こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

友人MZ師の憂鬱 : ふと思い出したMZ師との会話の断片

2006-06-26 00:40:21 | 雑記帳
今日、日曜日は、MZ師の母の三回忌だった。

「泣くのは最後でいい」と言って、最後までガンの母の面倒を見たMZ師。
彼は、母思いの強いヒトである。

そういうことを思い出していた。

***

昔、MZ師は、中学の時、不愉快な同級生のヤツへの憎しみから、体育服を川に流した。
それを文学的に語ったエッセイを読んだ。
文章の中で、体育着は、非常に文学的に、川をさらさらと流れていった。
気持ちは分かったが、やりすぎだと思った。

コドモとは、残酷さのかたまりだ。
ただでさえニンゲンは野蛮だというのに、コドモは純粋というか馬鹿ゆえに、残酷である。

オトナはその残酷さを、うちに秘めるようになるが、政治や人間関係やエゴや様々な形で、形を変えて残酷さを滲み出す。

***

こないだ、「受験」というものの話をMZ師としていた。

「そういえば」、と僕。
「昔、性格悪いインテリぶったヤツが麹町中学の同級生にいたけど、風のうわさで死んだことを知ったよ。
何てこと無い。
大学受験で、東大に堕ちて、家で首吊り自殺して死んだそうだよ。」

MZ師「受験ごときで死ぬようなヤツはその程度なんだ。君だって分かるだろう。受験なんかよりも、もっと血反吐を吐くように苦しいことが、仕事に出たらうんざりするほどある。そんなことで死ぬヤツなんて・・・」

かたちんば「確かに、中学の時は、そいつはニンゲンのクズだったよ。東大に入ることしかなかったのは不幸だね。」

そう言いながらも、親との受験を巡る確執に苦しんだ自分。

しかし、かたちんばは、苦しみの後、何とかこうして生きている。

***

今日、神保町を歩いていた。

中学3年生の頃に通っていた「神保町セミナー」という塾のビルを見上げていた。
いろいろあったが、ここで出会った友人は、今どこで何やっているかわからんが、ここだけは、通って楽しい塾だった。

帰り道にレコード漁ったり、寄り道したり出来たし。

25年前、ここを中坊の自分は歩いていたのを不思議に思う。

***

MZ師は寝てしまったのか?
11時過ぎに電話しても出ない。
今日は、三回忌で疲れたのだろう。

僕は、眠れずに、再び、パソコンに戻り、EverythingButTheGirlの「EDEN」【写真】を聴きながら、こうして独り言を書いている。
特に好きということは無いのだが、夜の静かな時を過ごすにはいいのかもしれない。


明日から、また仕事だ。
コメント (2)
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