デジカメぶらりぶらり

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ただの漁師

2011-10-10 07:53:00 | Weblog
「ただの漁師」との表現を紙面に見た。輪島沖で保護された脱北者を指して、ある政府高官が使った言葉だ。「ただの~」は、われわれも気をつけたい日本語だ。

自戒を込めて言葉の重みを考えてみたい。自分が謙遜して使うならまだしも、第三者が「ただの~」と言うのは不適当だ。脱北者が「人民会議議長の孫」と言ったのを強く否定する意味だったとしても妥当ではない。

漁師さんたちに失礼である。「名もない~」や「~までして」など不用意に使ってしまう言葉もある。名もない人などいない。「~までした」とは特定の職業を軽視している。

差別用語の解釈を拡大して日本語の幅を狭めるつもりも、重箱の隅を突くのでもない、「雑草と言う名の草はない」との名句が浮かぶからだ。韓国に渡った脱北者の明日が気になる。

名前が公表されれば、どの様な報復を受けるか分からない。本名は消して韓国の大衆社会に埋もれて暮らすのが身の安全だろう。脱北者が夢見た豊かで自由な世界で、平凡に静かに、命がけで「ただの一市民」になったのだ。

この場合は許されると思うがどうだろう。