんと、まだまだ、一緒に暮らせると思っていたのだ。
それに、たった3カ月だったが、
あることで気の重い日々を送っているワタシにとって、
ささやかでも、慰藉になっていたのだ。



よく、薪ストーブの前のこの籐の椅子の湯たんぽの上で、
まあるくなったり、時にはお腹を出して寝ていたふくちゃん。







             先日の朝方、金縛りにあった。
             ワタシの寝ている布団の中で何かもぞもぞしている。
             それは、はっきりと、確かに。
             「ふくちゃんでしょ。ふくちゃんでしょ」
             声を出そうとするが出ない。
             布団を跳ねよけようとするができない。
             手元の電気をつけようとするがスイッチが押せない。
             どうにか起き上がろうとするが体が動かない。
           
             やっとのことで目が開き、身体のこわ張りは解けたが、
             ふくちゃんはいなかった。


             パソコンの待ち受け画像を削除した。
             家にいると、つい脇の道を見る癖がついてしまった。
             それはまだ、消えないが、
             残された猫小屋やおもちゃを見るのは余計に辛い。
             もう片付けようかと思う。



             そうしてまた、
             言葉のない、笑いのない日常になる。。


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