デジカメぶらりぶらり

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ヤンキース

2009-11-08 06:07:22 | Weblog
観衆が興奮した。テレビカメラがとらえる松井秀喜選手は終始、落ち着き払っていた。3本と殊勲打を放った後も変わらなかった。

入団1年目、雄たけびをあげ、飛び上がって本塁を踏んだ姿が強く印象に残る。そんな歓喜の姿は見られず、喜びには節度があった。

ジャンプして喜びを表すのが米国流なら、松井選手は変わった。松井選手は世界一の目標を繰り返し語った。「新聞の見出しは『ヤンキース優勝。松井は5打数無安打』。それでもいいんだ」とも。

うれしいことにそうはならず、自分のバットで念願をかなえた。長い苦闘の道のりを「つらいことはなかった」と言い切る強さ、自分を律する喜びの姿は、紛れもない日本人の美徳であろう。

栄光を手にして、今度は球団との契約という闘いが待つ。晴れやかな気分のとき、松井選手に「グッド・ラック、トゥモロー」と声を掛けて別れる。

勝負は時の運。ニューヨークの女神は、世界一の幸せを授けてくれたヤンキースが大好きな松井選手に、女神がもう一度、ほほ笑んではくれないだろうか。



転覆

2009-11-06 07:36:38 | Weblog
八丈島沖で転覆した漁船から生還した3人の乗組員の身に上は、事情が明らかになるに連れ、運命の不思議さを思わせる。甲板に逃げる間もなく、船が覆った。

部屋の冷蔵庫が倒れ、あろうことか頼みの出口をふさいだという。大揺れの闇の中で、3人を襲ったのは激しい絶望だったろう。

胆力という言葉を思い浮かべる。台風の影響で2日は海が荒れる。救助が来るのはその後。そう覚悟を決めて、のどの渇きや、薄れていく空気の恐怖に立ち向かった。

死のやいばを突きつけられた長い時間、想像を絶する。奇跡の生還を遂げてなお、船長や仲間の身の上に深く心を痛めなければならない。


理屈

2009-11-04 07:45:11 | Weblog
理屈と膏薬(こうやく)はどこにでもつくという。民主党の場合は「理屈と公約」はどこにでもつくと言うべきか。

日本郵政社長に知る人ぞ知る元大蔵省事務次官を起用して、能力があれば脱官僚には反しないという。大蔵省をやめてから15年たつから、天下りでもないと言う。

「公約」をねじ曲げるためどこにでもつく「理屈」の一例だ。歳出の無駄を洗い出す行政刷新会議が開かれた。

「主計局の下請けではないか」と指摘された財務相は「いや、財務省が刷新会議の下請けをやるんです」と弁明した。理屈と言う以前の理屈である。

首相は老子を引用して「有益なことを一つ始めるより、無益なことを一つ減らしない」と督励したという。厚労相で、経費節約にコピーは裏表使おうとの大臣のおふれが出たが、そのお達しのコピーが片面使用だったとの笑い話は、何とも皮肉だ。

政治家は無責任な一言で奈落の底へ落ちることが珍しくない。「桐一葉落ちて天下の秋を知る」ことにならぬよう無理な理屈をこねまわさない方がいい。


エンジン

2009-11-01 06:20:15 | Weblog
エンジン類似音を義務化へ、という記事が新聞に載っていた。走行音が静かすぎて危険とされるハイブリッド車に、エンジンに似た音が出る装置を搭載するという。

大事な手だてに違いないが、妙な気もする。騒音は小さいほどいい。技術者もそれに知恵をしぼってきたのだろうが、静かすぎるのがアダになり、わざわざ騒音を出す装置の出番となる。

まことにご苦労な話。類似音は、かの羽音のようなものか。ブーンと飛び回った揚げ句にチクリときて、ピシャリとたたかれる。

静かに刺せばいいものを、わざわざ所在を知らせる。あの羽音にはいらつかされるが、それがあるから撃退もできる。知恵の足りぬ生き物だと思う。

蚊の浅知恵を笑うのは簡単だが、快適さを追い求めて厄介事も抱え込む人間の営みも、どこかちぐはぐに思える。静かすぎる危険は、自転車相手に身に染みている。

背後から音もなく体すれすれに追い抜かれて、肝を冷やす。ガタピシと音を立ててきしむ自転車など、今どきめったにない。が、おんぼろ自転車のせいで心穏やかに道を歩けた日も、確かにあったのである。