うどん 熊五郎のブログ

日替わりメニューの紹介や店での出来事など徒然なるままにつづりたいと思います。

;連載5

2012年07月26日 | 学習室
熊五郎と12名の仲間達


 紅葉に色づき始めた秋、この日は、算数で数のしくみの授業が行われていた。
「みんなが使っている数ってどういう仕組みで作られているか解るかな。黒山さん。」
黒山はいつも笑顔を絶やさず、話し方もおっとりしている。周りの雰囲気をいつも和ませてくれるので男子生徒にも人気があった。
「・・・・・・・・・・。」
「そうだね。突然言われても解らないよね。それじゃヒントを出そう。みんな、お金って知ってるだろう。一円玉十個で十円玉一個と換えられるよね。じゃ、十円玉十個でなんと換えられる。」
「百円玉。」
「そうそう。百円玉十個では?」
「千円玉!」
「えっ。千円玉ってあったっけ。」
「あるよ。俺ん家の父ちゃん持ってるもん。」
越智がむきになって答えた。
「そっか。記念コインがあったよな。でも、普通は千円札を使うよね。みんなが使っている数は、下の位が十個集まると上の位に上がっていく仕組みになっているんだ。」
熊五郎は十進数の仕組みを貨幣に例えて話すのが常であった。身近なもので説明するほど生徒達の理解が早い。一通り数の仕組みを説明した後に、
「先生。高校時代、野球やってたんだろ。」
山上が突然話題を変えた。生徒達は脱線話を聞きたくて時々、授業とは関係ない話を振るようになっていた。山上は体が大きい割りに気の弱いところがある。しかし、何事にもこつこつ型で粘り強い性格である。小学校に入学してから街内のスポーツ少年団で野球をしていた。
「よく知ってたな。」
「だって、先週、先生が話してくれたよ。」
「そっか。忘れてた。」
ここから脱線が始まった。脱線話は高校時代や大学時代の内容が多かった。とりあえず進学校と呼ばれる高校にトップクラスで合格していたが根っからの勉強嫌い。一度も教科書を自宅に持ち帰ったことがない。当然成績は下がる一方で卒業時には三百番以上も成績は下がっていた。部活動は巻頭で述べたように恵まれた体格で一年生から補欠ではあったが背番号をもらいベンチ入りをしていた。三年生になるとエースとして活躍した。県下でも五指に入るスピードボールを投げ、いくつかの大学から視察に来たほどであった。
「俺は、球、速かったんだぞ。」
「どれくらい速かったの?」
「当時はスピードガンがなかったから解らないけど、高校で肘、大学で肩と膝を痛めて思いっきり投げることが出来なくなっても、息子が小学生だったから三十四~五歳位の頃だったかなあ。ゲームセンターで計ったら百二十八キロの数字が出てね、その日のベストワンになったことがあるんだ。だから高校時代は百三十キロは超えてたんじゃないかな。」
「へえ。本当の話?」
「嘘つく訳無いだろう。本当だよ。」
「すっげえ。」
「その代わり、練習もいっぱいしたぞ。俺、いつも弁当二つ、お母さんに作ってもらって学校に持っていったんだから。」
「その弁当いつ食うの?」
藤野が不思議そうに聞いた。彼はスポーツマンタイプで何をするにもそつなくこなした。また、長男のしっかり者でもあった。学校では先生の信頼が厚いらしく、クラス運営では中心的存在らしい。当然、学校では給食がある。だから彼の脳裏には弁当を二個持参することなど思いもつかないことだったのだ。
「まず一個目は、朝飯食べてないから授業が始まる前。みんな食休みって知ってるよな。食べた後はしっかり休まなければならないから一・二時間目はゆっくり休んで、三時間目が終わると二つ目を食べる。食べ終わったら食休みが必要だから四時間目はお昼寝。昼休みはグランド整備に行かなくちゃいけないから昼休みに弁当食べたこと無いんだ。そして、五・六時間目はクラブ活動のために体を休めておかなければならないから休憩。そしてクラブ活動。」
「先生。それじゃ勉強してねえじゃん。」
「とんでもない。睡眠学習をしてたんだよ。他の生徒に迷惑かけないようにいつも静かにしていたね。だから成績は下がったと思ったら次は沈んで、さらにその次は潜って、気がつけば底の方にいて水面が見えなくなっちゃってた。」
生徒の方も呆れているのか、軽蔑しているのか、はたまた感心しているのか複雑な顔をしている。最後に一言
「俺みたいになりたくなかったらきちんと勉強すること。」
二十分以上続いた脱線話にピリオドを打って再び学習に戻った。54
コメント
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