デジカメぶらりぶらり

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言うだけ

2011-11-08 08:35:44 | Weblog
政治家には「政治のために生きる人」と「政治によって生きる人」の2通りあるという。「職業としての政治」(マックス・ウェーバー著)にある言葉だ。著者のいわんとする中身は複雑だが、野田首相や前原氏民主党政調会長ら松下政経塾出身者に重ねると分かりやすい。

大学を出て政経塾から実社会をしらないまま政治家に、それも権力中枢に上りつめた。「政治のために生きる」人生を見事に実現した二人だ。

沖縄の基地移転問題で民主党政権が問題をこじらせ、説得できない相手にひたすらお願いする。関係閣僚が沖縄入りしてはいるが、あいさつに行っただけの印象だ。本気度が伝わって来ない。

政治に命をかけた志が見えてこない。前原氏は「言うだけ番長」といわれる。言葉の威勢はいいが、後のことを考えていないというほどの意味だ。このままでは民主党内閣そのものが、「言うだけ内閣」になる。

南極

2011-11-06 07:37:43 | Weblog
南極をテーマにしたテレビドラマが話題だ。映画「武士の一分」主役の木村拓哉と「武士の家計簿」主役の堺雅人の「武士対決」も見どころだが越冬隊員の妻もポイントだ。

言語学者の金田一晴彦氏の著書に、越冬隊員に届く家族からの定期便の話がある。新婚隊員に届いた若妻からの電報文は「あなた・・・」の3文字。その短い言葉に万感の思いが込められていると紹介している。

色々な言葉を並べたてた愛情表現があるが、心が伝わるのは、文学の多さや長さではないことをこのエピソードは示している。晴彦氏の子息で、同じ言語学者の金田一秀穂さんが、講演で同じような話をした。

能登の旅館ロビーで、のんびりと朝を過ごしていた。そろそろ観光に出かけようと仲居さんに「案内の人が迎えに来るんです」と話すと「あちらでお待ちです」との返事。

くつろいでいる金田一さんを見て、あえて伝えなかったのだった。何も言わないのが、時には最高のもてなしになると、言葉の専門家も感心した。

「言葉を尽くして」は「誠意を尽くす」にはかなわないという、ささやかな物語だった。

泉鏡花賞

2011-11-03 07:06:31 | Weblog
泉鏡花賞に瀬戸内寂聴さんの受賞が決まり、少し驚いた。寂聴さんは以前、賞の選考委員を務めていた。いまさら賞で箔をつける必要のない大作家である。

驚いたのには、別の理由もある。選考委員を辞める際、「選ぶより選べる方になりたい」と語ったと記憶する。半ば以上、冗談だと思っていたのだが、紙面に載った喜びの声を読んで本心だったと知った。

常に全力投球で仕事に向かう人なのだろう、数え年90歳。「私は死なない病気にかかったみたい」という名言は有名だが、「受賞で若返りました」も寂聴語録に加わりそうである。

授賞式ではどんな言葉が聞かれるのだろう。30年前、寂聴さんが能登を取材に訪れた折、連れの編集者から「作家の目のすごさが分かるよ」と言われた。同じ風景を見、同じ話を聞いても、目の付け所がまるで違う。

やがて書かれる小説でそれが分かる。楽しみするといい、と、その楽しみは、実話まだ実現していない。が、鏡花賞に「選ばれる」望みをついに実現させた人である。能登を題材にした小説も、まつ甲斐があるかもしれない。



読書

2011-11-01 07:37:21 | Weblog
戦後の一時期に「旅」を舞台にした青春文学があった。団塊の世代が登場する少し前のことである。

亡くなった北杜夫さんの「どくとるマンボウ航海記(1960年)。小田実さんの「何でも見てやろう」。それから30年近く後に沢木耕太郎さんの「深夜特急」が始まった。

どれも外国へ旅する若者が主人公だ、「深夜特急」は昭和も終わりに近いころの刊行だが「マンボウ航海記」や「何でも見てやろう」とは未知の世界へ向かう「一人旅」でつながっている。

電車の窓やホテルの窓から見る光景を指して言う。「自分が何を見ているか分かるかい?自分自身を見ているんだ」(旅する力・沢木耕太郎著)一人旅は自分を見つめる時間だ。

20代しかできない旅があり「旅には適齢期がある」と、沢木さんは書いている。文学はその時代の年齢を色濃く映す。戦後は日本そのものが青春だった。平成にも、震災復興の閉塞感をやぶる文学が生まれてほしい。

「人生そのものが旅」であり、「それも孤独な一人旅だ」などと分かったようなことを言っている場合ではない。いま読書週間。