BCLとベリカードの楽しみ

海外短波放送や国内放送を聴き、放送局からいただけるベリカードなどを紹介。近頃は、自分が楽しいと思える事柄も書いています。

プラハの風景写真  チェコ・ラジオ・ビルで「プラハ蜂起」追悼式典

2022-05-15 | エトセトラ
プラハに住む友人から送られてきた「プラハの風景写真」です。

5月5日に、チェコ・ラジオ・ビルで行われた、「プラハ蜂起」の追悼献花式典の様子です。



第二次世界大戦末期の1945年5月5日、ドイツの占領から解放しようとするプラハのレジスタンスが武力蜂起し、5月9日までの戦闘で約2,000人の市民が亡くなりました。これにより、その後やってきた赤軍は、ほぼ解放されたプラハに入ることが出来ました。

蜂起のきっかけは、チェコ・ラジオが、禁止されたチェコ語で反ドイツメッセージを放送したこと、と言われています。その歴史的出来事を伝えるため、今もラジオ局が入っているヴィノフラドスカ通り(Vinohradská) 12番地のビルの入口に、花輪を置く式典が続いています。

周辺は、市警察と憲兵が警備にあたり、式典は午後0時30分に開始。花輪を持つ兵士や陸軍の軍楽隊が並びました。







式典には、ヤナ・チェルノチョワ (Jana Černochová) 国防相が出席。他には、マルケタ・ペカロワ・アダモワ (Markéta Pekarová Adamová) 議会議長(3人の中央)も参加しました。









花輪の献花式は、ビル内で行われたため、テレビなど報道機関だけ入れるということで、写真は撮れなかったそうです。



集まった人々の中には、当時のソコル体育組織 (Sokol (隼) Physical Training Organization,民族的な体育運動団体のようです) のユニフォームを着た人も。



式典後、整列して去っていく兵士たちです。




(この戦闘では、レジスタンスや赤軍は、5月8日に降伏したドイツ兵とドイツ民間人をその後も殺害。(双方が戦争犯罪を犯した出来事と言われる) ドイツ系の約300万人のチェコスロバキア人が市民権と財産を剥奪され、ドイツに強制送還されたそうです。また、レジスタンス側勝利も、共産主義指導者の正当性が強調され、その後に粛清されるなどされたようです。そして、1989年のビロード革命まで共産党体制が続きました)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする