久野康成氏 著『できる若者は3年で辞める!』を読んで:
「私の久野さん論」
2007.4.17
関 英一郎
親愛なる経営者の先輩・久野康成さんより、読書感想を依頼されました。
著書の内容には全く非の打ち所がなく、これだけ経営実務・実学に根ざし、かつ体系的に著した本は他に例を知りません。
従って私としては、若手スタッフの方の知らない『久野さん外伝:私の久野さん論』を書いてみようと思います。
本書でいうとP253~254「しかし、ある程度事業が軌道に乗ってくると、自由を謳歌し出したのです。~中略~ 完全な職人気質だったのです。経営者としての自覚が全くなかったのです」と、思うに至られた道筋の一部です。
久野さんに初めてお目にかかったのは、今から9年前・1998年の初夏のことだったと記憶しています。私が29歳、久野さんが32歳くらいでしょうか。それは「東京青年会議所(略称:東京JC)」という若手経営者を中心とした団体で、当時は多分、会計事務所を立ち上げられたばかりのころであったと思います。
そのJCで、研修系の委員会に所属された久野さんは、みるみる頭角を現され、多くの事業でインストラクターを務められることになりました。独特の個性と語り口は、参加者(伝統的中小企業の後継者が多い)からは賛否両論の意見が出されました。しかし久野さんは全く意に介せず、ある方から「あいつに、しゃべらせるな!」とお叱りを受けるまでになりましたが、以降も独自路線を突進します。
ちなみにその「ある方」は、先年の小泉チルドレン旋風で衆議院議員にご当選。私の見るところ、強い個性と才能のある方同士はプラスとプラスの磁石のように、反発し合うのではないかと思います。
そんなある日、まだ全労災会館の近くにあった事務所(当時は奥様も含め3~4人)に伺ったところ、楽しそうに中古車情報誌を見ている久野さんを発見。お声がけしたところ、「予算200万円で高そうに見える車」を買いたいとおっしゃる。ちょうど外車を売買したばかりだった私は、つい「高級外車でも中古車だと意外に安いんですよ」と言ってしまいました。「言ってしまいました」というのは、翌週にはすでに実行に移し、大型の高級外車を買ってしまわれていたからです。
中小企業者には暗黙の掟があって、得意先には高級外車などでは(持っていても)絶対に乗り付けません。当然、中小企業が得意先の会計事務所も然りでした。
この点に関して意見を伺うと、「得意先に、月額2万円の税理士はボロ車で、1人で行く。僕は40万円もらうから、高級外車を横付けで、3人で行くんだよ」と。
この時を境に、「職人/先生」としての第1次ブレーク・スルーがあったように思います。「営業は自分で自らはしない(反響営業)」。「得意先の社長の代わりに、自分が営業マンの意識向上・売上向上を引き受ける(営業コンサル)」等の新機軸を打ち出され、会計業界の異端児(本書でいう、海賊!)として、知る人ぞ知る存在になっていきます。
「生きガネと死にガネ論」など、久野さん独自のユニークな理論もあるのですが、文章化しにくいため、ここでの紹介は割愛いたします。
その間も、東京JCでは広報担当副委員長(広報誌担当)を歴任。編集(=経営?)のセンスを磨かれていきます。
と同時に「経営者とは何者か?」という本質に、徐々に迫られていたのではないか。また、本書の流れるような文章がプロ顔負けなのは、皆様も薄々お気付きだと思いますが、今日につながる戦略的な流れ、といっては言い過ぎでしょうか?
その後、本書にもあるように幾多の気付きと決断を経て、人材派遣・紹介業に進出。事務所の拡大路線とともに「本物の経営者」へと進化し続けていらっしゃるのは、皆様ご存じの通りです。
最後になりましたが、久野康成さんは厖大な「意識・経験の引き出し」をお持ちです。皆様の前に現れている部分は、まだ、ほんのごく一部です。
どうかこの稀有なリーダーを信じて、盛り立てて、アジア1番の会計事務所を目指してください。異分野からではありますが、私も陰ながら応援しております!
(久野からの返信)
関さん、感想文ありがとうございます。
私の妻は、私のことを一言でいうと
『ハチャメチャ』と評価してくれます。
周りの人にメチャメチャ迷惑をかける存在でもあると評価してくれます。
そんな私のハチャメチャぶりを知っている関さんからのコメント大変ありがたく思います。
JCは、7年間でしたが、大変楽しかったです。
本当に周りの皆様には、迷惑ばかりおかけしました。
にもかかわらず、最後は、東京JCの会計監査人代表を3年連続でさせていただきました。
JCのみなさま、大変ありがとうございました。
「私の久野さん論」
2007.4.17
関 英一郎
親愛なる経営者の先輩・久野康成さんより、読書感想を依頼されました。
著書の内容には全く非の打ち所がなく、これだけ経営実務・実学に根ざし、かつ体系的に著した本は他に例を知りません。
従って私としては、若手スタッフの方の知らない『久野さん外伝:私の久野さん論』を書いてみようと思います。
本書でいうとP253~254「しかし、ある程度事業が軌道に乗ってくると、自由を謳歌し出したのです。~中略~ 完全な職人気質だったのです。経営者としての自覚が全くなかったのです」と、思うに至られた道筋の一部です。
久野さんに初めてお目にかかったのは、今から9年前・1998年の初夏のことだったと記憶しています。私が29歳、久野さんが32歳くらいでしょうか。それは「東京青年会議所(略称:東京JC)」という若手経営者を中心とした団体で、当時は多分、会計事務所を立ち上げられたばかりのころであったと思います。
そのJCで、研修系の委員会に所属された久野さんは、みるみる頭角を現され、多くの事業でインストラクターを務められることになりました。独特の個性と語り口は、参加者(伝統的中小企業の後継者が多い)からは賛否両論の意見が出されました。しかし久野さんは全く意に介せず、ある方から「あいつに、しゃべらせるな!」とお叱りを受けるまでになりましたが、以降も独自路線を突進します。
ちなみにその「ある方」は、先年の小泉チルドレン旋風で衆議院議員にご当選。私の見るところ、強い個性と才能のある方同士はプラスとプラスの磁石のように、反発し合うのではないかと思います。
そんなある日、まだ全労災会館の近くにあった事務所(当時は奥様も含め3~4人)に伺ったところ、楽しそうに中古車情報誌を見ている久野さんを発見。お声がけしたところ、「予算200万円で高そうに見える車」を買いたいとおっしゃる。ちょうど外車を売買したばかりだった私は、つい「高級外車でも中古車だと意外に安いんですよ」と言ってしまいました。「言ってしまいました」というのは、翌週にはすでに実行に移し、大型の高級外車を買ってしまわれていたからです。
中小企業者には暗黙の掟があって、得意先には高級外車などでは(持っていても)絶対に乗り付けません。当然、中小企業が得意先の会計事務所も然りでした。
この点に関して意見を伺うと、「得意先に、月額2万円の税理士はボロ車で、1人で行く。僕は40万円もらうから、高級外車を横付けで、3人で行くんだよ」と。
この時を境に、「職人/先生」としての第1次ブレーク・スルーがあったように思います。「営業は自分で自らはしない(反響営業)」。「得意先の社長の代わりに、自分が営業マンの意識向上・売上向上を引き受ける(営業コンサル)」等の新機軸を打ち出され、会計業界の異端児(本書でいう、海賊!)として、知る人ぞ知る存在になっていきます。
「生きガネと死にガネ論」など、久野さん独自のユニークな理論もあるのですが、文章化しにくいため、ここでの紹介は割愛いたします。
その間も、東京JCでは広報担当副委員長(広報誌担当)を歴任。編集(=経営?)のセンスを磨かれていきます。
と同時に「経営者とは何者か?」という本質に、徐々に迫られていたのではないか。また、本書の流れるような文章がプロ顔負けなのは、皆様も薄々お気付きだと思いますが、今日につながる戦略的な流れ、といっては言い過ぎでしょうか?
その後、本書にもあるように幾多の気付きと決断を経て、人材派遣・紹介業に進出。事務所の拡大路線とともに「本物の経営者」へと進化し続けていらっしゃるのは、皆様ご存じの通りです。
最後になりましたが、久野康成さんは厖大な「意識・経験の引き出し」をお持ちです。皆様の前に現れている部分は、まだ、ほんのごく一部です。
どうかこの稀有なリーダーを信じて、盛り立てて、アジア1番の会計事務所を目指してください。異分野からではありますが、私も陰ながら応援しております!
(久野からの返信)
関さん、感想文ありがとうございます。
私の妻は、私のことを一言でいうと
『ハチャメチャ』と評価してくれます。
周りの人にメチャメチャ迷惑をかける存在でもあると評価してくれます。
そんな私のハチャメチャぶりを知っている関さんからのコメント大変ありがたく思います。
JCは、7年間でしたが、大変楽しかったです。
本当に周りの皆様には、迷惑ばかりおかけしました。
にもかかわらず、最後は、東京JCの会計監査人代表を3年連続でさせていただきました。
JCのみなさま、大変ありがとうございました。