まだまだよく聞いていない音楽はあるものだ。
マイケル・ナイマンというと、有名なのは、映画「ピアノ・レッスン」のテーマでしょう。
僕自身が、マイケル・ナイマンを知ったのは、'81年のサウンド・ストリートの夏のYMO座談会で、細野さんが口にしたところだっただろうか。
イギリスで、マイケル・ナイマンの曲「モーツァルト」がベストテンに入るという奇妙な珍事態を語ったものだった。
しかし、僕はそれで、ナイマンの音楽を聴いたか?といえば、全く無く、通りすぎてしまった。
***
次に、ナイマンの事を見聞きしたのが、この「The Draughtsman's Contract」【写真】のLPレコードだった。
初め、白黒で雑誌で見たこのジャケットの不気味さだけが、強い印象に残っている。
いわゆる「通(ツウ)」のスノッブの世界では、聴かれたものだろうが、僕の見聞きする世界にはこれまた入ってこなかった。
マイナー世界が広大に広がっていた80年代初頭、多くが、「坂本龍一のサウンドストリート」に頼っていた自分だったが、教授の口からマイケル・ナイマンというコトバは出てこず、よく聴く機会を失っていた。
***
次に、このアルバムに再び出会ったのは、しばらくして、多分82年だろうか?
毎週、夕刊の新聞(朝日か読売)に、サブカルチャー的な2面構成のページが出来て、少年の私は、毎週読んで、大事に保存していた。
編集者で酒好き、無頼派のおやっさんの作るページで、当時はすごく斬新で、いつかは、あんな無頼派になりたいと憧れた。
そこには、様々な80年代の文化人や少年の胸高鳴らせるサブカルチャー人が出てきた。
一角の記事に「廃盤エレジー」というコーナーがあり、その無頼派編集者が出会った人の思い出とレコードの思い出を合わせて語るコーナーだったが、すごく影響を受けた。
その記事と同じ位の大きさで、いっとき細野さんのレコード紹介のコーナーがあったのだ。
そこで、ある回に、このマイケル・ナイマンの「The Draughtsman's Contract」のジャケットが載り、お話がされたのだった。
ローリーアンダーソンが、「オー・スーパーマン」をニューヨークでヒットさせた。
その現象を語り、「今、大衆と音楽は乖離している<つまりメジャーとマイナー>。その亀裂を、ローリーアンダーソンはいっとき繋いだかに見えたが、また再び、メジャーとマイナーは裂けた状態になってしまった」と細野さんは語っていた。
そして、このレコードを毎日、いま聴いていると言っていたような気がする。
***
80年代は、細野さんの言うように、極めて不思議な二重構造が支配している世界だった。オモテとウラというのか。
日本の音楽には、YMOという光があったが、その周辺以外に聴く音楽は無かった。局部的に、局部的な一部の人種が盛り上がっていて、それが全体に波及しなかった。
良い音楽が流通しなかった。
そもそも、「音楽」というもの自体が、産業社会に飲み込まれておらず、こんなビッグ・マーケットにもなっていなかったし。
***
細野さんが聴いているなら、自分も聴きたい、という関心はあったが、当時の82年の細野さんは、何か仙人じみていて、ちょっと、細野さんの選ぶレコードには違和感を覚えていた。
というのも、ニューウェイブに限らず、世界の音楽をことごとく聴いていた細野さんには、僕がついていけなかったのである。
若いというのは深みが無い。
だけど、感性だけが鋭い。
だから、新しいイギリス=ヨーロッパのニューウェイヴサウンドには、アンテナが利いても、それ以外のツノを持っていなかったのである。
のちに、高野 寛が、「坂本龍一のサウンドストリート」を「僕は坂本さんの通信教育講座を受講していた」という、言いえて妙な表現をしていたが、まさしく、自分の新しい音楽の道先案内人は、81年-82年段階では、明らかに坂本龍一だったのだ。
***
てなことで、細野さんを尊敬しながらも、その趣味についていけなかったかたちんば少年は、この「The Draughtsman's Contract」のジャケットの不気味さに惹かれながらも、聴く機会を失ったまま、通り過ぎていった・・・。
それから、長いことたって、2006年。
町田の大好きな中古CDショップ「DCD」で、このCDに再び出会うことになる。
なかなか、レコードですら、当時見なかったもので、
白黒の雑誌や新聞でしか知らなかったので、こんな色のついたデザインなんだ、とお店での「邂逅」に、時を止めてジャケットを鑑賞していた。
僕が、その不気味さを、ブライアン・イーノのアンビエントシリーズのイメージにおいていたが、なんとこれも初めてそのとき知ったが、「英国式庭園殺人事件」という映画のための音楽だという。
***
しばし、家のCDの渦に埋もれていたが、やっと聴く気になって、初めて2006年6月、かたちんばは、この音楽に、耳をゆだねた。
軽く「なあんだ」と思う。
表層的には、特に、驚くような要素は希薄で、やはり、これは当時聴いていたとしても、少年の私にはわからなかったであろう。
バイオリンのクラシカルな響きが続く。
だが、繰り返し聞いているうちに、いろんなものが見え出してきた。
このあと、どんな風に聴こえてくるかはわからない。
ただ、このかたちんばも、世界の様々な音を数十年聴いてきた。
その耳で、当時の細野さんの気分が理解出来るだろうか?
僕は、20数年目にして、マイケル・ナイマンの「The Draughtsman's Contract」を、いま、聴いている。
マイケル・ナイマンというと、有名なのは、映画「ピアノ・レッスン」のテーマでしょう。
僕自身が、マイケル・ナイマンを知ったのは、'81年のサウンド・ストリートの夏のYMO座談会で、細野さんが口にしたところだっただろうか。
イギリスで、マイケル・ナイマンの曲「モーツァルト」がベストテンに入るという奇妙な珍事態を語ったものだった。
しかし、僕はそれで、ナイマンの音楽を聴いたか?といえば、全く無く、通りすぎてしまった。
***
次に、ナイマンの事を見聞きしたのが、この「The Draughtsman's Contract」【写真】のLPレコードだった。
初め、白黒で雑誌で見たこのジャケットの不気味さだけが、強い印象に残っている。
いわゆる「通(ツウ)」のスノッブの世界では、聴かれたものだろうが、僕の見聞きする世界にはこれまた入ってこなかった。
マイナー世界が広大に広がっていた80年代初頭、多くが、「坂本龍一のサウンドストリート」に頼っていた自分だったが、教授の口からマイケル・ナイマンというコトバは出てこず、よく聴く機会を失っていた。
***
次に、このアルバムに再び出会ったのは、しばらくして、多分82年だろうか?
毎週、夕刊の新聞(朝日か読売)に、サブカルチャー的な2面構成のページが出来て、少年の私は、毎週読んで、大事に保存していた。
編集者で酒好き、無頼派のおやっさんの作るページで、当時はすごく斬新で、いつかは、あんな無頼派になりたいと憧れた。
そこには、様々な80年代の文化人や少年の胸高鳴らせるサブカルチャー人が出てきた。
一角の記事に「廃盤エレジー」というコーナーがあり、その無頼派編集者が出会った人の思い出とレコードの思い出を合わせて語るコーナーだったが、すごく影響を受けた。
その記事と同じ位の大きさで、いっとき細野さんのレコード紹介のコーナーがあったのだ。
そこで、ある回に、このマイケル・ナイマンの「The Draughtsman's Contract」のジャケットが載り、お話がされたのだった。
ローリーアンダーソンが、「オー・スーパーマン」をニューヨークでヒットさせた。
その現象を語り、「今、大衆と音楽は乖離している<つまりメジャーとマイナー>。その亀裂を、ローリーアンダーソンはいっとき繋いだかに見えたが、また再び、メジャーとマイナーは裂けた状態になってしまった」と細野さんは語っていた。
そして、このレコードを毎日、いま聴いていると言っていたような気がする。
***
80年代は、細野さんの言うように、極めて不思議な二重構造が支配している世界だった。オモテとウラというのか。
日本の音楽には、YMOという光があったが、その周辺以外に聴く音楽は無かった。局部的に、局部的な一部の人種が盛り上がっていて、それが全体に波及しなかった。
良い音楽が流通しなかった。
そもそも、「音楽」というもの自体が、産業社会に飲み込まれておらず、こんなビッグ・マーケットにもなっていなかったし。
***
細野さんが聴いているなら、自分も聴きたい、という関心はあったが、当時の82年の細野さんは、何か仙人じみていて、ちょっと、細野さんの選ぶレコードには違和感を覚えていた。
というのも、ニューウェイブに限らず、世界の音楽をことごとく聴いていた細野さんには、僕がついていけなかったのである。
若いというのは深みが無い。
だけど、感性だけが鋭い。
だから、新しいイギリス=ヨーロッパのニューウェイヴサウンドには、アンテナが利いても、それ以外のツノを持っていなかったのである。
のちに、高野 寛が、「坂本龍一のサウンドストリート」を「僕は坂本さんの通信教育講座を受講していた」という、言いえて妙な表現をしていたが、まさしく、自分の新しい音楽の道先案内人は、81年-82年段階では、明らかに坂本龍一だったのだ。
***
てなことで、細野さんを尊敬しながらも、その趣味についていけなかったかたちんば少年は、この「The Draughtsman's Contract」のジャケットの不気味さに惹かれながらも、聴く機会を失ったまま、通り過ぎていった・・・。
それから、長いことたって、2006年。
町田の大好きな中古CDショップ「DCD」で、このCDに再び出会うことになる。
なかなか、レコードですら、当時見なかったもので、
白黒の雑誌や新聞でしか知らなかったので、こんな色のついたデザインなんだ、とお店での「邂逅」に、時を止めてジャケットを鑑賞していた。
僕が、その不気味さを、ブライアン・イーノのアンビエントシリーズのイメージにおいていたが、なんとこれも初めてそのとき知ったが、「英国式庭園殺人事件」という映画のための音楽だという。
***
しばし、家のCDの渦に埋もれていたが、やっと聴く気になって、初めて2006年6月、かたちんばは、この音楽に、耳をゆだねた。
軽く「なあんだ」と思う。
表層的には、特に、驚くような要素は希薄で、やはり、これは当時聴いていたとしても、少年の私にはわからなかったであろう。
バイオリンのクラシカルな響きが続く。
だが、繰り返し聞いているうちに、いろんなものが見え出してきた。
このあと、どんな風に聴こえてくるかはわからない。
ただ、このかたちんばも、世界の様々な音を数十年聴いてきた。
その耳で、当時の細野さんの気分が理解出来るだろうか?
僕は、20数年目にして、マイケル・ナイマンの「The Draughtsman's Contract」を、いま、聴いている。