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記念館

2011-05-12 07:50:33 | Weblog
八田興一技師のことを大きな声で教えてくれたのは、周知のように元台湾総統の李登輝さんと作家の司馬遼太郎さんである。

忘れてはいけない日本人だ、と繰り返し叫んでくれる。司馬さんは、終戦の年に夫の後を追って自死した外代樹(とよき)夫人にも敬意を抱いた。彼女は・・・身辺を整理し、遺児たちに簡潔な遺書を残し、衣服をあらためて、烏山頭(うさんとう)ダムの放水口にむかって身を投じた(街道をゆく 台湾紀行)感情を抑えた筆が、明治の魂の気高さを伝える。

それだけに、「遺児」長男晃夫(てるお)さんから「死んだ母を何度も恨んだ」と聞かされた時は正直、驚いた。戦後の混乱期、若い大黒柱として弟妹たちを支えてきた人である。

子にとっては賢妻ではなく早くに消えた母である。悲しみは恨みに変わったという。晃夫さんは5年前に他界した。母の年齢を超えて「ようやく母の苦悩が分かった」と述懐し、恨みを捨てた。

長く生きることで初めて知る親の姿や愛もある。「母の日」に、台湾に夫婦の記念館が完成し、墓前祭が営まれる。夫婦の死から長い時が過ぎたが、教わることはまだ多くある