うどん 熊五郎のブログ

日替わりメニューの紹介や店での出来事など徒然なるままにつづりたいと思います。

連載 最終回

2013年03月25日 | 学習室
長い間、読んで頂きありがとうございました。
稚拙な文章で解りづらい部分もあったかと思います。
学習一辺倒の学習室が主流の業界にあってこんな塾もあって良いのかな
と言う思いで、3年前に書き上げたものを連載させて頂きました。
うどん屋と学習塾の2足のわらじ。
何処まで続けられるかこれからも頑張ってみたいと思います。
「あしたば園」「あしたば学習室」「うどん熊五郎」
何時までも皆様に愛される存在でいたいと思っております。
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連載117

2013年03月24日 | 学習室
熊五郎と12名の仲間達

数年前、こんな逸話がある。一人の塾生がクラブ活動との両立で悩み、父親が相談に訪れた。生憎く、授業中であったため、娘と井森が応対した。授業が終わり、事務室に戻ると父親は私が戻るのを待っておられた。そして、同じ事を私に伝えたのである。何も知らない私は
「勉強は学校で出来ます。クラブ活動は今しか出来ないものです。お子様の気持ちを大切にしてやって下さい。自分で決めた道です。クラブ活動に集中する反面、勉強に対する集中力もつくはずです。」
父親に自分の考えを述べた。すると
「さっきお話ししたのですが二人とも同じ事をおっしゃられました。」
と話された。怪訝そうな顔をしている私に娘が
「さっきね。相談されたんだけど、井森君が塾長なら必ずこう答えると思いますよ。って言った内容と全く同じだったのよ。」
なんと、私が言おうとしていたことを既に当時アルバイトの身であった井森が代弁した格好になっていたのである。スポーツ万能の彼は、中学三年生の時、英検準二級の二次試験と駅伝大会との日程が重複してしまったのである。どうしたものか迷ったあげく、私に相談してきた。
「井森君。学校を代表して駅伝の選手になれるのは今年が最後だよ。英検は一年間受験資格がある。試験の事なんか考えずに駅伝に出た方が良いんじゃないかな。学力特待については担当の先生に訳を話して合格した前提で話を進めるから安心して駅伝大会に出なよ。」
その時の答えがこれである。きっと井森の脳裏にはこの言葉がよぎったのに違いない。
 最後に妻に話したことを最後に書き添えておこう。
「何百人、何千人の生徒を教えた結果、たった一人でいい。俺の考えに共鳴した生徒がいれば俺の仕事はそれで満足だ。」190
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連載116

2013年03月22日 | 学習室
熊五郎と12名の仲間達


ある生徒はどうしても進学したい高校があった。しかし、合格点には遠く及ばない。母親が進路相談にきた時
「七割は無理だと思います。」
そう答えると
「業者テストの合格判定は三割でした。」
と答えた。私の判断と業者テストの結果は同じであった。
「本人がどうしても受けたいと言うのなら私立を併願して挑戦させるのも一つの手段だと思います。ランクを下げるより、本人が納得できる方法をとってやってください。ただし、親御さんがそのリスクを負う覚悟が必要です。本人が望むなら、直近まで受験指導はさせていただきます。」
この言葉に母親は覚悟を決めたようだ。
「宜しくお願いします。」
と言って帰られた。最終日、
「本番で焦るなよ。頑張ったのだから結果を気にするな。」
別れ際、声をかけると
「先生。元々、俺、合格率三割だから。」
と笑顔で答えた。私は、これだけ平常心でいられるのだから合格すると確信した。発表の日、第一報は彼からの電話であった。191
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連載115

2013年03月21日 | 学習室
熊五郎と12名の仲間達

三十年以上この仕事を続けているといろいろなことがあった。まだまだ書き足りないことの方が多い。今も交流のある生徒もいる。十数年ぶりに再会して自分の子息達を学習室に入れて下さる教え子も多い。その数は既に三十名を超えている。親子二世代に渡って指導に携われることはとても幸せなことである。十年以上も会っていない生徒などは面影が無く解らないこともあるが女子などは旧姓を名乗ってもらえれば当時を思い出すことが出来る。結婚式での恩師は小中高または大学の先生が定番である。私は塾講師の身分でありながら教え子の結婚式で五回ほど恩師として祝辞を述べる機会を与えられた。光栄なことである。卒業生が謝恩会を開いてくれた年もある。また、世話になったからと痛んだ自習室の改装工事に四日間も労働奉仕してくれた年もある。成人式に参加した足で晴れ姿のまま、全員で訪ねてきてくれたこともある。他の学習塾から転塾し、一年半の間に偏差値を十四も上げた生徒もいる。彼は教え込まれる学習方法ではなく、対話の中からの自学自習の喜びを見つけ、高校に進学した。その精神は高校生になっても持ち続け、クラブ活動との両立を見事に果たし、現役で国立大学に進学した。そして、現在はスタッフの一員として私を助けてくれている。190
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連載114

2013年03月19日 | 学習室
熊五郎と12名の仲間達

妻も、二人の関係を知っている。事務室は重苦しい雰囲気に包まれてたまま正午を過ぎた。
「ねえ、貴方。横井君、駄目だったのかなあ。あれだけ頑張ったのに。」
「まだ解らない。本人から連絡がない限り諦めないようにしよう。あんなに頑張ったのだからきっと受かっているよ。」
言ってはみたが熊五郎の心にはあきらめのムードが漂っていた。午後一時過ぎ、事務室のドアが開いた。そこには満面に笑みを浮かべた横井が立っていたのだ。結果は自ずと分かり切っている。
「馬鹿野郎。もっと早く知らせろ。」
熊五郎は思わず頭をこづいた。
「痛て。先生、受かった。担任に報告した後、学校を出られなかったから今になりました。すいません。」
 これで、全員の合格が確定したのである。全身の力が抜けたような脱力感に襲われた。毎年、繰り返されることなのだが、今回の受験は、全員が小学一年生から見てきた生徒である。一人の落伍者も出ず、全員が志望校に合格した。そして、私立組は総て特待生として、公立組の六名は進学校と呼ばれるそれぞれの通学区のトップ校に入学を果たしたのだ。『終わりは始めなり』この言葉は、サラリーマン時代に教えて頂いた言葉である。横井の合格を最後に、また新たな出発が熊五郎には待っていた。189

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