3月24日は仕事を14時からにして大阪府貝塚市にある孝恩寺を参拝しました。
収蔵庫の特別公開があるのを朝日新聞で見つけ往復葉書で申込みをしていました。
収蔵庫の特別公開があるのを朝日新聞で見つけ往復葉書で申込みをしていました。
近くにありながら、その存在を知りませんでした。
孝恩寺周辺は古くから良質な木材を産出する地域で、その木材の集積地であった事から、この地域は「木積(こづみ)」と呼ばれていました。
奈良時代神亀3年(726)、聖武天皇の勅願寺四十九院のひとつとして、行基菩薩により「観音寺」が創建されました。
七堂伽藍を備えた大寺院だったと伝えられていますが、中世の戦乱で荒廃し、江戸時代には観音堂と20躯ばかりの仏像を残すのみとなっていました。
孝恩寺は、江戸時代明暦元年(1655)に観音寺境内に隣接し創建された浄土宗寺院です。
しかし、観音寺は明治時代に廃寺となり、孝恩寺が旧観音寺を吸収合併し、観音堂と諸仏も孝恩寺に引き継がれました。
現在は観音堂(国宝)を本堂とされています。
観音堂の建立年代は明らかではないそうですが、建物の特徴から鎌倉時代後期と考えられています。
屋根は丸瓦の形が特徴的な行基葺と言う葺き方で、全国的にも希少だそうです。
前回、大正5年の解体修理から100年近く経過し、経年劣化が多く見られた事から令和元年9月から令和4年7月まで屋根葺替を主とした修理が行われました。
境内にある収蔵庫は通常非公開ですが、毎年、春と秋のお彼岸前後に約2週間の特別公開があります。
収蔵庫には阿弥陀如来像など国指定の重要文化財の仏像19躯と貝塚市指定文化財の木造阿弥陀如来立像1躯の計20躯と板絵1個が安置され、最近美術館に貸し出していた虚空蔵菩薩立像もお戻りになり、全ての仏像が一堂に揃うのは約40年振りだそうです。
(写真は貝塚市HPからの転載です。)
重文指定の仏像は、いずれも平安時代に制作されたものと考えられていて、中世の戦乱期には近くの川やため池に沈めるなどで兵火から守ってきたと伝えられています。
この様な素晴らしい国宝建築物があり、また、重文の仏さまが19躯もおられる「孝恩寺」を拝観出来、いい勉強になりました。
京都や奈良だけではなく、大阪も捨てたものでは無いですね。