末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

42回目の小学校の同級会

2013-05-03 20:55:47 | 仲間の会
ご近所のツツジ

春に素晴らしい枝垂れ梅を掲載したお宅のツツジが満開になりました

石垣に咲くツツジ

2種類のツツジです

我が家で今日咲き出した花



小学校の同級会

毎年年に一度行われる小学校の同級会に出席しました。

38歳の時から始めたこの会、

今回は42回目になるという珍しい会なので少しご紹介します。

高島小学校5部と担任の百瀬先生

小生が生まれ旧制中学2年まで育ったのは長野県の現在の諏訪市です。

昭和13年に当時の上諏訪町にあった小学校は一つだけの高島小学校で

1学年にクラス数が10もある大きな学校で、級は○部と呼ばれ

小生は女子28名 男子30名の5部に在籍しました。

多分今は半分は物故者になっていると思われます。

担任は当時29歳の百瀬先生で、大変厳しい先生でしたが、

それ以上に生徒一人一人を良く理解され、教育して下さった素晴らしい先生でした。

5部の解体

昭和17年に、新しくできた城南小学校と高島小学校の通学区制が実施され、

それに伴い部は解体される事になりました。

4年間一緒に過ごした仲間は教室で別離を悲しんで涙に濡れました。

その時に百瀬先生が作られた歌があります。

文机の 蓋をぬらして さめざめと 泣き伏す子等と今は別れめ

数ならぬ 我を思いて泣きになく   この子等達よ ま幸く育ちな

同級会

こんな仲間でしたから、38才になった昭和45年に同級会を開くことになり

東京で先生をお呼びして第1回の会が開催されました。

実は元気が良い者達10余人が東京に出てきていたため

同級会は東京近辺在住者が主体の会として開催され、

数回程は諏訪在住の人もお呼びして開催されています。

開催場所は東京が大半で、諏訪の人をお呼びする時は

山中湖で泊まり込みの会も行いました。

出席者は、残念ながら故人となられた先生がお元気の時には

奥様とご一緒に何回か出席して下さいました。

東京組は当初は10余名でしたが、物故者、病人もでて段々少なくなり

今は多くて7人、今回は女子1人、男子4人の5名でした。

諏訪の方は参加するのは最大で4名程度でした。

物故者法要を兼ねた同級会での先生の言葉

諏訪で行われた同級会は1度だけで、昭和57年に諏訪の地蔵寺で、

当時の物故者4名の法要を兼ねた同級会を10数名集まって行いました。

この時の先生の追憶・追悼の辞の印刷物がありますが、

その中に次の言葉があります。

「年に一回のこのクラス会には人生におけるこの不思議なめぐり合わせを大切に、

一人でも多く出席して、若々しい心を呼びさまし、運命的なるものに負けず、

心を強くして共に励まし慰め合って、まっしぐらに人生を生き抜いてもらいたい。」


先生のこの言葉通りに行われた同級会がとうとう42回になったわけです。

今回の同級会幹

今回の幹事は皆様もご存知の方が多いと思いますが、生物学者で病に倒れた後も

多くの著作を出されている柳沢桂子さんのご主人です。

筑波大名誉教授の彼も生物学者で、専門書を出されているのは勿論ですが

彼の「ヒトという生きもの」という本は

第52回日本エッセイスト・クラブ賞をとる等、素晴らしい才能を持った友です。

彼は現在病気で遠くにでられないため

比較的家の近くの京王玉川センター駅近くの

京王プラザホテルの日本料理屋さんに場所を設定したため

小生は片道2時間余りの大遠征で大変でしたが

何時もと同じく小学校時代に戻っての楽しい会でした。