自分は、いったい何に向いているのか、どんな職業に就くことが最適なのか考えても答えが出ないのなら、今、与えられた仕事に全力投球してみましょう。
ただ考え、自分探しの旅に出ても答えは、見つかりません。
ただ彷徨うだけです。
今の仕事の全力投球する中で、自分の適性性は、自ずから見えてきます。
考えるより、行動を優先しましょう。
"Searching for yourself" makes you a castaway in life, merely drifting.
If you do not get an answer even if you think what you are suited for, what kind of job it is best to take, why do not you try your best at the job you are given now.
Just thought, if you go on a trip you are looking for, you can not find the answer.
You just wander around.
In your best effort of your current job, your aptitude will naturally be visible.
Let's give action to actions rather than thinking.
自分探しに出掛けようと思うタイミングは、
たいてい今が上手くいってないとき。
そもそもいまが上手くいっていれば、そんな暇はない。
自分にはもっと合うものがある。
自分はもっと違うことができるのではないか。
「今を変えたい」という思いが根底にあるのであれば、
現実から目を背けてはいけない。
目の前のことから逃げるのではなく、自分自身を変えていくこと。
仕事で言うのであれば、仕事の種類を変えるのではなく、
自分の仕事の定義、仕事への接し方、態度を変えてみるほうが
あての無い旅よりもよっぽど自分というものが
見えてくるのではないか。
つまり、何者であるかを考えているだけでアウトプットがない状態では、何者であるかを考えること自体全く意味がないということです。
映し出された影によって光の位置を知るように、私たちはまずは目の前の仕事を成し遂げ、成果を出すことによって自分という存在の意味を知るということもあると思います。
しかし、例えば、慣れた場所から、全く知らないどこかでしばらく暮らしてみると、自分の適応力や、周りとの価値観の左、環境に対する自分の感じ方を明確に感じ取ることができると思います。
自分は此処にいるので、探しに行っても見つかりません。しかし、新しい何かに触れることで、違う自分に気付けることもあると思います。ただし、それは目的があってこそです。
今の自分は仮の姿だ。
…
こう考えている人もいるかもしれません。
特に、自分が考えている理想と現実に
差があればあるほどそうなのかもしれません。
今の自分を否定する。
そして、理想の自分を探し求めるため旅に出る。
確かに、内省する方法の一つとしてはいいのかもしれません。
しかし、現状を否定するために行っても何も得るものはないでしょう。
何故なら、現状を正しく認識しない限りは今後何を行えばよいのか分かり得ないからです。
自分の原点を見つめ理解し理想に向けて行動していく。
これこそが、本当の自分に近づく方法だと思います。
仕事に全力投球するのは、ある種の本質を深堀して掴もうとする行為だと思います。それと同時に、この世の本質を広く捉えようとする姿勢も大切だと思います。
その意味では、いわゆる自分探しというのはあまりに感覚的であり、目的が漠然としすぎていることが問題だと言えると思います。
「何のため」を見失わないことが肝要ではないでしょうか?
なりたい自分を探すのではなく、他者、家族、会社、社会から求められることに対応できる自分の姿を追うべきなのだという真実に。
逆から考えると、求められなくなったり、必要とされなくなった時こそ、寂しさや哀しさが表れてくるという事実に。
求められる自分の姿を追おう。
実は自分で決めるものではない。
一生懸命取り組み、
評価され、
チャンスをもらっていくことが
自分らしさに
つながる。
適性は見つけるものではありません。今の仕事に全力投球する中で、自分で獲得するものです。
プロフェッショナルに「適性が無い」という言い訳は通用しません。選択肢はどのように行動するかのみです。