生まれ育った家の近くに地蔵堂がある。手を合わせて祈る時、子どものころから見慣れた丸いお顔が時々、浮かぶ。よだれかけをしているから、子どもだと思っていた。そうではなく、苦しむ人々をわけへだてなく救い、とりわけ子どもたちに手を差し伸べる偉い菩薩であると知った。
被災地に建った真新しい地蔵堂の写真を見て、少し勉強した。1年が過ぎて、まだ行方が分からない人がいる。身元の分からない犠牲者もいて、「無縁仏」として安置されているという。
「無縁」と呼ぶのは正しくない。弔うゆかりの人々がいないのではなく、懸命になって探しているのだが、「絆」がつながらないのである。無縁でない仏を、あえて「無縁」と呼ばざるを得ない。
胸が痛むことである。そんな仏たちにも丸いお顔のお地蔵さんはしっかり手を差し伸べてくれていると信じたい。「ぼたもちや地蔵のひざも春の風 小林一茶」。被災地にそんなおだやかな春が訪れることを願う。
ほどなく、花の季節がやってくる。「たからとは今日の命ぞ初さくら 千代女」。さまざまな思いが心をよぎる。
被災地に建った真新しい地蔵堂の写真を見て、少し勉強した。1年が過ぎて、まだ行方が分からない人がいる。身元の分からない犠牲者もいて、「無縁仏」として安置されているという。
「無縁」と呼ぶのは正しくない。弔うゆかりの人々がいないのではなく、懸命になって探しているのだが、「絆」がつながらないのである。無縁でない仏を、あえて「無縁」と呼ばざるを得ない。
胸が痛むことである。そんな仏たちにも丸いお顔のお地蔵さんはしっかり手を差し伸べてくれていると信じたい。「ぼたもちや地蔵のひざも春の風 小林一茶」。被災地にそんなおだやかな春が訪れることを願う。
ほどなく、花の季節がやってくる。「たからとは今日の命ぞ初さくら 千代女」。さまざまな思いが心をよぎる。
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