こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

如月小春&坂本龍一 「Neo-Plant」’86年1月

2010-02-18 00:10:14 | 想い出かたちんば
ふーっー・・・・・・・・

やっと22:25電車に乗る。
いやいや早く帰る予定が、こんな時間に。

いかんいかん。
こんなんでは、元の生活に戻ってしまう。

「はよ帰らなあかん。」

まあ、金曜会議準備だから、しゃあないけど。
気持ちだけは、リラックスリラックス・・・・・。

***

ちょっと、目と頭を使い過ぎた。

今日の電車は、水曜日もあって、そろそろくたびれ人間が多いね。
死んだように眠る人、目にクマが出来た人・・・。

しかし!
そんな中でも、「酒飲みぐだぐだおやぢ」はうるさいっ!
電車と一体化してゆらりゆらりと、ムーミン谷の「ニョロニョロ」のよふに揺れているが。
こちらとしては静かにして欲しいもんだが。

仕事終わってまで、仕事場引きずらないで欲しいと思う。
くだらない愚痴を聞かざるを得ないこちらには大迷惑。

耳が餃子のように自力で閉じられればいいのだが・・・。

遊びと酒で皮膚が「かつをぶし色」にまで「育成」された「おやぢ」は、しかし、しぶとく、そして、強い。

明日の朝にはケロリとした顔して、また元気に通勤するのだから、ある意味、その生命力には敬意を払う。

とてもではないが、今の自分にはそんな体力も気力も無い。

***

時は、再び1986年に戻る。

自分が追いかけてきて、70年代の終わりから走り続けてきた「明日はより違う明日」という「ニュー・ウェイヴ」が最終コーナーに差し掛かったのが1986年。

坂本龍一が、1985年から「フィールド・ワーク」~「ステッピン・イントゥ・エイジア」~「エスペラント」を経て、この1986年に共同制作に取り掛かったのが、劇作家の新旗手、如月小春さんのアルバム「都会の生活」。



高橋悠二さんも参加して、曲を書いている。

その中で、12インチ・シングルとして発売された「ネオ・プラント」。



自分も、即、レコード屋に走り、この12インチを手に入れた。
そして、素浪人の毎日、この12インチ・シングルを聴きまくった。

B面では、おだやかなアンビエント色した2曲の小品が、きらきらと光に溶けこんでいくようで、美しい・・・・。

実は、この12インチ「ネオ・プラント」は、自分の中では、かなり「隠し玉」として、「自分だけのモノ」と大事に取ってきたレコードではある。
いずれは紹介しようと思いながら、出し惜しみしてきた。

***

如月小春さんには、渋谷での「MORAL」で現物にお会いしたが、とにかくクレバーかつしなやかで魅力的な女性で、これまた、美しい女性に弱いかたちんばは、魅了されてしまった。

80年代中盤の「東京」の在り方を語るには欠かせない方が、如月小春さんだった。

小劇場で出発をした如月小春さんが、その後、次第に、テレビにも登場し、美しい姿をお見かけする機会も多くなっていったが、90年代に向かって、自分も次第に忘れた存在になっていった。
というのも、自分にとっての80年代とは、1986年のニュー・ウェイヴの終息と共に終わってしまったからである。
自分にとっての時代のシーンが存在しなくなったのである。

その後、如月小春さんは、大学の教授になり、さらに、自分から遠くに行ってしまったなあ、という感を強めていた。

***

そんな彼女の次の知らせは、彼女の突然の死だった。

それは、本当に唐突な2000年12月の急死だった。
「くも膜下出血」という、ほぼ数分での急死だった。
むごい死に方の似合わない美女は、44歳という若さで去っていった。

彼女のその後の活動に熱心でなかった自分に、何か後ろめたい気持ちを抱いた。
それは、今も変わらない。

死んだ人は帰ってこず、死んでから急にヴォルテージを上げて語るのは、実に「ウソ臭い」。
近時、急にマイケル・ジャクソンのファンが湧き出て、したり顔して語るのと変わらないのだから・・・・。

ただ、80年代中盤の彼女の輝きは、多感な青年期の「かたちんば」には、様々なココロにキズを残してくれた。
それだけは、今も忘れない。



【如月小春&坂本龍一 「Neo-Plant」】

「Neo-Plant」は、バキバキのエレクトロニクスの嵐で、その中を縫って如月小春さんのヴォーカルはかない高い声で、渦の中に吸い込まれて叫ぶ。
「HELP、HELP、HELP、HELP・・・・」というセリフが、80年代中盤の混沌とした「東京」という超情報化都市の渦に巻き込まれていくような感覚を想起させる。

ヴォーカル以外のトラックは全て坂本龍一が作っているが、「エスペラント」もそうだが、「B-2UNIT」以来の過激な側面が出た好盤。

この後、坂本は「未来派野郎」に向かって走っていく。

80年代中盤の、加速度をつけた「超東京」という都市の叫びが、僕の耳には、今でも聞こえる。
コメント
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