goo blog サービス終了のお知らせ 

和英特許翻訳メモ

便利そうな表現、疑問、謎、その他メモ書き。思いつきで書いてます。
拾った用例は必ずしも典型例、模範例ではありません。

日航123便墜落事故陰謀論:ファンタジーに水を差す(1) あの日

2024-06-29 10:12:14 | 日航123便

日航123便が群馬県御巣鷹の尾根に墜落したあの日、1985年8月12日は、私の人生で初めて私に会うためだけに女子が家に遊びに来てくれた日なので覚えている。夕方彼女と別れ自宅に戻り一度寝て、多分夕食時かその後だったと思うがテレビのニュースで日航機墜落を知った。しかし特にショックというわけでもなく、そのうち忘れてしまったように思う。

その後、社会人となるまでの間に所謂「日航123便陰謀論」なるものを耳にしたことはあったが、ミサイルで撃墜だの何だの、馬鹿馬鹿しい与太話、アタオカのトンデモ話として意識から除外していた。他方、小さい頃から飛行機好きで、小学校低学年の頃は飛行機の絵ばかり描いたり、プラモデルを作ったり、30代後半になってからはラジコン飛行機を作って飛ばしたりしていた私は、ユーチューブで飛行機動画を頻繁に視聴していた。123便のコックピットボイスレコーダー(CVR)の流出音声も公開されており、パイロット達と管制との緊張した交信、制御不能な機体との格闘が伝わるコックピット内の音声、横田基地からの着陸許可を知らせる米軍の悲痛な声、そして激突直前の機長の叫び声「もうダメだ!」を聴いていた。高校生の頃テレビニュースで知ったあの事故が、520人(胎児を含めれば521人)もの犠牲者(生存者は4人)を出した悲惨な事故だったことを、50歳になって初めて明確に認識した。

そして、何度かCVRを聴いているうちに、違和感を感じるようになっていた。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 環境演出 | トップ | 今日はブルーインパルス! »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (匿名)
2024-12-24 19:34:13
東亜国内航空の364便、午後5時30分
長崎発羽田行(A-300エアバス機)

操縦不能に陥ったこの日本航空123便の、
交信を傍受していた東亜国内航空の機長
は、「明らかに酸素マスクを着けた籠っ
た声で、無言の時も、ハアハアと言う呼
吸音が聞こえ、操縦不能という言葉も苦
しそうで、何か一生懸命作業をしている
感じで、緊迫感が伝わってきました。

これは本物のエマージェンシーだと思い
ました」と話して居ります。 公開された
ボイスレコーダーは、全くの偽物と判明
しましょう。
返信する
Unknown (Unknown)
2025-05-18 19:17:00
事故現場から、フライトレコーダー
を持ち出して、アメリカが、電算解
析されたフライトデータには。

8/14(水) フライトレコーダー
を確保して、警察に届けます。

8/15(木) 〜8/20(火)
アメリカが電算解析。
関係者の解析に、井上 赳夫氏も。
8/25(日) 改竄済みデータ
を、マスコミ配布。

ボイスレコーダーも
公開されましたが、
「もう駄目だ」は
墜落1分前の18:55:50
だったのです。

日本でフライトデータを
最終の改竄
(2回目の改編)
8/27(火) 異例な幕引き
中間報告の発表。
1987年6/19(金)
事故報告書の発表。

アメリカが電算解析
した気圧高度データ

18:22:30 15秒間上昇中止してます。
再改竄(中間報告)で、滑らかな上昇線に。


機首方位

機首方位18:20過ぎから変動、ジグザグに、
波打ち、18:24以降波形に、突起出現して
ます。公式の事故報告書に添付のフライト
データは、一直線になっています。

週刊サンケイ1985年9月19日号 元電気
通大学講井上 赳夫氏談話 「フライト
レコーダーを見ると既に24分10秒には
方向蛇が右に飛んでいる・・・」
異常発生時刻18:25:00を18:24:35.6に
したと考える時に、18:24:30が始めの
異常発生を念頭に置きます。
18:24:35.6-18:24:10=25.6
25.6前つまり:25:00-25.6=
18:24:35.6には、謎の飛行体を回避運動
で躱わしています。

アメリカ調査官NTSBサイドレン調査官は、
落合 由美氏【元日航アシスタントパーサー。
「56」列の席で、座席は両窓側が59列まで、
中央部は60列迄。左窓際の列の通路側、後方
から3番目の席に着席】に証言を聞く為に
(収容から1時間の内)多野総合病院訪問して
15:00聴取。
「異常発生時刻は18:25だった時計を見た」
と証言してます。

「生存の日航職員生々しく証言」
『離陸13分後 上部でバーン』
1985-8/15 赤旗新聞

東伊豆、河津駅の北西側の山側で畑仕事を
していた同町役場職員W氏(45)の証言と
して、「午後6時半前、ボーンという音で
上空をみた。雲の切れ間からジャンボ機が
普段の二倍近い大きさで見えた。大きく右
旋回したので不思議に感じた」静岡県加茂
郡東伊豆町に在住S氏。「『ドン』と言う
短い爆音を聞いた時、時計を見ると6時25
分だった」

縦揺れ角

事故発生時に変動しております。

速度データ 22分半頃に飛んでました。
事故報告書のデータには無いものです。
返信する

コメントを投稿

日航123便」カテゴリの最新記事