ユキヒロは1981年3月、YMOとして「BGM」という過激なアルバムを創ったのち、ワールド・ツアーで交流をあたためていた人々とのアルバム制作にロンドンに飛んだ。
そのサード・ソロ・アルバムが、彼のアルバムの中でも特に光っている『ロマン神経症(ニウロマンティック)』という名盤である。
このアルバム制作において重要な要素として忘れてはいけないのが、ニュー・ミュージックのトニー・マンスフィールドの存在である。
ユキヒロは、彼から多大な影響を受けている。
トニー・マンスフィールドは、自分のプロフィット5を持ち込んでアルバム制作に臨んだが、同行しエンジニアとして活躍した松武秀樹さんから聞いた話だが、彼のプロフィット5には、従来では出ないような不思議な音がメモリーされていて、相当プロフィット5を使い込んでいないと出ないような音がセットされていたという。
しかし、彼は音楽家という割には、指1本で鍵盤を押さえるとでもいうのか、すごく素朴で素人のような弾きかたをする方だった、とピーター・バラカンさんも言っていたが、70年代までいわゆる「ロック」の「テクニック」重視のつまらないミュージシャンのマスターベーションを全てお盆ごとひっくり返してしまった80年代テクノの世界には「ギミック」や「テクニック」なんか必要なかったから、彼の弾き方がどうであれ、その奏でる「音色(おんしょく)」と「耳の良さ」が、見事に、他には無い多くのポップな作品をまさにクリエイトされ、花開いた。
『ロマン神経症(ニウロマンティック)』はもとより、その後のキャプテン・センシブル、そして、今日紹介するマリ・ウィルソンなど、ほんとうにほんとうに素晴らしい音楽を生み出していった。
そんなオカネには興味無くて素朴な味わいある「音」が、全英・全米ともに実ったのが、A-HAの「テイク・オン・ミー」である。
そのスマッシュ・ヒットで、牧歌的な世界からいきなり億万長者になったトニー・マンスフィールドに、僕は「良かったね」と拍手を送った。
その後も、A-HAのアルバムにも関わっていった。
***
今日は、いつも暗いこの「こころとからだがかたちんば」にしては、極めてポップで、未来が見えるかのような、ココロあたたまる名曲「Wonderful (to be with)」を紹介したい。
ユキヒロも自分も、大好きな曲。
ほんとうに、ポップかつ可愛らしい曲で、トニー・マンスフィールドの音楽に対する愛情が見え隠れする。
こういう素敵な音楽がマイナーな世界にあって、別に全否定する訳では無いがマイケル・ジャクソンやらマドンナといった「スタジアム系」のド派手な音楽ばかりが目立ってやかましいのは、実に音楽リスナーとしては悲しい限りである。
80年代において、トニー・マンスフィールドもやっぱりニューウェイヴの変遷において、歴史的に残る重要な仕事をした愛する職人だったと思っている。
そのサード・ソロ・アルバムが、彼のアルバムの中でも特に光っている『ロマン神経症(ニウロマンティック)』という名盤である。
このアルバム制作において重要な要素として忘れてはいけないのが、ニュー・ミュージックのトニー・マンスフィールドの存在である。
ユキヒロは、彼から多大な影響を受けている。
トニー・マンスフィールドは、自分のプロフィット5を持ち込んでアルバム制作に臨んだが、同行しエンジニアとして活躍した松武秀樹さんから聞いた話だが、彼のプロフィット5には、従来では出ないような不思議な音がメモリーされていて、相当プロフィット5を使い込んでいないと出ないような音がセットされていたという。
しかし、彼は音楽家という割には、指1本で鍵盤を押さえるとでもいうのか、すごく素朴で素人のような弾きかたをする方だった、とピーター・バラカンさんも言っていたが、70年代までいわゆる「ロック」の「テクニック」重視のつまらないミュージシャンのマスターベーションを全てお盆ごとひっくり返してしまった80年代テクノの世界には「ギミック」や「テクニック」なんか必要なかったから、彼の弾き方がどうであれ、その奏でる「音色(おんしょく)」と「耳の良さ」が、見事に、他には無い多くのポップな作品をまさにクリエイトされ、花開いた。
『ロマン神経症(ニウロマンティック)』はもとより、その後のキャプテン・センシブル、そして、今日紹介するマリ・ウィルソンなど、ほんとうにほんとうに素晴らしい音楽を生み出していった。
そんなオカネには興味無くて素朴な味わいある「音」が、全英・全米ともに実ったのが、A-HAの「テイク・オン・ミー」である。
そのスマッシュ・ヒットで、牧歌的な世界からいきなり億万長者になったトニー・マンスフィールドに、僕は「良かったね」と拍手を送った。
その後も、A-HAのアルバムにも関わっていった。
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今日は、いつも暗いこの「こころとからだがかたちんば」にしては、極めてポップで、未来が見えるかのような、ココロあたたまる名曲「Wonderful (to be with)」を紹介したい。
ユキヒロも自分も、大好きな曲。
ほんとうに、ポップかつ可愛らしい曲で、トニー・マンスフィールドの音楽に対する愛情が見え隠れする。
こういう素敵な音楽がマイナーな世界にあって、別に全否定する訳では無いがマイケル・ジャクソンやらマドンナといった「スタジアム系」のド派手な音楽ばかりが目立ってやかましいのは、実に音楽リスナーとしては悲しい限りである。
80年代において、トニー・マンスフィールドもやっぱりニューウェイヴの変遷において、歴史的に残る重要な仕事をした愛する職人だったと思っている。