あの眠れぬ夜の後、
わずかな望みを持ちながら、この一週間を過ごした。
我が家の脇の道下の川まで行ってもみた。
空き家になったOさん、Gさんちの物置、Yさんちのビニールハウスも覗いてみた。
役場に問い合わせてもみたし、姿を見たら知らせるようメグにも言い聞かせた。
夜間に動き回ることが多いというので、夜遅くや朝4時ころから、懐中電灯を持って、
一時間ほど周辺を探し回ったりもした。
慣れ親しんだトイレを、戸口に置いてもみた。
ウォーキングの時は名前を呼びながら、目を凝らし、耳を澄ませて歩いた。
薪小屋の周囲、ベランダの下、道を隔てた藪の中のいくつもの大きな石の間はもちろん、
近所にも聞きまわった。
ネットや話した知り合いによると、1週間くらいで戻ってくることもあるというので、
わずかな望みを持ちながら、この一週間を過ごしたのだが・・・・
最近、戸を開けた隙に飛び出すことがあったが、たいていはすぐに戻ってきた。
一度、朝飛び出して7時間ほど、ワタシが家を空けたことがあったが、
帰宅後、名前を呼ぶとすぐに帰ってきたので、おそらく、家の近くにいたのだろうが、
今回は・・・・
あの日の夕方、メグの散歩の時みた、
上の幹線道の血の溜まりが、気になってしようがない。
そうでないにしろ、
連日霜が降り、氷点下の続くこのあたりで、食べ物もなく・・・・
やはり、諦めるしかないのか。。
朝4時頃になると、申し訳なさそうな小さな小さな声で「にゃん、にゅん」と。
「ふくちゃん、おはよう」と声かけると、呼応するようにしだいに大きな声になってくる。
トイレの便座に座って覗き込み、水音がするのが不思議なのか、何度も何度も繰り返す。
ワタシが食事の支度をはじめると、キッチンの向かえの椅子に登り、背伸びをして「にゃん、にゃーん」。
食事時は必ず膝に乗り、自分も欲しがった。
ワタシの洗面時には背中におんぶされ、ワタシが横になるとお腹に座った。
メグの散歩のときは、ガラス窓に擦り寄りメグの様子を目で追った。
ウンチの時は、トイレの縁に前足をかけて上手に。おりこうさん。
お気に入りの猫じゃらしや、クマのぬいぐるみで遊ぶ時のエネルギッシュな様子には、
いつも声を上げて笑った。
夜は、テレビの上のあの狭い場所でだら~んと足を下げてうつらうつら。
その時々のしぐさや表情を思い出すと、切なくなって涙がこぼれる。
探し回るワタシに、近所の人が「ウチの猫をあげようか」と。
いやいや、
ワタシは、猫が飼いたかったわけではない。
縁あって我が家に来たふくちゃんと、まだまだ、一緒に暮らせると思っていたのだ。
それに、たった3カ月だったが、
あることで気の重い日々を送っているワタシにとって、
ささやかでも、慰藉になっていたのだ。
よく、薪ストーブの前のこの籐の椅子の湯たんぽの上で、
まあるくなったり、時にはお腹を出して寝ていたふくちゃん。
先日の朝方、金縛りにあった。
ワタシの寝ている布団の中で何かもぞもぞしている。
それは、はっきりと、確かに。
「ふくちゃんでしょ。ふくちゃんでしょ」
声を出そうとするが出ない。
布団を跳ねよけようとするができない。
手元の電気をつけようとするがスイッチが押せない。
どうにか起き上がろうとするが体が動かない。
やっとのことで目が開き、身体のこわ張りは解けたが、
ふくちゃんはいなかった。
パソコンの待ち受け画像を削除した。
家にいると、つい脇の道を見る癖がついてしまった。
それはまだ、消えないが、
残された猫小屋やおもちゃを見るのは余計に辛い。
もう片付けようかと思う。
そうしてまた、
言葉のない、笑いのない日常になる。。
わずかな望みを持ちながら、この一週間を過ごした。
我が家の脇の道下の川まで行ってもみた。
空き家になったOさん、Gさんちの物置、Yさんちのビニールハウスも覗いてみた。
役場に問い合わせてもみたし、姿を見たら知らせるようメグにも言い聞かせた。
夜間に動き回ることが多いというので、夜遅くや朝4時ころから、懐中電灯を持って、
一時間ほど周辺を探し回ったりもした。
慣れ親しんだトイレを、戸口に置いてもみた。
ウォーキングの時は名前を呼びながら、目を凝らし、耳を澄ませて歩いた。
薪小屋の周囲、ベランダの下、道を隔てた藪の中のいくつもの大きな石の間はもちろん、
近所にも聞きまわった。
ネットや話した知り合いによると、1週間くらいで戻ってくることもあるというので、
わずかな望みを持ちながら、この一週間を過ごしたのだが・・・・
最近、戸を開けた隙に飛び出すことがあったが、たいていはすぐに戻ってきた。
一度、朝飛び出して7時間ほど、ワタシが家を空けたことがあったが、
帰宅後、名前を呼ぶとすぐに帰ってきたので、おそらく、家の近くにいたのだろうが、
今回は・・・・
あの日の夕方、メグの散歩の時みた、
上の幹線道の血の溜まりが、気になってしようがない。
そうでないにしろ、
連日霜が降り、氷点下の続くこのあたりで、食べ物もなく・・・・
やはり、諦めるしかないのか。。
朝4時頃になると、申し訳なさそうな小さな小さな声で「にゃん、にゅん」と。
「ふくちゃん、おはよう」と声かけると、呼応するようにしだいに大きな声になってくる。
トイレの便座に座って覗き込み、水音がするのが不思議なのか、何度も何度も繰り返す。
ワタシが食事の支度をはじめると、キッチンの向かえの椅子に登り、背伸びをして「にゃん、にゃーん」。
食事時は必ず膝に乗り、自分も欲しがった。
ワタシの洗面時には背中におんぶされ、ワタシが横になるとお腹に座った。
メグの散歩のときは、ガラス窓に擦り寄りメグの様子を目で追った。
ウンチの時は、トイレの縁に前足をかけて上手に。おりこうさん。
お気に入りの猫じゃらしや、クマのぬいぐるみで遊ぶ時のエネルギッシュな様子には、
いつも声を上げて笑った。
夜は、テレビの上のあの狭い場所でだら~んと足を下げてうつらうつら。
その時々のしぐさや表情を思い出すと、切なくなって涙がこぼれる。
探し回るワタシに、近所の人が「ウチの猫をあげようか」と。
いやいや、
ワタシは、猫が飼いたかったわけではない。
縁あって我が家に来たふくちゃんと、まだまだ、一緒に暮らせると思っていたのだ。
それに、たった3カ月だったが、
あることで気の重い日々を送っているワタシにとって、
ささやかでも、慰藉になっていたのだ。
よく、薪ストーブの前のこの籐の椅子の湯たんぽの上で、
まあるくなったり、時にはお腹を出して寝ていたふくちゃん。
先日の朝方、金縛りにあった。
ワタシの寝ている布団の中で何かもぞもぞしている。
それは、はっきりと、確かに。
「ふくちゃんでしょ。ふくちゃんでしょ」
声を出そうとするが出ない。
布団を跳ねよけようとするができない。
手元の電気をつけようとするがスイッチが押せない。
どうにか起き上がろうとするが体が動かない。
やっとのことで目が開き、身体のこわ張りは解けたが、
ふくちゃんはいなかった。
パソコンの待ち受け画像を削除した。
家にいると、つい脇の道を見る癖がついてしまった。
それはまだ、消えないが、
残された猫小屋やおもちゃを見るのは余計に辛い。
もう片付けようかと思う。
そうしてまた、
言葉のない、笑いのない日常になる。。
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