’86年末にランDMCの曲を聴いてニュー・ウエイヴの終焉と自分の音楽の旅が1つの終焉を迎えたのを悟った。
’87年4月に大学に入った自分は、音楽チャートも追いかけなければ、新しい音楽などもう生まれないという心境から、音楽断ちに入った。
毎日、デザイン、イラスト、絵を描くことに、自分を見い出そうとしていた。
***
そんな自分だが、’87-’91の大学時代、聴いた音楽が「ゼロ」だった訳では無い。
というか、このうるさい日本において、音を遮断すること自体無理なのだが。
たまには、クロスオーバー・イレブンも聴いた。
「祭りの後」という空白感を感じながら。
時代は音楽を何処に向かわせていくのだろうと思いながら。
ほとんどは、そういう空白感を埋めるに足りる音楽では無かったが、昔、お世話になったニュー・ウエイヴの仲間たちの行方は気になっていた。
***

そんな折、1989年にケイト・ブッシュの新譜が発表され、クロスオーバー・イレブンでかかった「Heads We're Dancing」にトリコになった。
サンプリングを利用した、不思議なテクノ調のベーシックな音。
その上に乗るは、一聴して、即、ミック・カーンと分かるベース。
ミック・カーン独特のベース全開バリバリで、まさに、鬼才同士の戦いの曲「ゴジラ対モスラ」のようなバトル。
この曲をカセットテープに録音して、繰り返して聴いた。
この曲の収まったテープには、デヴィッド・シルヴィアンの「レット・ザ・ハピネス・イン」、幸宏の「ブロードキャスト・フロム・ヘヴン」等、かなりごちゃごちゃな音楽が収まってはいたが、当時、自分の琴線に触れるだけの曲が少なかった為に、60分を埋め尽くすだけのものが無く、完成することは無かったが。
’87年4月に大学に入った自分は、音楽チャートも追いかけなければ、新しい音楽などもう生まれないという心境から、音楽断ちに入った。
毎日、デザイン、イラスト、絵を描くことに、自分を見い出そうとしていた。
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そんな自分だが、’87-’91の大学時代、聴いた音楽が「ゼロ」だった訳では無い。
というか、このうるさい日本において、音を遮断すること自体無理なのだが。
たまには、クロスオーバー・イレブンも聴いた。
「祭りの後」という空白感を感じながら。
時代は音楽を何処に向かわせていくのだろうと思いながら。
ほとんどは、そういう空白感を埋めるに足りる音楽では無かったが、昔、お世話になったニュー・ウエイヴの仲間たちの行方は気になっていた。
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そんな折、1989年にケイト・ブッシュの新譜が発表され、クロスオーバー・イレブンでかかった「Heads We're Dancing」にトリコになった。
サンプリングを利用した、不思議なテクノ調のベーシックな音。
その上に乗るは、一聴して、即、ミック・カーンと分かるベース。
ミック・カーン独特のベース全開バリバリで、まさに、鬼才同士の戦いの曲「ゴジラ対モスラ」のようなバトル。
この曲をカセットテープに録音して、繰り返して聴いた。
この曲の収まったテープには、デヴィッド・シルヴィアンの「レット・ザ・ハピネス・イン」、幸宏の「ブロードキャスト・フロム・ヘヴン」等、かなりごちゃごちゃな音楽が収まってはいたが、当時、自分の琴線に触れるだけの曲が少なかった為に、60分を埋め尽くすだけのものが無く、完成することは無かったが。
