こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年12月19日 水曜日 The Space Between ~闇と光界の狭間にて~

2012-12-19 05:37:24 | 写真日和




■Cure 「All cats are grey(灰色の猫)」(from album「Faith」)1981■
































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2012年12月17日 月曜日 「初月忌(しょがっき)」

2012-12-17 23:29:13 | 想い出かたちんば
早いもので、コチャコちゃんが亡くなって1ヶ月が経った。

四十九日は知っていたが、亡くなって一ヶ月目は何と呼ぶのだろうか?
そうして調べると「初月忌(しょがっき)」というらしい。

今夜は、コチャコちゃんの初月忌に、ヴァージニア・アストレイの曲を贈る。

この曲も、1983年晩秋に初めて「クロスオーヴァー・イレブン」でエアチェックして、初めて聴いた曲。

舞い散る紅葉の葉を踏みしめながら、歩く道の両側を樹々が遠くまで続いている。
その道のかなたから、幻覚的な鐘の音・天使のような子供たちのコーラスが聴こえてくる。
コチャコが好きだった鳥たちが鳴きながら、空を舞っている。

■Virginia Astley 「A Summer Long Since Passed(過ぎ去りし夏)」1983■

初めてヘッドフォンで聴いた晩秋のこの夜、驚くような3Dの音像に酔った遠い記憶。


今年、10月23日、夜のコチャコ。

***

じぶんが、まだ大阪に居た頃。
実家に導いて、中に入ったころのコチャコ。


こないだ初めて見たフィルム写真。

まみちゃんは袋が好きだったが、
コチャコが、袋に入って遊ぶシーンを見たことがなかった。

まだ産まれて数ヶ月と思われる表情。
「この頃は、かっわいかったよーっ」と微笑むお袋さん。

かたちんば「いやいや、最後まで、コチャコはかわいかったよ。」
知らないシーンを知るお袋さんに嫉妬をするじぶん。
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2012年12月16日 日曜日 Big Country 「Chance」'83

2012-12-16 23:54:33 | 音楽帳

1983年晩秋。
この中で、ビッグ・カントリーの登場も忘れてはいけない事件。

「坂本龍一のサウンドストリート」の1981年放送で掛かったスキッズの「ブレイヴ・メン」のかっこよさ。
今でも、内包されたエネルギーに満ちた曲。

そのスキッズのスチュワート・アダムソンが作った、新しいバンドがビッグ・カントリー。
ファーストアルバムのA面スタートに収まった「インナ・ビッグ・カントリー」のメロディアスで激しいパッションを感じる名曲。
イギリスの誇りを抱いた堂々さ。男らしい実直な突進力。


***

80年代において、変化を率先して行っていたミュージシャンは、スキッズ→ビッグ・カントリーばかりではない。
彼らと同時期に現れたポール・ウェラーのユニット=スタイル・カウンシルにも、パンクバンド「ザ・ジャム」からの大きな方向転換に驚いた。

優れたミュージシャンは、同じことをやっていればドサ回りで喰える、などというものは一切視野にない。
スペシャルズ→ファン・ボーイ・スリー→カラー・フィールドと変化していったテリー・ホールなども思い出す。

***

「インナ・ビッグ・カントリー」という曲で、大きく活躍するギターは、スコットランドのバグパイプの音を奏でる。
彼らの音楽には、スコットランドのフォークロアの匂いが花を咲かしている。

じぶんは、イギリス系の音楽ばかりを日々聴いていたが、U2の「WAR」に収録された「セコンド」「ドロウニング・マン」といった曲、
またXTCの一連の作品、初期のブライアン・イーノのソロにも響きとして聴こえるフォークロアの匂い。

今夜は、ビッグ・カントリーのファーストアルバムの中で、じぶんが一番好きな「チャンス」を聴く。

■Big Country 「Chance」1983■


この「チャンス」が大好きなもので、12インチシングルまで買ったが、12インチの方はアレンジが変わっていて、フォーク的な処理がされている。

何よりも、スチュワート・アダムソンのヴォーカルの声が渋すぎて・かっこ良すぎて、たまらないです。
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2012年12月16日 日曜日 YMO 「Limbo」'83

2012-12-16 13:03:57 | 音楽帳

寝た時間は、断片的とはいえ、非常に長い。
無意識下でのエネルギーの消耗が激しいからだろう。
夢と夢の合間に、伊集院光さんの撮り溜めたラジオの心地良い笑いがはさみ込まれる。





土日は、接骨院がやっていないので、先生にもらった皮膚が腫れない・石膏になるシップとテープをもらった。
それを貼るために、初めてじぶんでハラに巻いたサラシを外す。
すると違和感。

分厚いハラ巻きがなくなったせい、それに、外した途端に背中・腰の張っていたバランスが崩れる。
右腰の痛みが戻る。
サラシがいかに腰痛を支えていてくれたのかが、外して初めて分かる。
まだまだ直ってはいないのだ。

***

12月16日。
世間は、どうやら「大選挙」らしい。

たかだか1ヶ月しか時間が猶予が無い中で、選挙に突っ込んでいく、
政党として未来像が固まることもなく、ただ「今さえ越えれば良い」とばかりに、幼稚なクチさわりの良いプロパガンダを言うのみ。
「ズボラめし」選挙、のはじまりですうう~っ。

具体的な血判を押さずに。
永遠に変わらないくだらない握手だ・・・・
ポスターだ・・・・
駅前で、じぶんのようなびっこまんや仕事に急ぐ人の歩く道をジャマするバイト・・・・
誰も聞く余裕のないKYそのものの、朝の時間帯の意味の無い演説・・・・
名前を連呼する選挙カー・・・・

キチガイは、政治家のみではなく、国民も。
国民の言うとおりに従った結果、民主党が政権政党になり、それが問題起こすとぶーたれる。
宮台真司は、それを「任せてぶーたれる連中」と言う。
日本は民主主義を履き違えている。
多数決では無いし、選挙である必要もない。
そもそも、国民の言いたい放題を聞いていて、政治が遂行出来るわけが無い。

そんなこの国のカタチはどう考えてもキチガイそのものに思ってしまうじぶんは、この国ではキチガイなのだろう。
2011年3月11日東日本大震災から、1年9ヶ月という長い長い時間が流れた後で、いまさら師走に強行選挙が行われる事実。

第三極とは何か?
何が「維新」か?
いざとなっても、自死を覚悟しないさまを、西郷隆盛さんは、ハナで笑うだろう。
三島由紀夫先生も、草葉の陰で、ハナで笑うだろう。
第四極は無いのか?
ある。
それは、白票・選挙に行かない人・選挙権の無い人。

選挙率がまともになっていない状態で選挙などやっても、非課税の宗教団体を背負った政教分離していない、違法政党が固定票を得る程度のことである。

しかし、じぶんはびっこを引いて選挙に行く。
どの政治家にも政党にも票は入れない。

唯一の目的は、裁判官全員にバツを下すためだけである。
機能していない司法へのNO程度は、意思表明しておきたい。

***

マスメディアに選んでしか接しないじぶんの今夜は、一切の選挙報道を避けて、音楽や撮り溜めたものを見聞きする。
今回の選挙票はばらついて、ここで結果は出ない。
選挙後、どうせなにとなにがくっついて、選挙時点での結果は反映などされない。
どうせ、公明党=創価学会は、その様子を見て、良いポジションにひっつくだけのこと。
どさくさまぎれの形式のみの芝居選挙にしか過ぎない。
こんなシステムは、早くやめるべきだ。

個人が個人として考えて、個人を守るための行動のほうが大事である。
また、じぶんが信じられる同志とのコミューンのほうが大事である。

じぶんには、政治よりも巨大企業やヤクザ=D通などのほうが、むしろ標的そのもの。

選挙活動もそうだが、大量のカネをムダに投じて広告(=プロパガンダ)を行いながら、その末端で苦しめられているじぶんには、○トリ・○オン・7&I等々・・・あげればキリが無い横暴の方が列強である。
また、2012年のタブー、国内亜細亜人・在日利権・創価学会と絡むマスメディアの源流D通。
国家中枢・国家を動かす力は、政治家にはすでに無いのだから。

■YMO 「Limbo」1983■


※limbo(リンボ)【ネット辞書より】
・地獄の辺土(地獄と天国の間にあり,キリスト教以前の正しい人,洗礼を受けなかった小児・異教徒・白痴者の霊魂の住む所)
・忘却、無視された状態
・中途半端な状態
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2012年12月15日 土曜日  コトバを必要としない時空

2012-12-15 12:26:25 | 音楽帳
14日 金曜日 深夜
缶ビールを呑み、ハロゲンヒーターを寝床の近くに置く。

1、2、3、4,5・・・何枚も着重ねた服。
両足には、膝まわりに細長いウォーマー、そして厚手のくつ下。
頸にはネックウォーマーを。そして一番上に着たフリースをぴっちり首まで絞める。
これで寒さ対策はじゅうぶん。
室内温度がどうあれ。
どうぶつたちが、寒さを察知して、肥えたり毛を伸ばしたりするように。

外空間とじぶんが遊離していても、平気なように。
拘束社会で縛られたところから、なにもない無線領域にほうりだされるそなえ。

消灯する中、パソコンの画面だけが光をともしている。
その一帯を、ぼんやり赤いハロゲンヒーターから放射されたライティングが陰影を付けている。
じぶんが、動くたびに、カベのクロスの影がオバケのように揺らぐ。

デヴィッド・シルヴィアンの、ナーヴァスでありながらも包み込むアンビエンスな微細な音が、神経にしみ込んで来る。

しだいに、眠りに堕ちていった。。。。

15日 土曜日
いつもの睡眠導入剤を服用せずに眠りに堕ちていた。
それに気が付くのは、明け方。
何時だろうか?と、電子時計に目をやると、4:20あたりを表示していた。

起きたのは、呑んだビールがトイレをせかしていたゆえ。
3時間程度しか眠っていないので、今まで蓄積しながら・いったん引いておいた波が押し寄せる。
酷使し過ぎた目がにぶい痛みをする。

用を済ませた後も、晩秋の夜は長く、ようようと夜明けは来ない。
2本目の缶ビールを冷蔵庫から持ってきて呑む。

時間を経ると、夜明けの前兆/まえぶれらしき空色の変化が見てとれたが、曇りの日とはっきりわかる変化のにぶさ。

***

夜は明けて、白い空に変化する。
晩秋に起きる、いっさいが止まってしまう時空。
それは、じぶんにとっての晩秋が持つ大事なもの。
それをさかのぼると、1983年の12月入院していたときのシーンと繋がっている。

6時ごろ、ふたたび眠りに堕ちていた。

***

10時。
空に向けて、何度かシャッターを切る。

接骨院の先生に言われたように、おとなしく安心していて、家にいられる土曜日。
タバコに火をつけ、缶ビールを呑みながら、ふたたびデヴィッド・シルヴィアン+ホルガー・チューカイの「ミュータビリティ」を掛ける。

エンドレスに聴きながら、変化が止まった時空に漂う。

■David Sylvian + Holger Czukay 「Mutability (A New Beginning Is in the Offing)」■

近い将来に、やがて起きそうな、新しいはじまり (「維新」とか名付けて悦に入って酔っている詐欺師軍団とは違う)







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2012年12月14日 金曜日  King Crimson 「I Talk To The Wind」'69

2012-12-14 23:48:06 | 写真日和

山を越え・谷を越え。

■キング・クリムゾン 「風に語りて」■


昨夜ボロボロだった心身状態は、今日改善した。安心はならないが。
ギックリ腰の痛みは小康。
替わりに肩こり・頚椎ヘルニア痛・頭痛。
てんびんに掛ければ、今日のほうがマシ。
痛みの抑制に伴い、稼動できる範囲が広がった。、

接骨院での最終のお客さんになり、
共に今週のウィークエンドの始まりだからだろう、
先生とバックボーン等々、お互いの「今」に至る道を話しあえる時間をもらえた。

先生は41歳だが、一人で切り盛りする器用さに敬意。
交流することが出来たのが、今日の天使だった。

先生「この土日は、外出や出来るだけ動かないでください。
家でくつろぐようにしてください。」
そう言われた。





帰宅して、TBSラジオ「DIG」を聴きながら、今週の断片を整理出来るほどになった夜。



































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2012年12月13日 木曜日 『I TALK TO THE WIND』

2012-12-14 00:27:36 | 雑記帳

人は「時」を生きる。
「時」を超えることは出来ない。
「時」は、人に構わず永遠をたもつ。

超えることが出来ないから、極めて限られた・狭い・地球上での滞在期間の・密度を・如何様にするか、迷走する。

天才、と呼ばれる人が、天才たる、
とじふんが実感するとき。。。
その糸をたどると、常に、その感覚の源泉には、瞬間瞬間に発せられる・語りや

表現が持つ密度と構成力の高さと重さにある。

例えば、YMOの三人だったり、ブライアン・イーノだったり、ロバート・フリップだったり、プリンスだったり。。。
三島由紀夫・安部公房・色川武大だったり。。。

それは決して持って産まれたなにがしか、だけではない。
超えることが出来ない「時」とのハザマで、絶対者たる「時」へ、矢の一刺しでもせねば死んでも死にきれないというあらがい・叫び。
そのなにがしかを、この世に出現させるがための、絶え間無い修練・錬磨があってのことと思っている。

才能だけでOKなはずは無い。

***

一凡人であるじぶん。
ゆるいゆるい逃げ場ある世界で生きる凡人・かたちんば。
絶え間無い・を持続出来る者だけが、なにがしかを獲得・出来るかもしれない・中で、
じぶんにはタフな体力も精神力も、明らかに不足している。

三島由紀夫やYMO三人が、不眠不休の闇の中で、作り上げていった日々のいとなみの一方、
かたちんばは、ひさびさに遅くまで朦朧としながら・根を詰めた程度でふらふらになっている夜。

***

ただ、共有できるヒント・CUEは、病(やまい)・偶発的事故が起こす・軌道変更が、なにかのきっかけになりうる。
そんなことは思う。

ついユングの言っていたことを思い出すが。。。

キング・クリムゾンの名曲に「I TALK TO THE WIND」なる、示唆に満ちた結晶体がある。

じふんは風に語ってみるが、風はただ何も言わずに吹いているだけ。

***

身動きが取れないカラダで、痛みを感じながらヨタヨタと、夜道を歩く。
制限されすぎた不自由のなか、
受け身にならざるを得ない夜に、
それにあらがえずまま、
その中で見えてくる音・光・匂い・たたずまい。

そこには、うまく表現出来ないが、
掴めそうで掴めない「X(エックス)」たる何かの気配を感じている。

今夜は、パソコンさえいじれなくなった身体的制約の渦中に居る。
唯一、頼りになるのは、最低動作で文字が綴れる(スマホでもない)原始的携帯電話しかない。

今から、暗闇の中で眠りに堕ちていく。
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2012年12月11日 火曜日 David Bowie  「Loving The Alien」'84

2012-12-11 23:18:28 | 写真日和
不自由であることは、自由であることを照射する。
右腰のぎっくり腰は、相変わらず痛む、断続的に。

「そんなこと言いながら、ブログなんか、やるな!」
まったく、そのとおりでございます。
それでも、こうして書いているじぶんは、奇妙な生物。

***

外で活動しているときには、若干シャキッとしているせいか、動きは多少自由が利くが、家に戻れば、数十センチ動かすのも苦労する。

座っていてもつらいが、じゃあ、横になれば・・・・
というと、横になったきり動けない、びっこまん。

座るも一苦労だが、座るとまずはいろんな筋肉が張る。
痛い箇所をリカバリーしようとするからだろう。

「服を脱ごう」
そう思うが、ズボンを脱ぐにも、なかなか脱げない。
下手にゆかに落ちてしまえば、拾う作業にさらに苦労する。

「タバコを吸おう」
そう思うが、バッグに入っている。
しかし、その1mもない場所に移動するのに痛みは避けられない。

「ラジオの音量を調節しよう」
そう思うが、手を伸ばすとビリビリ言う。

そんなことの渦である。
しかし、デメリットばかりではない。

精神的には元々不自由なかたちんばだが、実痛に対峙すると、また別の視野が開ける。

歩くのがゆっくりせざるをえない。
そうすると、いつも見ている風景を見る秒数が長くなる。
秒数が長くなると、ゲシュタルト崩壊ではないが、この家はこんな形をしていたんだ。
この木はこんな凹凸をしていたんだ。

いつもは歩かない地点を歩いたりする。
そこで振り向くと、同じ場所なのに、いつもとは違う角度から見える風景は、まったく思いもしないものに見えたりする。

電車に乗れば、座るのは恐怖で、むしろ立っていたほうがマシだから、手すりかつり革に必死にしがみつく。
まれに、優しい女性が近づいてきて「席に座ってください」なんていうシアワセにも出会うが、笑顔で丁重にお断りする。

自動的に、両手はふさがり、何もすることは出来なくなる。
自動的に、動けない姿勢の中での視野と聴覚に、感覚が収斂する。
いつもは、聴くことがなかった音を聴いたりする。






まだ社会が駆動する前の空気は、風景の色を鮮やかに感じさせる。


つくばに向かう。


「うううっ、かわいい・・・」と、つい撮ってしまう、菅野美穂ちゃんのハイボール新ポスター。


窓から見える、鉄塔と雪をかぶった富士山。


好きな明治のミルクココア。タオルは座るイスの右のおしりの下に引くため。
ささいなものが、痛みのクッション材になってくれる。


一仕事を終えて、都内にUターン。

今夜も、接骨院に行く。電気療法に・氷で冷やして・マッサージ。
その上で、固まるシップを貼り、3本「さらし」をギューギューに腰まわりに巻いて固定。

帰り際、せんせいに「逆に、カラダを動かさないと良くないですよね。」
そう同意を求めると「今は、動かないほうがいいですよ。無理しないように。」

そーいわれても、明日も茨城に向かい終日ミーティングなのだ。
まあ、適度にやるしかない。


ここ数日、一日一食。
それでも、何ら不自由しないのは、神経がカラダをどう動かすか、という「今」に集中・行入しているからだろう。



■David Bowie 「Loving The Alien」'84■


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2012年12月10日 月曜日 ポール・ヤング 「愛の放浪者(安らぎを求めて)」'83

2012-12-10 22:59:36 | 音楽帳

カラダが不自由にならねば分からないことがある。

今回は、腰である。
実は、先週後半から、それらしき「まえぶれ」はあるには・あったのだが。

土日、寝ていた自堕落がトドメを刺した。
今朝、カラダを起こすことが困難になる。
右の腰に激痛が走り、ゴマちゃんのように床をすりすり移動しながら、何とか起きた。



仕事場に向かい、イスに座る。
しかし、時々刻々と様子がおかしくなる。
カラダのどこに力点を置くか?不安定になり、それを崩すたびに、激痛が走る。

やるべきことに、行入(こうにゅう)しているうちは、いっとき忘れるものの。
一拍置くと、「アジッ」と激痛を繰り返す。



座っていてもそんな状態。
問題は、いかにして立ち上がるか?
角度・力点を工夫するものの、立ち上がるのに、ナミダが出る痛みが、電気のように走る。
座るよりも・立っていたほうが、むしろ安定感がある。

同僚の方が貸してくれた塗り薬を、トイレで塗るが、好転セズ。
悩んだ挙げ句、19時に、つえを突いて、近所で評判の接骨院へ行く。

先生に、いきさつや状態を話す。
先生は、カラダを診察した上で「これは、ギックリ腰の一歩手前ですね。」
「このままほうっておいても、いずれ近いうちに、もっと激痛になる手前ですよ。」

ポカンとしつつ、先生の言うことに従う。
つえを突いて、のたのた歩きながら、うつぶせに何とかなり、まずは電気療法。
その後、冷やす。

この冷やしがすさまじかった。
パンツをずりさげ、氷を袋に入れたものを、おしりから腰辺りに突っ込む。
あまりの冷たさに痛みが走る。
うなりながら、10分以上放置される。

その後、時間が経つと固まっていくシップを貼り、サラシ数十メートルを3本ぐるぐる巻きにされて、いきなり相撲取りのような妊娠腹。
コルセットよりも、確かにこの方が体型にフィットするのだろう。

そうして、お礼を言って、つえを突きながら地下鉄に向かう。

車中・駅・お店の手に取るロケーション。。。
帰れば、服を脱ぐ行為・着る行為・暖房機を付ける行為・手を洗う行為・・・・。



もっと、こうあれば、良いのに。
そういうたくさんのことが、身に染みてわかる。
過去にも、病になった際には感じたことではあるが。

いろんなCUEが、まだこの生活空間には潜んでいることが分かる。
ちょっとしたことが、超えられないカベだったりする。



そうして、今は、キーボードをひざの上に乗せて・マウスを積んだCDの上に乗せて、この文字を記している。

***

身動きが不自由にもかかわらず・こんな駄文を記し続けるじぶんの姿は、他人から見ればバカそのものだろう。

***

今日は、ラジオ好きのじぶんには、すこしさみしい日でもある。
ようく、営業でクルマを転がしていたころ、夕方を告げる1つの合図は、小沢昭一の・あの番組のメロディだった。

「おやぢ、また、がんばっとんなあ~」と、いつもの語り口がクルマのAMラジオから流れていた記憶。
これは、同じような営業マンならば、同じような経験をしているはずであろう。

好き嫌いはともかく、小沢昭一の・あの語りは、ラジオ文化の登場人物の一端をになっていたのは事実。

***

1983年晩秋。
YMO、ビッグカントリー、モンスーン、ビル・ネルソン、ポリス、ブラマンジェ、エルビス・コステロ、XTC、ヴァージニア・アストレイ、スタイル・カウンシル・・・・
そんな中に混じって、ポール・ヤングを聴いていた。



マーヴィン・ゲイのカバー曲「愛の放浪者」。
ジャケットでのスーツの似合わないB級加減等々を感じながらも、ソウルフルなこの曲は、1983年の晩秋に聴いていた記憶の断片である。

■Paul Young 「Wherever I Lay My Hat (That's My Home) 」'83■


明日も朝から茨城に向かう。
何があろうと、時を止めることは不可能なのだから。
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2012年12月9日 日曜日 YMO 「The Madmen」'83

2012-12-09 17:48:31 | 写真日和
どーも、よほど疲れていたのだろう。
金曜日~日曜日まで、断続的に寝てしまった。

眠りの渦。
いったん戻った、と思ったが、また眠りの土日へ。
それを仕事のせいにはしないが、脳が常に働いている状態ではあるのだろう。
肉体よりも脳が超過した状態は良くない。

それはそれ。
あまり深刻に考えない。
で、今夕から明日を迎えればよい。

夕方、というほどの夕方ではないが。
この時期は、日が沈むのが早いから、そんな時間に近所を一周して歩いた。

写真を撮りながら、公園の樹々の杜の中をめぐった。

■YMO 「The Madmen」1983■



アルバム「サーヴィス」より、細野さんの曲。
細野さんのグイのりベースが、このアルバムでは随所に光る。

















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